生命現象が自然発生的に登場したと主張するためには、
どんなに簡単でもいいから、
自己増殖するメカを生命模型として造ってみせなければならない。
ところが機械工学の世界だけでは、自己増殖するロボットは、
なかなか登場しない。
同じ品物を際限なく製造する機械なら、
簡単に造れるのに、自己増殖となると、
急に話が難しくなる。
人工生命はコンピューターのイメージとしては、
とっくの昔に完成しているし、
外部からの刺激に応じて進化する生命のシミュレーションも、
できあがっている。
電子工学の世界では簡単に実現する生命模型も、
機械工学の世界ではなかなか思うに任せない。
どこが難しいかというと設計図である。
どんな簡単なメカでも、自己増殖となると、
設計図(遺伝情報)が必要になる。
その設計図を機械構造の形にしておかねばならないのである。
それは多分不可能である。
自然現象として生命が誕生したと主張するためには、
機械工学的な視点では困難そのもので、
電子工学的な視点で論じるほうがはるかに楽である。
人間のいない時代に、
電子工学的な世界が存在したのかという反論は、
恐れなくても大丈夫、それは説明が可能である。
半導体結晶も電気信号もそれによって作動する分子構造も、
人間とは無関係に自然界に最初から存在している。
生命よりも知能のほうが、
先だったという論理は可能である。
支離滅裂の脈絡のない電気信号が混沌とした分子構造を
流れているうちに奇跡的に、
意味ある知能に到達してしまったというシナリオは、
想像が可能である。

ところで、
生命現象は知能のほうが先にできたとすれば、
生命現象以外のものに進化した知能があったかもしれない。
知的非生命体というものが存在している可能性がある。
それが神様かサタンか妖怪変化なのかはわからない。