お別れ致します。あなたは嘘はばかりついていました。

私にもいけない所があるのかもしれません。けれども私は私のどこがいけないのか

わからないの。私ももう二十四です。



 あの「きりぎりす」の冒頭の文章です。

はい、ワタシベー子もお別れしたのは二十四の時でしたが、ワタシのどこがいけないのか

よくわかっていましたし、大きな理由はなんでもありません、「あなた」が嫌いになった

だけです。大好きな人が大嫌いになると、こらえきれません。お別れしかないです。




「きりぎりす」の作者は言わずと知れた太宰治ですが、この女性の一人称告白体で

書かれた小説は太宰独特の文体といっていいと思います。長編なら誰もが知って

いる「斜陽」しかり、この「きりぎりす」は昭和12年から15年あたりに多く

書かれた、短編小説のひとつです。10代後半から20代後半までの、悩める女性の

物語を色んなシュチュエーションを舞台に書かれています。

 ワタシはこの太宰中期の、比較的、太宰の生活が落ち着いていた頃の小説が好きです。

もちろん、中学の時に、始めて出遭った「走れメロス」から、感動さめやらない時に

父の本棚の中の全集を一冊つづ、自分の部屋へ持ち帰っては読破しましたので、暗い時代の

小説も読みました。

 デカダンス時代、タナトスを背負ったかのような死へ向かう時期の本も好きです。

でも、何年かして、また読み返すのは、やはりこの「きりぎりす」や「皮膚と心」など

女性の心理や、感覚を、ユーモアを交えた表現で読む女性をうなづかせる短編集です。

いつの時代でも、女性の身勝手さや、我儘や、忍耐や、我慢、表裏一体な感情の微妙な

揺れは同じだなと思うんです、ただ、物事の対処の方法が断然違っています。

 だから、この「きりぎりす」の二十四歳の新妻からの「お別れします」は、この時代

では考えられないほど、今風です。昭和12,3年の頃の女性です。

今なら、女性の方からの三行半、驚かないし、男が泣いてすがる風潮、大いにありです。


  あらすじは言うと。。。


 全く売れないと思っていた画家と、両親の反対を押し切って結婚します。

貧乏暮らしですが、画家はパン絵を描くこともなく、媚びず、ただただ、好きな

絵を描く、本物の芸術家であったのですが、ひょんなことで絵が売れ始めます。

大きなお金が入ってきます。芸術家は芸術を捨ててしまいます。すっかり俗っぽい人間に

成り果ててしまいます。そんなはずではなかった、違う男になってしまった。しかも一番

嫌いなタイプに男に。まあ、よくある話です。今昔とわず。


二十四歳、新妻は言います。


 いい絵さえ描いていれば、暮らしの方は、自然にどうにかなっていくものと私は思われ

ます。いいお仕事をなさって、そうして、誰にも知られず、貧乏で、つつましく暮らして

いく事ほど、楽しいものはありません。


www。。。。。。


 理想です、はっきり言って夢です。

いい絵を描いてもらいたいのは、同じ気持ちです。

いい絵を描いても、自然にどうにかなっていかないんです。

誰にも知られず、絵は売れません。

貧乏のどん底で、つつましく暮らせません。

空になった米びつを頭にかぶって、があがあ泣いてしまいます。


 二十四歳かぁ。お別れしてください、そんなに嫌いになったんなら、

十分、やり直せますから。

愚妻ベー子も、涙なんかすぐに乾いてしまいました。嫌だったら、別れりゃいいのよ。

当時のベー子も、理想を求めて突き進みました。結果オーライです。

でも、ベー子今回はもうやり直しが出来ない歳になってしまいました。

 売れない画家。。。売れて欲しい。。。


 あんたね、もうわけのわからん絵、あんだけ描いたんやから、気が済んだやろ

花とか猫とか、見たらすぐにわかるような「ああー綺麗、応接間に飾りたいわ」

って言われるような、素人ウケする絵を描いてちょうだい。

 この台詞、2年に一度は言いますが、天を仰いで、腕組みをして、ため息を一つ

「そんな絵を描くくらいやったら、死んだほうがまし」

「ほな、一人で死んでな」


 芸術家かぁー

そんな人間、逢うたことないわ。本でしか知らん。

生身の芸術家・・・?

百歩譲って、そんな毛がないこともないような気がするけど、単に他所のおっさんと

毛色がちょっと変ってるって感じ。大いなるかいかぶりだろうけど。


一ヶ月もせんうちに、歯ブラシが外へ反ってしまうほど、力こめて歯磨きするおっさん。

山葵のチュウブを、5本買いするおっさん。

半年前に、ワタシが買った自転車を見て、自分も買ったけど、一度も乗らずホコリまみれ

にしてる、おっさん。

一人でスーパーへ行ったことなかったのに、猫達のキャットフードを一人で買ってくる

おっさん。

最近、ワタシの機嫌が悪いので、ポイントカードを持って行くようになった、おっさん。

ワタシより痩せた女を見て、「あんたと同じくらい」と言って機嫌をとるおっさん。

時々、「優しくしてほしい」とつぶやくおっさん。

最近ようやく「ブログ」のことを「ズログ」と言わなくなったおっさん。


・・・・・

箇条書きしてみたら、他所のおっさんと同じやんか。

何十年前?になるのかな。

「絵を見てください」と言って持っていった絵を見て

「上手ですね」と言われ

・・・・・

あかん、絵を褒められたらおしまいや。

どんなにがんばっても、上手な絵しか描けないワタシ。

あんな絵が描きたいと思った、おっさんの絵にあこがれたのです。

あこがれほど、恐ろしいものはない、全てのけったいな事が、なんや価値のあることに

見える。特別なことに。

目が見えていないんですが、歳とともにちゃんと見えてきます。

あこがれは自分の目をとおして見てるので、目が見えるようになったらしぼんで

しまいます。でも、何にもあこがれなかったよりは、あこがれた方が断然いい。



二十四歳の新妻の言うとおりや。

売れたらあかん、絵は売れたらあかん。大きなお金が入ってきたら絶対にあかん。

小さなお金でいいねん。

大きなお金に、、、あのおっさん絶対に魂を売ってしまう。

ついでに、ワタシは全身整形に1千万ほど使ってしまいそう。。。。

あーー妄想タイム・・・

これ以上書いたら、我を見失ってしまいそうです。

きりぎりす的お別れ。女からの三行半。

お別れのことを書いているのではないようです。歳とって読むとわかります。

人は遠い大きいプライドを持ってこっそり生きていくほど、楽しいことはない。

そうや、そういうことなんや、太宰は人間の心理をはっきり言ってくれてる。

分不相応なお金が入ってきたら、大事なプライドを失くしてしまう。

じゃない人もいるだろうけど、少なくともワタシ達は自信がない。

なんとか、米びつが空っぽにならない程度に慎ましく生きていければ、

遠い大きなプライドはきっと、生きる意味を教えてくれる。

なんだか今夜は、久しぶりに清清しい心持になってきましたわ。

耳を傾けると、縁の下で小さなきりぎりすがケラケラ笑っているようです。

でわ、今夜はこの辺で。