さて、今日はブログを始めた当初、ジャンルをガーデニングにしてのほほんと、

専業主婦の毎日を綴る、ハッピイーな、おばさんブログを見切り発車したことを

お話しましたが、もともとワタシは庭を造るという趣味は全くないとは言えませんが、

ブログのジャンルにするほど大好きではなかったんです。

ただ、多肉植物、サボテンをかなり集めてまして、その寄せ植えを、ジャンクなポット

なんかに作って、人に差し上げたりして愉しんでいたんです。珍しい多肉やサボテンを

探して、方々へ行きました。その多肉やサボテンを飾る棚や古木を置いたり、錆びた

アイアンチックな脚立なんかを飾る庭を少しつづ作っていったんです。


 おりしも、NHKで「ターシャ・チューダー」の特集を何回も再放送していて、日本の

ガーデンブームの火付け役を担ったといってもいいでしょう。彼女のは庭というよりも、

広大な農園で季節の花々を育て、1800年代の農村の生活を50代の半ばから初めた

のです。今のワタシでも十分に間に合いますが、なんせ、その広大な土地が。。。

全国の庭作り主婦のあこがれの的でありました。 お花屋さんや園芸屋さんには彼女の

コーナーがあって、値段の高い本が並んでいました。絵本作家であった彼女は、早くから

古くて新しい農家を作って、自給自足をすることを望んでいました。人が自然と暮らす

ことが大切だということを幼い頃の生活から身をもってわかっていたんです。

四季を通して来る季節の暮らしのための作業があります。スローライフの代名詞のような

彼女の生活。パンを焼き、蝋燭を作り、着ている洋服も全て手作り、牛やヤギやブタを

育て、ハムやチーズも作ります。これ、ある意味理想です。

 ちょっと、白洲正子と次郎夫妻が、戦争が始まる前に、東京府南多摩郡鶴川の古民家に

武相荘と名づけて、自給自足を始めたのに似てますが、やはりアメリカ、スケールが違い

ます。超セレブな人間というのは、何が大切かが、わかるんでしょうか?お金や名誉が

元々あったわけですから、見えないモノがどれほど大切かということが。

 下世話なワタシなんぞは、お金や名誉みたなものが一度は手に出来るものなら

欲しいかもしれない、いやいや待てよ、悪銭身につかづ、どう考えても、今から手に入る

お金なんて、先祖代々ある資産、財産なんかじゃない、悪銭ですから。薄汚い人間になる

こと間違いない道にあこがれるなんて、夢夢思うますまい。

 さて、ターシャから正子へ話しが脱線してしまったようですが、つぎのヘッセへ進む

ための、助走ですので、いつもながらの長文ですが、我慢してください。

ターシャは56歳で、自給自足の生活を始めたんですが、ヘッセは37歳の時に、結婚

都会から離れた自然の中で素朴で清廉な生活をするために一軒の小さな農家に住みました。

当時すでに、彼は自然に近い生き方を切実に求めていて、文明や無数の束縛やまがい物の

満足とは関係ない、自給自足の生活を試みました。その後、農家や庭を住み替えはしま

したが、独学で画家になり、そこで「デーミアン」を書き、もう一度若い世代の作家と

なった後に、54歳で理想の家を建て、すばらしい、エッセイ、詩、叙情詩「庭での

ひととき」を書きます。思想家としてのヘッセの思想は自然の中の自分、自然と一体と

なった思想に基づかなければ、いかなる哲学も進歩も価値を失うのではないかと言って

いるようです。わずか25歳の時にそれまで8年間、書店員と古書販売という生計のため

の仕事をやめ、作家として生計を立てることを可能にした最初の小説「ペーター・カーメン

ツイント」には、土地開発によって進化する都市化のために脅威にさらされた自然への賛歌

であり、自然の秩序に依存して生き、まさにその中から生まれ育った者が、それを無視すれ

ば必ず罰せられるという警告を書いています。

 人間も自然の動植物と同じ一生物とみるヘッセは自然を征服し、利用すべきものと考える

思い上がった人間中心の勝手な考え、度を越した自然破壊、物質文明を一貫して批判しつづ

けました。100年も前のターシャやヘッセの思想が今現在のワタシ達への警告だと、もっ

と真摯に受け止めないといけない、ぎりぎりのところに来ているとワタシは考えます。


 ガーデンブームの真っ只中で手にした、「庭仕事の愉しみ」この本は、ヘッセを知らない

若い女性層が購入していくそうです。文学や教養のルーツ的な感じのするヘッセの本は50

代、60代の男性ファンが多いようですが、この本はとても読みやすくヘッセならではの、

詩的な言葉で綴った美しい文章が魅力です。都市型ガーディナーにとって、この本は庭の哲

学を明晰に語ってくれているのではないでしょうか?

 最後に、ヘッセの詩の中でもタイムリーな詩を一編紹介します。


   九月

   庭は悲しんでいる

   冷たく花々の中へ雨が降る。

   夏は密かに身震いする

   己の終末を迎えて。



   黄金色の葉がひとひらひとひら

   高いニセアカシアの木からしたたり落ちる。

   夏はいぶかしげに力なく微笑む

   死んでゆく庭の夢の中で。



   まだしばらくバラのところに

   夏は立ち止まっているが、休息にあこがれている

   ゆっくりと夏は閉じる
   
   大きな くたびれた目を。


  これ若い女性でなくても、おばさんでもおじさんでも好きでしょう?

  いかがでしょうか?


  考えるところがありまして、コメント欄を外させていただきました。

  長い間、外すことを考えていたんですが、ようやく、考えを遂行することに

  しました。たいした考えではありませんよ。

  独りよがりな、稚拙なブログにお付き合いいただき、素敵なコメントを

  残してくだすった、読者の皆様にはありがとうございました。お礼申します。

  勝手ではありますが、コメント好きなワタシは、あちこち行っては毒コメを

  残したいと思います。ブログ以外でもこんな、人付き合いの悪い、自分勝手な

  ワタシです。

  まだまだ、ブログに書きたいことが山のように散在していまして、その整理整頓

  が大変です。こんなワタシですが、今後ともお付き合いしていただけるのであれば

  嬉しいです。
  
  でわ、最後にデレクの言葉です。

  「パラダイスは庭に宿る、そして、私の庭に宿る」

  猫の額。。。鉢の一つ、そこに自分の宇宙を見つけるこができれば。。。。

  では今夜はこのへんで。