ワタシは、のほほん、花とガーディニングというジャンルを選んで始めてブログを

書き始め、お気軽主婦の(生活がお気軽な訳ではありません)日々を書いてきました。



お料理や庭の写真を撮っては貼り付けて、たいていはそのお仲間?からのコメント:

 素敵なお庭ですね。たいしたことありませんよ。

 お料理がお上手なんですね。このレシピは、簡単ですから是非作ってみてください。

 優しい旦那さんですね。 いえいえ、何もしない馬鹿です。

「。。。。。」

数ヶ月はとても楽しく、コメント欄を見るのが待ち遠しいくらいでした。でもそんな

会話、ワタシ好きだったかしら?現実でもそんな体験はしたことありません、だから

新鮮だったのかもしれません。でも何かが違う。飽きたんじゃなくて、自分を偽って

いました。偽る?演じてきました。でも、女優ではないので、化けの皮が剥げます。



 違うよ、違う。大違いです、ワタシって女はそんな女ではない。

こんな絵空事のブログを書いて、コメント欄でチャットしてるような女?歳じゃない

ブログなんて、今時、隣もその隣のおじさん、おばさん、譲ちゃん、坊ちゃんがこぞって

書いてる、自由帳のようなもの。こんなことがあった、あんなことがあった、どう思う?

どう思う?の部分があるだけに、ちょっとええかっこしぃーに書いてやしないだろうか?


 ワタシは、このええかっこしぃーが世の中で一番嫌いだったんじゃなかったろうか?

どう思われてもいい、自分の記事だ、自分の恥ずかしい部分を書こう。

誰にも言えなかったことを書こう。

と決めてから、虐待されて育った母に育てられた、ちょっと斜めに世の中を見る癖のある

どっきり、どっさり、ぐさりと人にモノを言っては、嫌われたなと思って、安心して去って

いく。世を捨てた、素浪人のような、なんとも、嫌味なタイプの女じゃないか。

そんな風な記事を書き始めました。皆がいいと言ってる映画が嫌いだとか、時代錯誤な

倫理観を押し付けた記事を書いては、嬉々としていました。コメントはどうしても、年配

の方が増えました。というより、同じ価値観を持った方からのコメントに安心感も覚え、

益々、毒舌を発揮。同じ価値観は同じ歳ではけっしてありません。高校生や若い母親も

いらっしゃいます。コレは驚きました。世間知らずでしたね。彼女達から教えてもらう

ことの多いこと。



 「最近、あんたママによー似て来たよ、以前は、おとうさんに、そっくりやと思って

たけど、最後は女親に似てくるって、ほんとやね」と一番近い人からの発言。

まあ、ツレですけど。

自覚してる、ハーフや、ハーフ。おとうちゃんに半分、おかあちゃんに半分。

 随分長い間、両親を一個単位じゃなく、男として、女として、嫌いでした。

たった一人、あの二人の間で何があったか知らないけど、ワタシをワタシの心を

ひとりぼっちにして、どない思うてんのワタシのこと。

 当たり前のように、何の相談もなく、ある日突然、離婚して、

「あんたは、苗字はそのままでええんよ、ママとは違うけどな」

「。。。。。」

悲しんでると思わないのかな? 傷付いたと思わないのかな?

母子家庭、事実上はもっと前から、母と子の生活だから、特に変化はないけど

おとうちゃんは、他所のおとうちゃんになる準備で、とても嬉しそう。

小さな胸が張り裂けて、血が流れてると思わないのかな?

おかあちゃんの生活、人生の付録として、特に役にはたたないけど、ふと気が付いた時に

ああーこんな、安もんの付録があったんや、ちょっと付録の中身見てみよかな。

なんや、やっぱり付録は付録や、役にたたへんわ。でもほかすのもったいないな。

ちょっと、ここへ置いとこか。婦人雑誌の家計簿みたいな付録。

それが、ワタシ。

 こんな考え方、ひねくれてるかな?強情っぱりかな?目つきか恐いかな?

