私の年金は
生活保護以下のレベルだった、
安い給料で働いていたのだから仕方ない。
最初にもらった金で牛丼屋で牛丼を食べた。びっくりするほどおいしかった。
そのとき、タダ(無料)飯ほどうまいものはない、と思った。
そして私は悟りを開いた。私は、そのときに初めて人間に生まれたのだった。
本当の誕生日がその日だった。
それまでの私は人間ではなかった。牛や馬と同じ家畜だった。

野生の馬や牛や羊は、最初は働いていなかった。働かずに飯を食べていた。

食べることができた。

腹が減ったら近くに生えている草を食べればよかった。

それは労働ではなかった。

彼等が働いて食べるようになったのは人間に支配され家畜になってからだった。
働いて得た金で飯を食うのは家畜だった、人間は本来
働かずに飯を食わねばならない。

人間は草食の猿から進化した生き物だった。歴史では、最初、

猿は働いて飯を食べていなかった。

生まれ落ちたときは、そばにあった母親のミルクを飲んで生きていた。
体が自由に動き回れるようになってからは、近くにある木の実や草の実を

好きな時に好きなだけ、むしりとって食べていた。

肉食動物のように、他人に迷惑をかける生き方でもなかった。

腹が減ったから、そばに生えていた植物の実を食べる。それは、息をするために

空気を吸うのと同じ行為だった。お前は俺の領土で空気を吸ったから金を払えとは

誰も言わない。いつかそんなことを言われる時代がやってくるかもしれないが、

いまは空気はタダでいい。

草食の猿であったころ、人間はタダ飯を食って生きていた。

その幸福を保障していたのは誰だったのだろう?
それは社会ではなく環境だった。
世の中に理想の社会などというものはありえない。あるとすれば理想の環境である。
タダ飯は人間の猿の時代に保障されていた基本的権利だった。
年金をもらう歳になると大抵働くところなどない。
働かずにブラブラしていると、電車はいつもガラガラの席で走ってくる。
図書館もガラガラになっている。映画館も食堂もガラガラだった。
社会全体がブラブラ遊んでいる者のために存在している気がした。
「働かざる者食うべからず」という言葉があるが、
働かなくても食っていける状況なら、無理に働く必要はない。
いくら高収入でもバタバタ働いて、自分の時間がない人というのは、
家畜同様なのである。
南洋のどがこかの島でパンの実が成る木があって、その島の住人は一生働かずに
生きることができるという話を聞いた。「ずいぶん怠け者になるでしょうね」
という人がいる。しかし、そう決めつけていいものかどうか分からない。
家畜になる前の牛や馬は怠け者だったのだろうか?
環境のいい場所に住んでいた猿は働かずに暮らしていた。環境の悪い場所に
住んでいた猿は猿同士いろいろ協力しあわなければ生きて行けなかった。
そこから組織・社会が生まれ、家畜や労働が生まれた。
つまり、働くということは、組織が決めたことであり、
それが絶対正しいと言い切れるものではないのである。