幸・不幸の感じ方ほど、主観的なものはないと思うんです。



 絵に描いたような家に住んで、御主人は公務員、もしくは、会社員、

朝出勤して、たいていは夕方帰宅、しばらくすると、庭に面したリビングから、笑い声

主人は、奥さんがこしらえた好物の一品で晩酌をしながら、その日の出来事を話す子供

達に目を細める。休日には決まって家族で、どこかへ出かけ、いつも、いつも笑い声が

絶えない、近所の評判もよいし、なんせ、子供の躾が素晴らしい。

近隣のおじいさんやおばあさんにまで、季節の挨拶が出来る。小学生のくせに。

 
端から見たら、なんて幸福な家庭なんだろう、端の人より何より、当の家族が、幸福に

満ちている。輝いている。薔薇や星を背負っている。

主観的にも客観的にも、、間違いなく幸福な家庭像。。。と思いたい。

 しかし、不変ではない、日、一刻と事実は変わっている。

 
一方、河を挟んだ、山の斜面に建っている、古びた公営住宅の2DKからは、いつも罵声

が、聞こえる。父は職人だったが、ちいさな建設会社が倒れると、当然、下請けも皆倒産。

 やけになって、荒れている。母は朝一番、自給の高い時間帯にコンビニへ、その後は遅く

までスーパーで働くも、一家の暮らしは楽にはならない。

子供達の笑い声も聞こえなければ、母はここ何年も、美容院へ行ってはいない。


端から見たら、なんて不幸な家庭だろう、端の人より何より、当の家族が、不幸に

満ちている。ただただ、毎日が続いているだけの、モノクロな家庭である。


主観的にも客観的にも、、間違いなく幸福ではない家庭像。。。と思うのが自然です。

 しかし、不変ではない、日、一刻と事実は変わっている。




 両極端な家庭の描写ですが、端の私達が思っているほど、当人達は幸・不幸を感じて

るのでしょうか?主観と客観は違う?それとも同じ?


 模範的な公務員家族(公務員家族の方、不快に感じられましたら、お許しを)はこの

輝くばかりの家族の幸福を壊さないように、未来永劫まで続くように、いえもっともっと

幸福になるようにするには家族全員の一致団結した、努力が不可欠です。

何にも代えがたい家族の幸福、そのためには、周りの不幸に目を向ける余裕などありません

はっきり言いましょう、自分たちのことだけで、精一杯なのです。

そのこと事態は、少しも悪いことではありません。自分の家庭の幸福を考えてどこが悪い

自分の家庭の幸福を守れないような男は一人前じゃない、守るためならどんなことでも

出来る、やってやる。皆がそう考えることが、人類の平和への第一歩でありましょう。


 これ、ワタシは究極なエゴイズムでしかないと考える、ひねくれモノです。

今日の記事のタイトルは、またかと言われるかもしれませんが、太宰の遺作となった

短編「家庭の幸福」です。昭和23年8月1日発行の「中央公論」に作者没後に発表

されました。まだ中学生だったワタシは、父の本棚の中の、太宰治全集を一冊づつ、

持ち帰り、読みふけったものです。


 当時のワタシの境遇は、両親の離婚によって、物心ついたころより母子家庭で育ち

まだまだ、母が恋しい時期にそう遠くもない中高一貫の学生寮に放り込まれ、毎夜

2段ベッドの上、近い天井を見ながら、両親のいる温かい家庭とはどんなものなのか?

兄弟とはどんなものなのか?幸福とは?不幸とは?

 淋しいことは、不幸なこと? 一人ぼっちは不幸?

大好きな母親に、甘えられないワタシは不幸? 時々見かける、父親と新しい妻と娘の

幸せそうな家族を遠くから。。。。電信柱に隠れてるワタシは不幸? 



 ジェーン・エアを読んでも、小公女を読んでも、アニーを読んでも、足長おじさんを

読んでも、ちっとも慰めにならなかった。

太宰の「家庭の幸福」を読んだ時、あーワタシは不幸なんかじゃない。

家庭の幸せなんて、こんな窮屈なものなんだ。

 家族みんなで頑張らないと、幸せになれないんだ、なんて閉塞的で、身勝手なの。

その上、役所の戸籍係のおとうさんの、無神経きわまりないあの態度、物差しで計った

ようなものの考え方、自分の家族だけに優しいおとうさん。

目隠しされた馬車馬のように、周りを見ないで家族の幸福のためだけに走るおとうさん。

そんなお父さんを尊敬してやまない、妻と子供たち。



 中学2年でワタシはすっかり太宰と同じ思想を持つ恐ろして、孤独な、そして自由で

休みの度に、中華食堂の厨房や、化粧品店の裏口やら、畳屋のおじちゃんの仕事場やら

肉屋の大きな冷蔵庫の中で、血の繋がらない家族に、頭をこづかれたり、おっぱいを

触られたり、持って帰った体操服を洗ってもらったりして大きくなった。

 もしも、ワタシが公務員(ごめんなさい)の一家の幸福な一員として大人になったと

したら。。。。

 人の優しさ。。。不器用で、ぶっきらぼうで、かっこ悪い、親より恐い、そやけど

悲しいくらい懐かしい、泣きたいくらいありがたい。

 そんな、トンチンカンでけったいな、いつまでも胸の中で湯たんぽみたいに温かい

キャンディーの缶に入った宝物。どんな小さなことも忘れない、けっして。



 町内で、きっと変な奥さん、おもしろいおばちゃんと思われてると思うけど

13歳のあの時から、今まで、

太宰が教えてくれた、おそろしい結論。

『家庭の幸福は諸悪の本(もと)』

このことをフマエテ生きてきた半生は、何度も結婚に失敗し、家庭をつくることが出来な

かったのですが、自分を不幸だと思ったことは一度もありませんでした。

 ただ、これはワタシの主観でして、親戚一同、「ベー子の不幸だけは、見ておれん」

あんたらこそ、胸の中に宝物を持ってるか?


  今夜もまた、なんや斜ムコウからモノを見たような、勘違いしたおばさんの

思い違いな記事ですが、お付き合いしてくだすった方、ありがとうございました。


PS.「脚立折りたたみおしゃれさん」、「米びつスリムおしゃれさん」

 毎日、ブログ記事からのペタ、お疲れじゃなかったらいいんですけど。

 今のところ、脚立も米びつも、便利なものを持っていますので、購入計画はありません。

 悪しからず。