Sadistic*Sweet
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NO.20



気が付けば今のバイトを始めて4カ月が経った。



アルバイトは社会勉強だと聞くが、実際にこの4カ月は本当に色んな事を見覚えた。

共に働いている人達や、客の言動からも色んな事を学んだ。


仕事は殆どが接客業であり、この場所には本当に様々な人が訪れる。

そして、精算をしている短い間に、その瞬間対面している客の人格がうかがえる事もある。


ぶっきらぼうに商品を出し、此方の接客にもろくに応じず、乱暴にお金を出して去っていく煌びやかに着飾った「美しい」女の人も居れば

こざっぱりした身なりの男性が、会計後に笑顔で「ありがとう」と声をかけてくれる事もある。


勿論接客して居て気持ちがいいのは後者である事に異論はないだろう。



こうなると切々と感じるのが、

仮令此方が立場上敬語を使わなければいけない状態であろうとも

接客もきちんとした「人と人の営み」であるという事。


あまりにもふてぶてしい客を扱った時には声を大にして言いたい衝動に駆られる。

「貴方が居るレジの向こう側に立って居るあたしはロボットではなく人間なんだよ。」と。


此れはコンビニの接客だけに限らず、スーパーのマネキンだとか、街でビラを配っている人たちにも

同じ事が言えるのではないかしら。



”人と人が接する瞬間は、人と人が織りなす営みは、どんな事であっても無機質であってはいけない”。

・・・あたしの持論。



教育だって同じことよ。

教育が目を向けるべきなのはあくまでも「人間」の子供よ。

そんな繊細なものを乱暴に扱っちゃいけないわ。

考えなくちゃいけない事も山積みみたいだ。



何はともあれいくつになっても

その瞬間瞬間に触れ合う人たちに

少しだけでも優しくなれるぐらいの余裕は持ち続けていたいものね。


NO.19

"魅力的な唇のためには
優しい言葉を掛けること

美しい瞳のためには
人々の素晴らしさを見つけること

スリムな体のためには
飢えた人々と食べ物を分かち合うこと

豊かな髪のためには
一日に一度、子供の指で梳いてもらうこと

美しい身のこなしのためには
決して一人で歩むことがないと知ること


人は物よりはるかに多く回復し、復活し、生きかえり、

再生し、報われることが必要なのです

くり返し、くり返し、報われることが。

決して何人たりとも見捨ててはなりません


助けてくれる手が必要なとき、

自分の腕の先にその手があることを思い出して


年をとると、人は自分に二つの手があることに気づきます。


一つの手は自分自身を助けるため、

もう一つの手は他者を助けるために。"



かのオードリー・ヘップバーンの名言。

人間がその姿を美しく映えさせる時、傍らには必ず誰かが居るという事だ。


己を美しく飾りたいと思うのならば、鏡の中の自分だけを凝視するのではなく

その目が本来持つべき「他人を見る」という役割を最大限に生かすべきなのか。


己を更に磨きたいと思うのならば、己のみを庇護するのでは無く

他人に対する優しい心遣いを忘れない意識を、己に求めるべきなのか。



たとえどんなに自分を可愛がって綺麗にした所で

其れを見て愛でてくれる他人がいなければ意味など無い。


己を磨く事

それははすなわち

己が他人の目に優しく強く映える事なのだろうか・・・。


NO.18


Sadistic*Sweet


そうね、貴方達が在ったにもかかわらず後ろ向きな性分なんておかしい話ね。

仕事は定まった。

あとは如何にあたし自身がこの子たちの実力を存分に吸収して如何に映えさせることが出来るのか。


要は精神の在り様が最も重要なのかもしれない。


女は変わる事を常としている所が好き。


NO.17



結局、永遠とかそんな言葉は

現実の前では無力だ。と


そう感じる今日この頃。



特に人間の生に関わる事柄に関しては尚更。

だって何よりもまず人間の存在自体が諸行無常でしょ?

