皆さま、桃太郎へのメッセージをたくさんいただきまして、本当にありがとうございます。

本日は、恐れ入りますが、左團次の家内が代役を勤めさせていただきます。

皆さまからの温かなメッセージを読みながら、手術の決断から今日まで、

いつも私たちに寄り添い、励まし、祈り続けてくださった皆さまに、

どれほど支えられたかと、振り返ってみまして、改めて胸がいっぱいになりました。


そんな皆さまの中には、ご自分の大切なご家族や、

一緒に暮らすワンちゃん、猫ちゃんが病気をされている方もいらっしゃいました。

そのような状況で、桃太郎のことまで気に掛けてくださいます優しさに、心を打たれます。

どうか、大切なご家族の病状が必ずや快方に向かいますよう、心から祈らせていただきます。



そして、とても悲しいことに、愛する家族の旅立ちを経験された方もいらっしゃいました。

ワンちゃんや猫ちゃんを飼ってらっしゃる方にとっては、

動物という感覚はなく、どなたもきっと当たり前に我が子ですよね。

そう、でもそれは、確実に自分より寿命の短い子どもです。

考えてみれば、これほど悲しみが約束された運命があるのかと、胸を突かれます。

でも、もし愛する子どもより、自分が先に死ぬような事になったら…。

その無念は、まさに死んでも、死に切れないというものです。

ただ一心に自分を慕い、生活のすべてを信頼して委ねてくれる我が子の前から、

ある日、自分がいなくならなければならない日がくるとしたら、

残された我が子の気持ちを想像しただけでも、これ以上に恐ろしいことはありません。

言葉で理解させることは難しいので、きっと戻って来ることを待ち続けるでしょう。

自分の元で、一生を終えさせられたということは、

生き物を飼う上で、一番重要な責任を全うしたということだと思います。

言葉を話せない我が子のことですから、どうしてあげるのが一番良かったのか、

何かもっとしてあげられたのではないか…と、幾度も考えてしまうかと思います。

私自身も、桃太郎のお姉ちゃんのももを7年前に17歳で亡くしてから、

今だに、その考えに捕らわれてしまう悲しい時間があります。

ですから、今私のこうして書いている言葉が、

悲しみの中にいる方にとって、気休めにしかならないこともわかっています。

でも、ほんの少しでも、お心を安らかにしていただきたいと、切なく願っております。




精一杯の愛情を注ぎ、その時が来るまでの、一日一日を大切に共に生きる。

そのかけがえのない愛しい時間が少しでも長く続きますよう、

祈りを捧げながら、今ある幸せを決して当たり前と錯覚せず、

平凡に思えるささやかな日々に感謝しつつ、私自身過ごしていきたいと思っております。

そして、これから先、悲しみの時も、喜びの時も、

今ここに、こうしてお集まりくださる皆さまと、共にありたいと願っております。

どうぞ、これからもよろしくお願い申し上げます。

















これは数日前のお台場での写真です。

この二日ほど、主人に予定がございましたので、私が代役をと思っておりましたが、

自分の想いを文章にすることに、今回はとても時間が掛かってしまいまして、

更新が遅くなってしまい、誠に申し訳ございませんでした。

ちなみに主人は元気にしておりますので、ご安心くださいね。