平成29年4月18日。
岩谷堂を参拝し、宝蔵寺にて御朱印をいただいた後、そこから車で3分くらいの所にある、『安良居(あらい)神社』へ 。




安良居神社は長野県上田市上丸子にあります。
大鳥居には八幡宮の額が掲げられるなど源氏との関わりが強く、平安時代末期、源氏の血を引く木曽義仲の挙兵の際、当社に戦勝祈願をしたと伝えられているそうです。
古くから上丸子区の氏神として信仰された神社で境内も広く社殿も整備されていらとの事。
安良居神社本殿は覆屋内部にある為普段は見ることが出来なく、案内板によると「・・・(前略)本殿の多くは彫刻を用いて社殿を飾ることが流行した江戸時代末期の建築で、諏訪の宮大工二代目、立川四郎富昌の作と云われています。
左右の脇障子の板に施された手長と足長のユーモラスな裸像や、柱に彫られた竜・唐獅子・ぼたんなどの美しい彫刻に飾られた小社殿との事。上田市浦野の東昌寺鐘楼とともに、上田・小県地方の立川流建築の双璧であるそうです。
安良居神社本殿は一間社流造、江戸時代末期の神社本殿建築の遺構として貴重で意匠や技術的にも優れている事から昭和47年(1972)に上田市指定有形文化財に指定されています。拝殿は木造平屋建て、切妻、桟瓦葺き、平入、桁行5間、梁間3間、正面1間軒唐破風向拝付きとの事。
祭神:譽田別命だそうです。
札がないので分かりませんが、欅でしょうか?
私も小さい頃、遊びに来た記憶があります。
『丸子城』真田家家臣、丸子氏の居城だったとの事。
1585年(天正13年)の「第一次上田合戦」において徳川軍は負けてしまいますが、すぐ帰らず
丸子城城主・丸子三左衛門を、徳川方の諏訪頼忠、岡部長盛らかが攻撃をしたそうですが、それを退けたたとの事。
その戦いを「丸子表の戦い」と呼ばれているそうで、その舞台となった城との事です。
現在は「丸子城跡公園」として整備されており、二の丸には展望台を兼ねた物見櫓が復元されています。
頂上まで登る事が出来ますが、夕方だった為、断念。
地元人ですが、1度もな登った事がないのでいつか登ってみたいです。