なんかあったら、おかあちゃんから言われてた。だまったまんまで、なんか言いなさい。

おとうちゃん、そっくりや。

そうです、ママの嫌いなおとうちゃんそっくりです。

だから、ワタシのことも嫌いで当たり前。

おかあちゃんのバカ。

バカ言うもんがバカや、アホ。

それでも、ワタシはおかあちゃんの生き方に合せて生きてきた。嫌われまいと必死で

好きになってもらうために、どんな努力も惜しまなかった。

中学1年の春から寮へ入ってそのまんま、それからの母と娘は同じ屋根の下で生活した

ことがありません。

可哀想なワタシ、もっと可哀想なおかあちゃん。


一ヶ月ほど前に、「百万回生きた猫」の作者、佐野洋子の母との確執を書いた本

「シズコさん」を紹介しました。

今日、ヤフーニュースの見出しに

 「母のこと、大嫌いでもいいですか?」――帯にこう銘打たれたコミックエッセイが

いま話題を集めている。

読んでみると。。。

『母がしんどい』(田房永子/新人物往来社)は、どんなことでも娘を支配したがり、しかも

思い通りにならないと喚き散らすという母を持った著者が、母の束縛から自立するまでを描

いた作品だ。Amazonの出版社コメントによれば、「自分とまったく同じ」「私だけじゃな

かったんだ」という共感の声が届いている、という。


 近年、母と娘の本の出版が増えているそうです。

姑と嫁は女同士の関係の永遠のテーマと言われていますが、その前に娘は母と言う女との

関係を子供から、少女、思春期を過ぎて、結婚するまで嫌でも付き合っていかなきゃいけ

ません。記事によると、母娘ものが増えた理由として、男女雇用均等法以降、母親が娘に

対して、社会的期待をかけるようになったと書いてあります。

今までの結婚、出産と言う女としての期待に加えての二重負担が娘には重たいのでしょう。

母を負担に感じる娘の場合、摂食障害やうつといった精神的症状が表れる事例が多いといわ

れるのは、こうした重圧も原因に考えられるかもしれない。とくくっています。

 考えると、これもまた、地獄です。淋しいけれど、何処まで、大きく手を広げても何

も手に触らない、マッサラな自由をホイッと渡してくれた母に、感謝しないといけないかも

しれません。このエッセイをまだ読んではいませんが、作者はその重圧から抜け出す方法を

自分で模索し成功した実体験を書き綴っています。

 ワタシも、あの母の愛情を表現できなかった、母の悲しみ、苦しみを、ブログの記事に

書く事で、心を整理し、ワタシの口癖である「世界中で一番大好きなおかあちゃん」が

心の底から言えるようになりました。

 ブログはその人、その人の活用方法があると思います。おしゃれなブログ、子育てブログ

旅行ブログ、芸術、文化を哲学を綴ったブログ、書くのも自由、選んで読むのも自由。

 
ただ、しょうもないブログやなと思うのは、こんなコメントが来るなと予想しながら書いた

記事だけは、アホくさくて読む気になりません。

もう、書いてる自分が嫌やけど、これがワタシですから。

 ついこの間から、コメント欄を外した理由の一つです。

ただ、今まで、コメントをくだすった方達に嫌な思いをさせられたことは一度もありませ

ん。ありがたいコメントばかりでした。まだまだ、書きたいことがいっぱいで、しばらくは

ブログを続けていくつもりです。自由選択されて、途中で帰る人もいらっしゃるでしょうが

 同じ価値観じゃないというだけで、自分に合ったブログを探しに行ってください。

今日も、母娘モノを書きましたが、先日予告しました、写真家の石内都の話も、彼女と

亡くなったお母様の話だったんです。お母様の形見の下着を撮って美術展で個展をされ

まして、世界中で女の写真家として認められた人なんですが。実話、彼女も母が嫌いな

娘だったんです。この話はまた次回に書かせていただきます。

 でわ、今夜はこの辺で。

 最後までお付き合いしてくだすった方何人いらしゃるかな。。。。

 おやすみなさい。