アメリカでは宗教団体が進化論を否定し、
アダムとイブの神話を教科書で教えようとする動きがある。
しかし、
アダムとイブの話よりも進化論のほうが、
ずっと神がかり的なのである。
エデンの園の話はおとぎ話でかたづけられるが、
進化論のほうはそうはいかない。
なにしろ科学の世界なのであるから事実に基づいている。
自然環境の淘汰により生物は進化してきたというのであるが、
淘汰だけで進化はありえるのだろうか?
海や川の砂や石は波や流れの淘汰によって粒の揃ったものになる。
形も同じになる。
しかし進化した形にはならない。
選抜・選別されるだけである。
進化とは際限なく形と機能を変えて行くことである。
何が残るか何が除去されるかの話ではない。
そこには、ひとつの方向に向わせようとする意志がなければならない。
その意志はどこからやってくるのか?
という問題になる。
微生物から人間に至るまでの歴史を、
何らかの意志を想定せずに説明するのは、かなりつらい作業になる。