ナポレオンの肖像画家ジャン・ゴロ | さむたいむ2

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「アルコン橋のナポレオン」を描いたのはアントリーヌ=ジャン・ゴロ(1771~1835)です。
 
彼は6歳からミニアチュール(細密画)家の父から絵を学びました。しかしフランス革命により生活が激変して、父の死後、イタリアのジェノヴァへ向かいます。そこで父から受け継いだミニアチュールを描き続け、旅先のフィレンツェでジョセフィーヌ・ド・ボアルネに知遇を受けます。そしてそのジョセフィーヌに連れられてミラノに向かい、彼女の夫ナポレオン・ボナパルトに会ったのです。
 
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ナポレオンの絵というと、このダヴィッドが描いた「アルプスを越えるナポレオン」(1801年)が有名です。ジャン・グロもダヴィッドの弟子となっていますが、当時の画家は最大のパトロンであるナポレオン一世を描くことを栄誉としていました。しかしジャン・ゴロはそのなかでもナポレオンとは緻密な繋がりがあります。
 
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この「クリスティーヌ・ボワイエ」(1800年)はナポレオンの弟リュシアン・ボナパルトの依頼で、彼の夭折した妻を描いたものです。直接会ったことのないクリスティーヌを如何にして描いのでしょう。写真機のない時代に夫の回想をもとにしたに違いないのですが、そこには親密さがなければ描けなかったものもあったはずです。
 
私はジャン・ゴロがナポレオンの身近にいて、英雄視のない唯一肖像画家としてその使命を果たしたひとと思います。
 
 
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画像が小さくてわかり辛いと思いますが「アイラウの戦いにおける野戦場のナポレオン一世」(1808年)はジャン・ゴロならでは緻密性の高い絵画です。しかしこの古典主義に徹した画風が新たなロマン主義絵画に追われることになります。そしてセブール近郊のセーヌ河に身を投げ64歳の生涯を終えてしまいます。
 
もしかしたらナポレオンの栄光に追従したのかもしれません。