4月20日。松本城からまつもと芸術館へ戻る途中・・・。
たまたま見つけた『四柱神社』。


四人の神様が祀られている所から『四柱神社』というそうです。
~御由緒~
明治天皇御頭政に当り、惟神の大道を中外に宜布し給う思召しを以って、筑摩県庁の所在地である松本に、明治7年二月に道中教院(宮村町長松院跡・後神道事務分局)が設立され、院内に天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・天照大神の四柱の大神が奉斎されてきたそうですが、明治12年10月新たに一社を興し、『四柱神社』として現在地に厳かに鎮斎され、隣接して神道事務分局も設立されたとの事。
その経費は、中南信全域(旧筑摩県)の神職・県庁・その他諸官衛・一般篤志家の浄財によるものだったそうです。
翌13年6月、当地域に初めて行幸があり新築改装なったばかりの神道事務分局を行在所に定められ、同月24日松本に陛下をお迎えしたそうです。
この由緒ある社殿及び事務分局の一切が明治21年1月4日の松本大火に類焼、以来仮殿に奉斎されてきたそうですが、大正13年に至りようやく御鎮座当初と同じく中南信全域の奉賛を得て、現在の社殿が再建されたそうです。
ちなみに、前述の縁由によって、現地の人々の間では、「しんとう」(神道)の呼び名で、親しまれているそうです。
(パンフレットより参照)

拝殿
~御神徳~
古記記の巻頭に「天地初発の時、高天原に成りませる神の御名は、天之御那賀主神、次に高御産巣日神、次に神産巣日神」と記されているそうですが、わが国の歴史の上で最初に出現された神様との事。
造化の三神ともいわれているこの神々の御力によrい、天地万物が形成されたと云われているそうです。
それぞれ大変高い御神徳の神様を祀られている『四柱信者』は、ずべての願いが叶うという意味で「願いごとむすびの神」として全国各地より祟敬されているとの事。
(パンフレットより参照)
この他にも、旧松本市出身の戦歿者を祀る『松本市招魂殿』や『恵比寿神社』、『参集殿』や『神楽殿』などはあります。
また、正面には平成12年、明治天皇行幸120年を」記念して復元建立された大鳥居と、明治天皇がお渡しになったという御幸橋があります。
(写真がなくて申し訳ございません・・。)
『明治天皇行在所旧祉碑』
建物が多く、周辺も人が多かったりする市内にある『四柱神社』ですが、一歩境内に入ると雰囲気が一変する感覚を味わいました。
こちらもたまたま見つけた集会場(?)。
歴史を感じられます。
この井戸は現役。
私の前に海外から観光に来ていた方達が実際に動かしていたのですが、ちゃんと水が出ていました。
『深志神社』を目指して散策していたら、小さな神社を二つ見つけました。




『秋葉神社』
この『秋葉神社』がある「小池町」は、江戸時代初め慶長18年頃、小笠原の家中軍師小池甚之丞の屋敷があり、世間の人たちは小池の町と呼び、そこから「小池町」となったそうです。
その後、約二百数十年前、東筑摩群田村村農、芦田平三郎が当時の町へ移り住み、羽田子業を創めたそうですが、防火の神「秋葉大権現様」に祟敬が厚く、自分の屋敷内に祝殿を造り祟敬したが、今より百数十年前、芦田家が転居をする際に、祝殿敷地等を、小池町に寄付。
小池町は町内の氏神様として祀られることとなったそうです。
(『秋葉神社け』境内の看板参照)

ここの神社の名前・・。忘れてしまいました。
3つ程、名前がつけられていた気がします。

この周辺にはこの二つの神社以外にも、沢山の神社が点在しているようです。
その多くが、『深志神社』の祭礼(毎年7月24日・25日の天神祭)にて、松本城下、女鳥羽川以南の南深志地区16町から舞台(松本では「山車」のことを「舞台」と呼ぶそうです。)を出し、深志神社境内に16台の舞台が曳き込まれ、各町内自慢の舞台が綺羅を競うとの事です。
夏の風物詩といわれているそうです。
(16町・・現在は、本町1、2、3、4、5丁目、伊勢町1、2、3丁目、博労町、中町1、2、3丁目、飯田町1、2丁目、小池町、宮村町1丁目で舞台を保管。いずれも江戸時代初めより松本城下町の親町・枝町を構成する古い町との事。)
平成13年に北深志地区に残る2台(東町2丁目、六九町)とともに、「松本城下町の舞台」として松本市重要有形民俗文化財に指定されたそうです。
(『深志神社』HPより参照)
だから、神社が多く点在しているんですね!!