今月の初め、

「バイの物語」を観にいきました。

ジェームス・キャメロン監督。

「アバター」以来ですが、映像が綺麗で、物語はファンタジー。

ベストセラーですが、読んでません。

少年パイは、10歳なのにカミユの「異邦人」を読んでいます。

「異邦人」といえば、若い時に読んで、解らなかった本ベスト3の中に入ります。

きっと今読んでもわからないんではないでしょうか?

でも、カフカの「変身」は大人になって読んでみて、うなづけたところまではいけました。

この少年パイが、小さな救命船に何と虎と一緒に漂流すること200日・・・

ファンタジーと思ってしまいますが、なんとこれテーマは、人はなぜ生きるのか?

このテーマがあってるかどうか、ワタシの考えですが、哲学が物語りの骨組みになっているのです。


考えれば考えるほど???

わからないまま、劇場を出て、ふと目にしたのが、カミング・スーンのパンフレット。

「草原の椅子」 邦画です、佐藤浩一が小さな少年と一緒に写っています。

「宮本輝だ、あの本が映画になるんだ」

あの本は、宮本輝の「川シリーズ」を読んだ後、線引きしたように、他の本を読み出したワタシに

同じ会社で働いていた、20代の女の子に「これ、よかったら読んでみてください」と手渡された

本です。このころ、なぜか若い女子にもてたんですよね。中肉中背短足、けっして宝塚の男役

タイプではありません。が、中身はそこらの男の3倍は男らしかったと、毎晩のみ歩いてただけ。

「泥の河」「蛍川」「道頓堀川」とどちらかといえば、泥臭いというか人間臭いモノクロな物語

なのに、なのに。。。

「草原の椅子」ったら・・・

もう、一気に読んでしまった上下巻ある長編小説です。

その後は取り付かれたように、あれもこれもと宮本文学を読み漁りました。

その、きっかけとなった「草原の椅子」

全く、物語が思い出されないんです。

パンフレットのあらすじを恐る恐る、読んでみました。

その中の、誰一人登場人物を思い出すことさえできません。

あらすじのあの字も思い出せません。

えーーー

こんなことってあるんでしょうか?

ほんとにミジンも思い出せないんです。

宮本輝に再度、心を動かされた記念すべき「草原の椅子」

川三部作は、もちろん全部覚えています。登場人物の名前も覚えています。

なのに、そのずっと後に読んで感動したはずの「草原の椅子」

もう許せません。

きっと、押入れのあの箱の中にあるはず。

頭をつっこんでみるも、ありません。どこを探しても。

あっ そうだ。

あの本は

あの同じ会社の女の子に借りて読んでもちろん返したんだわ。

その後、文藝春秋の文庫を何冊も買って読んでいます。

文春の文庫の表紙は、全て「有元利夫」の画だから覚えている。

そしてだいたいの物語のあらすじはちゃんと覚えています。

映画やドラマになっているから、覚えてるのかもしれない。

リベンジ

リベンジってへんだけど、

一番近くの古本屋で上下巻買ってきました。

どこらへんから思い出すやら。

頭は真っ白な状態です。

じぶんのことばばあとよぶんだとイキガッテましたが。

ほんもののばばあになったようです。

もともと記憶をツカサドル前頭葉に障害がある身、すでに認知症への道を歩いているのでは?

老いるということだけは、普段の努力の成果が全くうらぎられる情けない時間の経過。

どんなに思い描いても、ワタシ以外のばばあにはなれない。

果たして何ページ目から記憶が戻ってくるやら。

今夜からリベンジです。

この物語、50歳の男が親友を見つけて、人生の再生を考えるお話なんだそうです。

さあ、お風呂へ入ってから読み始めます。

感想文も後日書くつもりでいます。