私は子供たちとよく
会話と対話をします。


会話とはわたしの意見や考え。
対話は相手の考えを聞き受け入れる。


部屋を暗くしてベッドに入ってから
晩ごはんを食べてるとき。
絵本を読みながら。
リラックスしてるときは
脳。
要はクリティカルファクターが
開いていて
考えられ出やすいから。
そんなときにします。



要はディスカッションですね。
こんなことよくしてます。



そのうち私が大切と思ってることの一つ


『人に親切にすること』


このことは私は非常に大切にしてます。
なぜなら人間生きていくうえで
一番と言っていいくらい大切なこと。
だと思ってるからです。


子供たちに
親切にすることってなんだと思う?


と聞くと
優しくする。
なんて答えが返ってきます。


そこで
優しくするってどんなこと?
と突っ込んでいくんですね。


そうすると
貸してあげる。
ケンカしたらごめんねという。
困ってたら助けてあげる。

なんて
考えがかえってきます。
全てうんそうだね〜。


と肯定します。
だってそうおもってるんですから。


でね私は子供に
親切にするには
『その人のことを思って
親切にしてはいけない。』


といってます。
普通その人のことを
想って親切にしますよね。




でもそれはいけない。
といいます。
これはねイスラム教の考えなのですが。。



その子に親切にして
もし嬉しい顔をしなかったらどうする?
と。



きっと何で?
と思い
もうしたくない。
やってあげたのに何で。。


という否定的な感情
が湧き出てくると思うんです。
今まで思い返すとありませんか?



なので私たちは
アッラーが望んでるからするんだよ。
たとえお友達が嬉しい顔をしなくても
嬉しいか
嬉しくないかは
友達の考え。


でもこれをするのは
アッラーが好きだから。
アッラーが好きなことをすれば
お友達から感謝されなくても
アッラーから報酬がもらえるよ。



だからたとえ感謝されなくても
ちゃんとアッラーが見てくれてるから
友達から感謝されなくても
いいんだよ。



と言ってます。


そうすると
色々な考えが浮かぶんです。


• 本当に嬉しくなかったのかな。
• 言いたかったけど恥ずかしくて言えなかった
でも心の中でいってたのかな。
• その時苦しくていえなかったのかな。


なんて。
色々理由が浮かぶんです。



人はね絶対に困るときが来るように
作られてます。


それはね困って神様のことを
感じるためでもあるのですが


人は決して一人では生きられません。
自分のよわさを
感じること。


傲慢にならず
謙虚でいること。


一生懸命やり出来ない場合は
人の力を借りるのは
決して恥ずかしいことではない。


だから家族があり
人と人が助け合い
生きていき
お互いを支え合い
繋がり
助け合っていくこと
人の有り難みを感じ
喜びを知れるんだよ。


お母さんもお父さんなしでは
大変だよ。
お父さんだってお母さんなしでは大変だよ。
お父さん、お母さんだって
子供がいなければ寂しいよ。
男がいて女がいて赤ちゃんができる。
大人がいて子供がいる。
お母さんがいるのもおじいちゃんおばあちゃんがいるからいるんだよ。



こうやって人間は対でできてるんだよ。
対で出来てないものは
アッラー以外何一つないんだよ。


支え合うことは
決して恥ずかしいことではなく
当たり前のことなんだよ。


こんなディスカッションをよくします。


子供のころ話したことが
形成され人格になる。


私ね話し子供の前で
あえて寄付をします。
困ってる人がいたら声をかけます。
(別に凄い人間をアピールしてません。)


寄付をすること
声をかけることで
子供に見てもらい当たり前に
なってほしいんですね。


一番大事なきょうだい、親、家族。
そして世界を
支えてくれる子供になってほしいなと
願ってます!


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