戦後、1960年ごろまで、
唯物論と唯心論の論争が盛んに行われた時期があった。
文化人や大学生の間で、議論された。
唯物論を唱えるのは左翼であり、唯心論を唱えるのは保守だった。
人間の歴史は物質のみによって決まる、
あるいは物質がなければ、幸せになれないとする意見と、
いや、精神的なものこそ大事だとする意見の対立だった。
貧困の苦しみを精神的なもので、我慢させようとする傾向が、
保守思想や宗教思想には、まちがいなくあったように思う。
それに反発する形で、左翼系の思想は唯物論を熱心に主張した。
ところが、高度経済成長が始まると、
いつのまにか、その論争は、夜明けの幽霊のように、姿を消してしまった。
大量消費社会の到来で、
唯物論は、保守思想に有利に働く世の中になってしまったので、
論争がうやむやになってしまった。

それっきり、そうした論争は二度と聞かなくなり、

唯物論・唯心論という言葉も消えた。