撮ったらすぐに画像をフォルダ分けしょうと思いつつも
中々する時間がないんですよ滝汗と言い訳してみましたが
増え続けていく画像をどうしたら片付けするやる気が出るだろうかと
考えてみた照れ

片付けながらブログを書く=画像がフォルダ分けが出来る
これなら出来るだろうと「やろう」と決心口笛(笑)

 

その①がロータス・フォートです。

フォートというのは砦のことです。

イスラマバードより南にあります。


 

パキスタンにはたくさんの砦の遺跡などが点在しています。
街に浸透してる砦「え~~ここ砦やったの?」みたいなのもあります。
そのたくさんある中でこのロータス・フォートは行ってみたかった場所でもありました。

ジェーラム市の北西16キロメートルの位置にある文化遺産で16世紀にアフガンの英雄シェール・シャーが築いた要塞・砦がロータス・フォートです。

 

広さは12.63エーカー.

くまのプーさんの森は100エーカー。
プーさんの森より小さい。

ピンとこない…

平方メートルにすると51111.797平方メートル。
プーさんの森より小さいがとっても広いと言うことが分かった。

中には集落があって昔も今もここで生活をしています。

 

ロータス・フォートは16世紀にアフガンの英雄シェール・シャーが築いた要塞・砦です。
アフガン出身のシェール・シャーはムガール帝国第2代皇帝フマユーンを破りムガール帝国を北インドから駆逐して、デリーを支配し、スール朝を拓きました。
スール朝はアフガニスタンからパキスタン、北インドを支配する帝国でした。
ムガール帝国は、この時、一旦、滅んだことになります。

シェール・シャーは北からの遊牧民の侵攻に備えて、この要塞ロータス・フォートを築きます。
シェール・シャーの死後、フマユーンの反撃にあってスール朝は滅び
ムガール帝国が復活します。

ロータス・フォートは難攻不落と言われながら、一度も実戦を経験することなく、短い使命を終えました。

 

シェール・シャーこんな人。

スール朝の創始者(在位:1539年12月 - 1545年5月22日)。
ムガル帝国を崩壊に追い込むほど圧倒し、今のアフガニスタン、パキスタン、北インドを支配する帝国を築きました。

自らを「真のスルターン」、「諸王の王」と称し「トラの王」の名前も知られている。
スール朝はアフガニスタンからパキスタン、北インドを支配する帝国でした。

シェール・シャーは非常に優れた人物だったようで、帝国の州を県という行政単位に分け、県ごとに行政官と司法官を任命しました。

そして公平な司法を行い小作人の権利を守ったため、民の信頼も厚かったそうです。
またイスラム教徒とヒンドゥー教徒の融和を図ったり、税率を変更したり通信機関の改善を図ったりと多くの善政を行いました

 

作った目的は何?

 

建設した目的の1つに、カナウジの戦いでインドから追放されたムガル第2皇帝フマーユーンのインド復帰を阻止する目的があった。

ロータス・フォートは、現在のアフガニスタンとパンジャーブ平原を結ぶグランド・トランク・ロード上にあり、
ペシャーワルからラホールへいたるルート防衛の要衝であった。

第2の目的に、現在のパンジャーブ州に広がるポートーハール平原に居住していた諸部族を抑圧があった。
これら諸部族は、フマーユーンと同盟関係にあり、シェールと友好関係を築くことを拒否していた。

ポートーハール平原に居住していたガーカル族は、現在のスルターンプルにいくつかの要塞を建設し、シェールに逆襲を展開する。
これらの要塞は現在も残っています。

建設にかかった費用

 

ロータス・フォートの建設は、1541年に始まりました。
この地に居住していたガーカル族は、城塞の建築に対して
協力姿勢を採ることはなかった。

建設を指揮したトダール・マル(Todar Mal)はシェールに対して建設が難航している状況を報告したが、シェールは「建築に関して費用を削るつもりは無いので建設に邁進してほしい」と励ました。
とはいえ、ガーカル族のボイコットは、ロータス・フォートの建設に大きなコストとして跳ね返ったようです。

 

これだけの砦ですので莫大な費用が掛かったと思われます。
たくさんある砦の中のひとつを紹介しました。