東京方面では、早くも、秋を感じたとブログに書かれてました。子育てブログを

書かれているKarlさんと言う男性なんですけど。彼は一人でほっとする場所を

アチコチで見つけるのが得意?で、先日も河岸の小さな公園を見つけ、出勤前に

ウォーキングの後、そこで新聞を読む時間を至福の時とされてるそうです。

 そんな方が、秋を感じたとおっしゃるんですから、きっとそこまで来ている

んだろうと思います。とにかくそうゆう方面にとんと感覚が働かないガサツな

ワタシですが、夏が行ってしまうことは、贖いようのない自然の摂理。

そこのところはめちゃくちゃ、淋しいというか、行かんといてぇー。

ソコソコソコソコ、ココナッツ、ソコよ

ドコドコドコドコ、ココナッツ、う、うもぉー馬鹿。

違いましたっけ。

夏に生まれた夏女、えっ、じゃあ、冬に生まれたら冬女? 春に生まれたら春女?

違いますよ、夏に生まれなくても、きっとワタシは夏女です。

夏って、感覚がもう、暑いってだけで、全部死んでるような、ええい、じゃまくさい

蟻ときりぎりすのきりぎりすみたいな、何も食べるものがなくても、バイオリンを

弾いて、野タレ死んでもええねん。。。。遊び倒してんから、死んでもええねん。

そんなイメージなんです、ごめんなさいね、夏型人間の方、これワタシだけの定義

ですから。また、毒を吐きました。



「あんた、地獄の釜の蓋が開いた日に、生まれたんよ、おかあちゃん、もう絶対

 子供なんかいらん。暑いばっかりやもん」

ワタシ、オーメンと違いますから。

その後、彼女は暑い時だけじゃなく、寒い時にも赤ちゃんを産むことはありません

でした、自己愛護型有言実行ですから。

 よく聞きます。世間では、十月十日しんどいけど、始めて赤ちゃんを見た日には

全部ふっとんで、また、あかちゃんが欲しくなるのよ、そういうものなのよ、母親って。

ほぉーーー、そうやねんな。わからんでもない。ここでワタシの頭の中にはエル・グレコ

の『聖母子と聖マルティーナ、聖アグネス』。を思い浮かべます。

幼子イエスを胸に抱く聖母マリアと寄り添う天使達と、赤ちゃんはイエスじゃなくても

母親にとって、神様?みたいな存在。かけがえのない自分の分身。

 あーー暑いから、もう母と子のことは考えんとこ。Karlさんどこが秋なんですか?

夕方やと言うのに、窓から温い風が吹いてきて、「まだまだ、行かへんでえー」と

言ってますよ夏のヤツ。


 ミスター・サマータイム あの夏の日。。。

これたいがいの人は、サーカスのこの歌、知ってると思います。化粧品のCMソングでし

たから、でもワタシ、天邪鬼はこの歌の方が好きなんです。


YouTubu


 『人はなぜ、愛し合うの

     そうよ、こんな辛い別れだけのために


  だけど、忘れないわ、愛のくらし、それは

     悲しいほど、きらめいた夏よ   』


 男と女、母と子、もちろん男と男、女と女

 愛し合わずにはいられない生き物達。

 夏が行ってしまうのと同じ自然の摂理。。。。別れ

 必ずやってくる別れ。。。。

 忘れなきゃ生きていけない、辛いこともあるけれど

 愛し合った時を、忘れないでいれば、別れてもきっと

 一人で、きらめきを胸に強く生きていける。

 

 春のさくらを見ることなく、オーメンを残してひとりで逝ってしまった

 おかあちゃん。

 また、お盆に帰ってこれるように、おおきな茄子ときゅうりで馬をこしらえました。

 ご馳走こしらえるで。大きな西瓜も買ったし、まずは海苔巻きやけど、これは

 おすし屋さんに頼んだわ。おかあちゃんみたいに上手に巻けないから。

 来年、さくら見られへんと思う。

 そんなことないよ、

 あほ、病人はげますようなこと言わんとき、死ぬ時期はわかるねん。

 象みたいに?

 そうや。



 入院してからの交換日記の最後のページには

 散る桜 残る桜も 散る桜。

 特攻隊の歌みたいですけど、江戸時代の曹洞宗の僧侶の時世の句

 おじいちゃんが曹洞宗の住職だったので、おかあちゃんはこの句が

 季節を問わず好きでした。

 人は皆、別れるけど、別れるための出会いだと思えば、大事にすることができる。

 そんなふうに、思っているんですが、解釈が違うかもしれません。

 終戦記念日、お盆、秋の気配。。。めっちゃ淋しいけど。

 帰ってきた、おかあちゃんとお風呂に入ろうと思っています。

 でわ、今夜はこの辺で。