明日から、9月。

 皆さんのブログにはベトベトに汗かいて、容赦ないギラギラな太陽に肌をさされ

ムシムシな眠れぬ夜を過ごしたにもかかわらず、なぜか行く夏を惜しむ声が。。。。

甲子園も終わり、24時間テレビも終わり、気が付くと、食堂の「冷やし中華」の旗

がなくなってた。あー行ってしまうんですね。 子供の頃みたいに、海水浴や

花火大会や、絵日記にアクセクした日々とのお別れじゃないけれど、淋しい。

大人になっても、夏との別れは淋しい。

 お祭りでにぎわった神社の境内に残った、酸っぱいソースの匂いや、

 満タンになったラジオ体操のカードにちぐはぐに付いた、スタンプの跡とか

 子ども会で、もらった黒ん坊大会優勝の、筆箱とノートのセットの真新しさとか

 連れて帰った子犬をまた公園へ捨てに行く時のあのなんとも言えないシューンと

 萎んだ思い。

たぶん、そんなことも思い出して、大人になっても淋しいんだ。。。きっと。


 さあ、でも今日こそ、ブログを更新しないと、月も新しくなるし。

読んだ本の感想や、映画も観に行ったし、DVDだって観たでしょ。

あれも、これも書きたいこといっぱいなのに。

好きなブロガーさんへのコメントに忙しく、とにかく、2,3回読み直すブログも

あったりするので、自分のブログを更新する時間がないのが現状です。

できもしない、ピグライフやカフェなんかをオープンするもんですから、ますます時間が

なく、イクシスさん(名古屋で同時通訳をされている女性)も言ってらっしゃいました、

やらなきゃいけないことを後回し、本末転倒。なんとかって英語で言うんです。

ブログで教えてもらったけど、あまりの長い英単語ゆえ、覚えきれないんです。

でも、彼女、仕事の忙しさに、最近ブログ更新が途絶えています。

 一時期、仕事をおいてでも、ブログを書き、睡眠時間を削ってらっしゃいました。

でも、そんな、無茶は続きません。ちっこい坊やの育児が同時進行ですから。

彼女のブログ、ワタシと内容はともあれ、長さでは引けをとりません。

仕事をほうり出してはいませんが、(仕事ないんで)ブログを書くことを決めたからには、

ちゃんと更新しなきゃ、自分で、けじめなさい。はい。



 ということで、今日は高校生でありながら、すごい量の本を読んでらっしゃって、

ブログがとても文学的。哲学的。年齢差は親子、すみません。お父様より6歳上です、

ワタシ。

彼女の本や詩に対する思いを書いたブログへの皆さんのコメントが、歯にモノを

着せない、物言いが、爽快です。褒めあい、慰めあい、顔知らない人同士のチャット

的コメントの白々しさと違って、年齢ではなく、大人を感じます、がしかし、実体験は

16年しかありません。生まれてまだ16年しか経っていません。

 そんな彼女の今日のブログから、「自分探し」(私も知らない私)という言葉に

違和感を覚えたという話を書いてみたいと思います。

杏里の「夏の月」と言う曲の歌詞の中にあります。

1990年代から流行り、マスメディアで、頻繁に目にする言葉でした。とコメント

を書かれていた人がいらっしゃいました。まずはYOU tubuでその曲を聴きましたが、

どうもピンときませんでした。ヒットしなかったんでしょうね。

「オリビアを聴きながら」は名曲、いまだに若い女性のカラオケでのトップを飾る曲です。

「キャッツ・アイ」なんか言わなくてもいいですね。

これ、またやたら長いブログになりそうです。ですが書きます。

愛する二人の生活の中で、ふと自分を見失ってしまう。

特に彼に不満はないようなのに、お互いに別れたほうがベターだと判断

 
  さて、問題の歌詞の一部分です。



優しさも 我儘も 弱さも全部 わかって私は
あなたを愛し何ひとつ怖くない そんな自分怖くて

体の温もりに 変わらないこの暮らしに
甘えあってお互いが だめになってしまうのなら

別々に生きていく 誰も知らない明日を
まだ私も知らない私
見つけだしてみたい




これちょっとジュリア・ロバーツを思い出しましたよ。

っとコメントにも書きました。

「EAT PRAY LOVE」邦題「食べて、祈って、恋をして」2011年の映画

ジュリアは自家用ジェット機で、日本へ番宣にやってきました。

ジュリアファンなら覚えてらっしゃる方もいらっしゃるでしょう、1年前のことですから。

女優ジュリアが悪いんじゃないんです。原作者は世界中の女性から絶大な支持を受ける

エリザベス・ギルバートの自伝的ベストセラー小説を、ジュリア・ロバーツを主演に迎えて

映画化した人間ドラマ?ジャーナリストとして活躍するヒロインが離婚と失恋を経て、自ら

を立て直すために出た旅の日々を描き、なんと、700万部も売り上げたと言うじゃありま

せんか。ここでは、立て直すという言葉を使っていますが、映画のコピーなどは、やはり

「自分探し」の旅と書いてある。



彼女のブログから、(勝手にごめんなさい)


⇒(私も知らない私)そんなものは見つかりません。

いい歌なだけに残念です。前向きな姿勢を示しているのだから言葉を選んでほしかった。

(自分)とは先ず置かれた場所に於いてしかあり得ない。置かれた場所で努力せず(ここで

はない何処か)等というのは甘えに過ぎない。


16歳、少女。おっしゃるとおり。


場所をイタリア、インド、バリ島に移そうが(ジュリアの旅先)、自分は自分。

確かに私って、案外イタリアンな食べ物が好きだったのね、中華だと思ってたのに。

程度の、気付かなかった自分を発見。。。いいえそんな次元じゃありませんから。



彼女のコメント欄にて、おばさんタジタジになりながらも、旅ではなく、対人関係


恋をすることにおいて、知らなかった自分に逢えるなんて、青いことを書いてしまい


ました、オ恥ずかしい。しかし、人間関係ほど難しいものはなく、(特にワタシは)


傷つけたり、傷つけられたり、意識、無意識関係なく、人をどう見るかによって


鏡のごとく、自分が見えるという、そんな自身の経験的法則を一つの意見として


書かせていただきました。


どんな方法で、内なる自分を見つけることをしてらっしゃいますか?


「こんなところもあった、ワタシ」発見はやはり、どんな嫌な部分であっても


それも自分。


さあ、良いところも、嫌なところも、不思議なところも、まだまだきっとあるワタシ


なはず、今立っている場所で、I wonder


でわ、今夜はこの辺で。さよなら8月、こんにちわ9月



YouTubu


 勝手に、ブログの中のことを、彼女に許可も求めずに書いてしまいました。

 すみません、いつも課題をなげかけてくれる、見逃せないブログです。

 おやすみなさい。