多感な年頃と言うのは個人差があって、随分幼いころから、そんな風な子も

いるけれど、やっぱり平均的には、思春期の中学・高校生のある時期でしょうか?

自意識が強くて、誰もなんとも思っちゃいないのに、ふさぎ込んだり、なんでもないことを

を恥ずかしがったり、とにかく、神経過敏、傷つきやすい、情緒不安定といった一連の

ネガティブな感情の揺れる時期だと思うんです。

 

 ワタシは、反抗期という時期が全くありません。親に反抗したことがないんです。

父は、早くから再婚をして、他所のおとうちゃんになっていますから、時々逢って

食事をしたり、演劇を観たり、美術館へ行ったり、文化活動?を義務的にやってくれて

いました。でも、中学2年生の時に約束を断るようになったんです。

「友達と図書館で勉強する」「絵画教室の課題の絵が描けてない」

理由をつけて、父との文化活動を断るようになったんです。

 父は少し淋しそうでしたが、たぶんワタシが多感な年頃になったんだと察してくれて

「美味しいもの食べたくなったら、電話して」と言って父からの連絡は遠ざかっていき

ました。心の中で父のワタシへの行為が義務的だと感じていて、断ることで反抗心を

満足させたのだと思います。本気の感情をぶつけることなんて、とても出来ません。

夢の中では、「おとうちゃんの馬鹿」と何百回も言い続けていました。

 子供心に、母とワタシを捨てて、自分だけが新しい家庭を作って幸せになったという

周りの大人達の話の端々を繋ぎ合わせた物語を作っていたんです。

 バランスの崩れた、見るも無残なヘタクソなパッチワークです。

誰が悪いのでもないんです、父と母との間の川が急流になって渡れなくなっていったこと

は。大人になると、わかるんですが、子供のワタシには理解できるはずもありません。



 今でも、家が水商売をしてるとこの子供というのは、普通?サラリーマンの家の子供より

も大人っぽいと思われがちです。子供時代にあえて知らなくてもいいことを知ってる。

両親が、レストランや喫茶店をやってるとか、居酒屋をやってるとかとまたちょっと違っ

て、母親が小料理屋とか旅館とか、ましてやピアノバーをやってるとなると、すごくマセタ

子供のように周りは思っていると思うんですが、小学校を卒業するとすぐに寮生活が始まり

ますので、そこから先は、上級生のお姉さん達からの情報なので、大人といっても高校3年

生までの知識です。今思えば、狭くて独特な世界です。

その、世界にどっぷりと10年間つかっていました。そこで多感な年頃を迎えるんです。


 土曜の授業が終わると月曜の朝の授業までが自由時間です。

家に帰っても、家族が待っている家ではありません。それでも、我が家、ワタシの部屋

それなりに、はやる気持ちで土曜日は嬉しくてウキウキしていました。

中学3年ころには、お店の裏、厨房とちょっとした控え室みたいなところへの出入りを

許されてたので、夜淋しくなるとお店へ出かけました。

 文ちゃんが、裏にいます。オードブルやらフルーツの盛り合わせを作っています。

お店では、お客さんやホステスさんの声に混じって、ママの笑い声も聞こえてきます。

ピアノを弾いているのは、若くて男前なピアニストです。

しばらくすると、ママの歌声も聞こえてきます。ママはこうちゃんの大ファンです。

だから、シャンソンが大好き、ジャズが大好き、シャンソンと言えば基本恋の歌です。

 ママは綺麗な上に、歌が上手く、いつもシャネル風なスーツを着ています。

ヘアースタイルはソフトクリームのようでした。

そんなママがよく歌っていたのが、この歌です。




YouTubu

 歌の意味はもちろん解っています、でも自分のママが感情を込めて歌ってるのは

恥ずかしい。すごく恥ずかしかった。誰にも聴かせたくないほど恥ずかしかった。



もう一曲、この歌もよく歌っていました。

こうちゃんじゃなくて裕ちゃんに歌ってもらいます。


Youtubu

 「爪」「あいつ」

別れてしまったけど、別れた原因は自分にあるの。

まだ、あの人が好き。

出来ることなら、やりなおしたい。

。。。これママの本音が入った歌だったかもしれない。




学校も無事に卒業、社会人にならずに、幼い結婚、離婚、一人暮らし。

バツ一で、社会人、また恋、結婚、また失敗。。。。

そんなワタシも、なんとか大人。

酸っぱいことも、甘いことも、微妙にわかるようになったかも。

ママが歌ってた「爪」「あいつ」を歌ってみる。

歌ってみる、歌ってみる、歌えるかな、声が出ない、歌えない。

イントロを聞いただけで、歌えない。

ママの気持ちが入ってきて、胸が苦しい。


 「若かったのね、おたがいに、あの頃の事嘘みたい

  もう、しばらくはこの道を、歩きたくない、なんとなく

  あたしのことは大丈夫よ、そんな顔してどうしたの。。。」


両親のいがみ合い、ケンカを見たことがありません。

離婚はママにとっても、ワタシにとても晴天の霹靂でした。

おとうちゃんは、一人で着々と違う道を生きることを計画していたのでしょうか。

ママは夢の中で「おとうちゃんの馬鹿」って言ってたかな?

言わなかったと、思う。

ママはもう大人だったから。

ワタシにはわからない、二人の別れの原因がママにあると自覚してから。



父の再婚後。。。

ママとワタシのひとりぼっちどうしで、ふたりの不思議な生活始まりました。

今、時々こうして蓋を開けては、セピア色なこんなこと、あんなことを引っ張り出して、

それらに、新しい色をのせて、ヘタクソなパッチワークをリメイクしています。





多感な年頃は。。。。大人になってもずーと続いて、人との関係をうまくすすめて

いけない、生き辛さをいつも感じるワタシです。

ブログの中のツレとの生活風景は、どうでしょう、生き生きとしているでしょうか?

明るくて、元気なおばさんでしょうか?

嘘、偽りのない日々の話を正直に書いています。



メッセージをたくさんいただきます。

とくに思うこともなく、コメント欄を外していました、だから、またコメント欄を

再開します。

兄さんみたいな口をきく、ポーカーとお酒が好きなあのjoeさんが

「ぶつけあおうよ、なんでもかんでも」

なんだか、胸が熱くなっちゃいました。

今夜は遅くなりました、普段は寝ています。