どこかの地下鉄の、誰も見ていない暗闇の壁に、
広告が展示されている。
そこは廃駅になった場所で、
広告の看板は全て撤去されるはずだったのに、
ひとつだけ、そのまま残されている。
スポンサーが、どうしてもそのまま残してほしい、
料金は払い続けるから、撤去しないでほしいと頼んでいる。
地下鉄側が、人の見ている場所への移転を薦めても、
スポンサーは、どうしても、そのままにしてほしいと言う。
「理由を聞かせていただけませんか」と訊ねても、
スポンサー側の担当者も責任者も、怯えきって青ざめた表情で返事をしない。
不況で広告収入の激減していた地下鉄側は、
「きっと、何か縁起をかついでいるのだろう」ということにして、
希望通り、そのまま看板を残している。
そこは普段、電車が高速で通りすぎる場所で、誰も見ることはできない。
ところが、ある日、何かのトラブルがあって、
電車がその場所に停まってしまった。
すると、暗闇の奥に、電車の光に照らされて、
ひとつの絵が浮かびあがった。
それは、太陽の光ふりそそぐ緑の並木道を、
若い男女が手をつないで、
笑いながら歩いている平凡な絵だった。
その絵には文字が無かった。
最初から無かったのか、後から消したのか、
キャッチコピーもスポンサー名も電話番号も無かった。
その絵を吊革にぶらさがって見ていた一人の乗客が、
「妙な広告だなー」とつぶやいた。
すると、「忘れなさい」と、うしろから、ささやく声がした。
「え、どうしてですか?」と、ふりかえってみたが、
うしろに立っていた乗客は、みんな横を向いている。
誰がささやいたのか、わからなかった。