核戦争の恐れが現実のものとなる時代になった。
核兵器を過小評価も過大評価もしてはいけないが、
冷戦初期には、いろいろなデマが流れた。
人類全体が完全消滅し誰一人生き残らない、という話を、
世界中のマスコミが叫び、政治家も評論家も文化人も
その前提で議論を展開していた。
科学的論拠はどこにもなかったのだが、みんなロクに調べもしないで、
そのデマを信じ込まされて泣き叫んでいた。
ちょっとでも反論しようとすると、
「お前は軍国主義者か右翼か」と半狂乱になって、袋叩きにされた。
核戦争で地球が粉微塵になるとか、
世界全体が火柱に包まれるとか、日本のような島国は、
一発の水爆で消えてなくなってしまうとか言われていた。
核戦争になれば映画のフィルムが切れたように、

プツンと歴史が終わってしまう、などと、
無茶苦茶なデマがまかり通っていた。

日本に核ミサイルが飛んで来たら、

飛行機で日本を脱出するしかないと言われていた。
核ミサイル一発で日本全土が真ったいらになると、みんなが思い込んでいた。
そんな強力な核兵器は存在していないのだが、
冷戦時代にはみんなが思い込んでいた。
SF小説もSF映画も、人類滅亡の一点張りで作品が埋め尽くされていた。
スターウオーズというSF映画で、

「核兵器でも惑星は破壊できない」というセリフが出てくるようになって、

ようやくみんなは自分たちがなにか勘違いしているのではないかと、
思うようになった。
アメリカのICBMはモスクワまで飛んでも100mの誤差しかない、

というニュースを聞いた時、デマを信じていた人間は仰天した。
精度に驚いたのではなく、

なぜそこまで精密でなければならないのだ、と驚いた。
それは核兵器の破壊力の範囲が、

信じていたスケールよりはるかに狭いことを意味した。
現在世界最大の水爆をもっているのはロシアであるが、
その水爆が東京都に着弾した場合の死者は200万人と言われている。
一発では東京都民を皆殺しにはできない。
核攻撃の警報を聞いても爆心地の人間は、どこにも逃げようがない。
迎撃ミサイルなど気休めにもならないと思う。
そんなもので核ミサイルを防ぐことはできない。
相手はダミーのミサイルを撃って攪乱してくる。
戦争が始まれば、首都に住んでいる人間は即死の覚悟をしてもらうしかない。
大阪や地方都市は,たぶん大丈夫だと思う。
敵国の独裁者は、地方都市に撃つ余裕があるのなら、

東京に全て撃ち込んだほうが効率的と考えるような気がする。