そんなちっぽけなのが宇宙の歴史以上の時間を

如何にかして手に入れようとするのは不可能な事。


だからそれなりに身の程を知ったつもりのあたしは

何事においてもそうだって肝に銘じておかなきゃならない。


温かいものは熱を持ってるから温かい。

その熱が逃げてしまえば、冷たくなってしまう。

だったら温かいうちに昇華すればいい。


自分が熱を持っている事を認めた以上

あたしは温まった感情を一滴残らず飲み干すつもりだ。


何事においても。


だからあたしは、明日もまたきっと昨日と同じ人や物にときめき続けるのだろう。


NO.16


Sadistic*Sweet



自宅の玄関にあった

名前を認知して居ない花が散った。


こういう時、本当に現代の映像技術に進歩を望んでしまう自分。

あたしの網膜に映ったこの花びらの色が、そっくりそのままみんなの目に映れば好いのに。


兎に角

その花が咲き誇っている時よりも

むしろ散った後の艶やかさがあたしの目を惹いたというわけだ。



虫に媚びる役目を終えてもなお

その艶を失わないでいる鮮やかな紫色。

此れは本質的な美しさが成せる業なのか

己の持つ本来の、誰の為でもない美しさがそうさせるのか。


何にしろあたしは紫と灰色のコントラストに心を惹かれる傾向があるらしい。

NO.15


此処最近の環境の変化の著しさに圧倒されている。

きっと二ヵ月前の自分には今の状態なんか想像さえつかなかっただろうな。


しかしそれ以上について行けてないのは最近の自分の変化模様


あたし弱くなったな。



どうやら何も無い方が強かに生きられるのは野生生物も人間も一緒みたい。



あたしは今

こうやって想い合える人達から与えられた安堵を抱きながら眠る事を覚えて

その上今まで自分で護って居たモノを崩す事まで認められて

だから何処か其れに甘えてる自分が居る


あたし脆くなったな。



あんなにも頑なに生きようって決め込んでいたのに

さよならで全部が無くなっちゃうのは厭だからって護ってたのに

そんなモノさえ流れて行くのを黙って見過ごしている自分が居る



護られること、包まれること、許されること

それは多分幸せな事なんだろう

そして其れを知ったあたしはおそらく幸せな女なんだろう。


だから

其れらの本質を失わないように居なくちゃ

優しい言葉をかけてくれる全ての人に、あたしがあたしとして接する事が出来るように

こうして覚えて来た優しさを壊さないように


NO.14


焦燥と杞憂を沈める術を見つけかねている。今に始まった事ではないが。



兎に角何につけても後ろ向きに考えるのがいけないという事は判っている。

しかし理性で制止出来ても無意識の域で虚脱感に見舞われてしまう辺り

最早これは性格とか個性とかそういった単語で片付けられてしまうモノなのかもしれない。


何よりも疎ましいのは、そういったメランコリックに悩まされている時に余裕を失くすこと。

本当に強い人は辛い時にこそ笑って居るのにね。

ふと我に返った時、この事の難しさを繰り返し繰り返し痛感する。


もっと精神的に大人になれたら、

こんな事に容量を侵されない余裕を持つ事が出来たら。

依然として無いモノ強請りを繰り返しているのが実情だけど。


もう時間だ。

稚拙な文章を途中で書き止めることも厭わしい事ね。





NO.13



八月の空気が名残惜しさを孕み始めたというのに

真夏に猛威を奮っていた熱気は相当往生際が悪いタチと見た。



私生活で水族館に行ったのは何年ぶりの話なんだろう。

その中で、水を見るという行為が、こんなにも「視覚から涼を得る」事を

容易くするものであることを覚えた。

(此処で文章を興すなら写真の一つでも撮って来るべきだったかと今更悔んでいる)



一つの建物の中に、北極付近から紅海まで

様々な場所に生息している生物が集結していた。

ともするとそれが人間であれば、世界中の人間と友達になれる好機だ。

しかしその事を本人(本魚?)達は知らないで居るのだろう。

その事が何とも切なさを感じさせる。


生きている場所が違うとこんなにも世界は狭くなってしまうのね。

それは人間も然りか。

だけどその狭さ故あるいは無知さ故、


あたしはまた昨日一昨日と同じ人にときめく事が出来るのね。


NO.12



Sadistic*Sweet



ipodのハードケースを買った。

クリアボディーに数多の星をあしらった中々洒落たモノ。

値段は、此れがその値段相応の働きをするのかを一瞬疑うぐらいだったが

「毎日使うものだから」という発想からこの子があたしに購入される流れになった。

実際、ipodで音楽を聞かない日は無い。


よく他人にも話す事だが、あたしは起きている時間の殆どを

音楽を聴いて過ごしている。

大学の授業がある日はともかく、家にいる時なんかは本当に延々と。


本当に、音楽はあたしにとって無くてはならない存在だと断言できる。

それこそ酸素を吸う事を覚えたばかりの頃から、

ある時は機嫌を取るため、ある時は子守唄として

あたしの耳を刺激して来たからというのもあると思う。



変な話、音楽はあたしの大切な「理解者」なのかもしれない。

あたしの感情を肯定も否定することもなく、

唯あたしが其れを垂れ流す事を許してくれる。


そして音楽によって垂れ流された其れらは、

やがて音を立てる事もなく昇華していくんだ。

ある時は怒り、ある時は孤独感、

またある時は喜びを音楽に流すことであたしは甘えている・・・

兎に角感情の有り処としての音楽には、本当に強かな包容力を感じて仕方がない。


あまりに悲しくなったり泣きたくなった時に

立ち直る術の一つとしてあたしが携えている、

「大音量で音楽を聞く、あるいは歌を歌う」という行為は

その一瞬の間は精神的に空っぽになれるからが故なのだろう。

全てを受け入れてくれるモノが其処に在るからが故なのだろう。



何もしなくても善い、唯在ってくれれば。そしてこの先あたしに添い遂げてくれれば。

それだけで好い。




NO.11


Sadistic*Sweet


大学に通学の際にお世話になっているみどり台駅と、その隣の稲毛駅の間を

何も考えずにひたすら自転車で走った事がある。

最初は軽い気持ちで、「時間つぶしに」とみどり台から延びる線路を辿っていたのだが、

気が付いたら隣の駅に着いてしまっていた。



自転車を走らせるのとても単純な行為。

ただ、「此の両脚に交互に力を込める」だけ。


それなのに、

その結果として起こった結果の前にただならぬ全能感が込み上げてきた。

自分が凄く人間らしい人間だと思った。


単純で地道な行為、それこそ唯ペダルを延々と踏み続けるだけで

知らない場所に行けるという可能性が広がる事を知った。

(因みに京成稲毛駅の外を走ったのは此れが初めて)


何事もそうなんだと思う。

何かを遂げるのに必要なのは、

それをやってやろうという心意気と

地道な根気なのかもしれない。



逆に何かを成し遂げる事自体は本当は難しくないのかもしれない。

唯、勇気が要るだけで。



地道で簡単。でも難しい事。

それを乗り越えるのが全ての挑戦の本質なのかもしれない。

こんな風に言ってしまっては若干大袈裟かもしれないけど。



みどり台への帰り道、線路沿いであたしを出迎えてくれた向日葵はすごく明るかった。

夏、ってこういう事か。