私の名前は、「唯」と言います。
本名は、由衣の字を充てるのです。唯というのは、いわゆる、源氏名です。
私が三年前に、池袋のSMクラブで働き始めたときに、その店のオーナーだった 小山田という男が、
「『天上天下唯我独尊』の唯でいけ。お前はきっと売れる。いや、俺が売ってみせる」
といって、名付けてくれたのです。
そのとき私は、小山田が何を言っているのか、わかりませんでした。「天上天下唯我独尊」というのは、お釈迦様が生まれた時に言った言葉だということは、ごく最近、自分で仏教の本(といっても、簡単な入門書ですが)を読むようになってから知りました。
小山田は、仏教徒というのではないが、その手の本をたくさん読んでいるようでした。左手には、数珠を何重にも巻きつけていました。「押し出しを、強く見せるためだ」、口癖のように、そう言っていました。
「押し出しを、強く見せる」という言葉も、私には、了解できないものでした。しかし、小山田を見ていれば、その言葉の意味が、何となくわかったような気になります。
綺麗な男で、当時、三十六歳でしたが、せいぜい、二十代半ばにしか見えません。色白で、睫が長く、痩せぎすの躯でした。しかし、やや小柄であるために、どこか貧相に見えるのです。そしてそのことを恥じ、絶えず苛立っているようでした。
私が勤め始めた三年前は、風俗の景気が、そろそろ下火になってきた頃でした。小山田はSMの店だけでなく、いくつかの風俗店を経営していました。経営状況が悪化するにつれて、小山田は億単位の金を、銀行から引き出しては、資金繰りに充てていました。もともとは金融会社の取立てからはじめた小山田は、金貸しもやっていて、銀行にはかなり融通がきくようでした。
当時、私はすでに、29歳でした。風俗をはじめるには、遅すぎる年齢でした。
SMクラブに行こうと思ったのは、自分の年齢のためもありますし(お店のプロフィールには、25歳で出ていましたが)、普通の風俗店よりも、バックが良かったためもあります。
どうしても、お金が必要だったのです。SMに特別な興味は、なかった。
そのとき、私には男がいたのですが、銀座ではじめてのピンパブ(フィリピン・パブ)を作って、それをわずか半年で潰してしまい、多額の負債を残したまま姿をくらましてしまっていました。その男のために、サラ金から500万の借りていました。それが三ヵ月後には、650万に膨らんでしまい、返済に追われていたのでした。
入店してわずか三週間で、私はオープンからラストまで、びっちりと指名で埋まるようになっていました。私のどこがいいのか、自分ではわからないのですが、中には一日買占めの客というのも、現れるようになりました。
SMのお店には、女の子にサービスの流れを教える、「講習」というものがあります。
講習のないお店もあるようですし、また講習専門の業者に任せる場合もあるようですが、私にはじめて縄を教えてくれたのは、小山田でした。
私が大柄であるせいか、S嬢もできるとお店のプロフィールには勝手に紹介されてしまっていました。しかし基本的には、私はM嬢です。私が売れっ子になっていくにつれて、小山田は私が金になると、踏んだようでした。跳ばれたら(他の店に移られたら)困るからと、私を繋ぎ止めておくために、私を自分のマンションまで呼んでは、定期的にM嬢としての「調教」を、施すようになっていったのです。
(小山田という名前は、もちろん仮名です。これからこの手記に出てくる人たちの名前は、いちいちお断りはしませんが、すべて仮名であることをご了承ください。この事件のことを、まだ覚えている人たちも、おりますので)