スターウォーズのような、SF映画やSF小説に対して、
「なぜ、未来の話なのに、あるいは宇宙船が登場するような世界の話なのに、
貴族やお姫様のような昔の階級制度が出てくるのか?」
という意見がある。
野暮な意見のような気がするが、違和感があるのも事実。
それは、SFというより、小説やシナリオの宿命と答えるしかない。
100%完全に架空の世界は、小説やシナリオでは、作ることができないのである。
小説やシナリオは、言葉=記号によって作られる世界であるから、
そもそも、最初から、その文字・言語を使用する社会の既成概念、
過去の共通認識の上に成り立っている。
つまり、過去の歴史の上に成り立っている。
過去の歴史を完全に無視した世界は、作ろうにも作れないのである。
過去の認識に全く存在しないものを作り出そうとすれば、
ひとつの言葉の説明だけで、日が暮れてしまうのである。
過去の認識同士を衝突させて、新しい認識を創出することはできるが、
最初から、完璧に過去と無関係な認識・イメージを、
創出することは不可能なのである。
映画や舞台ドラマのほうは、
映像イメージ、視覚的イメージ、音声、音楽があるから、
ある程度、過去を無視することは可能なのであるが、
セリフやナレーションや歌詞があるかぎり、
やはり、過去とのしがらみから抜けきることはできない。
では、セリフやナレーション、字幕が一切無い、
視覚的イメージと音だけのドラマなら、
どうなのか? 
それは、かなり過去を無視した、架空の世界を築くことが可能であると思われる。
もしかすると、そういう実験が行われたことがあったのかもしれない。
しかし、そんな映画や演劇があったとしても、観客には、何が何やら、
さっぱりわからないドラマであろうと思われる。
そんなわけで、
宇宙船に貴族や騎士やお姫様や魔法使いが乗っていても仕方ないのである。
そして、やっかいなことに、
ドラマや小説が、過去の概念に縛られる一方で、その過去の概念、
固定観念、イメージそのものが、時代とともに、刻々と変化する。
貴族や騎士やお姫様や魔法使いが、昔とは同じではない。
考え方やセリフも昔とは違う。
同じ言葉を使っても、その意味するところが同じではない。
全くの架空を許さない過去のイメージ・観念が、
その一方で、実は流動的で曖昧なものなのである。
小説やドラマの難しいところ、儚いところである。