8月は広島原爆投下、長崎原爆投下、そして、ついに太平洋戦争終結の日


終戦記念日です。ついこの前の記事に書いたように8月になると井伏鱒二の


「黒い雨」を読むようにしています。これはここ10年くらいの習慣?になっています。


武田百合子が「私の文章修行」の中にこう書いてあったのです。


『好きな本を1冊と、言われれば「黒い雨」。山小屋の夫の書棚に置いてある本だ。


 7月がくると山小屋暮らしが始まる。梅雨が開けて土用に入る。真夏の大気、森羅万象


 にうながされるように、「黒い雨」を読み始める。涙ぐんだり笑ったりして読み終る

 
 毎年くりかえして、あきることはない』


 好きな本を一冊?ワタシには決められないんですが、「黒い雨」というより井伏鱒二


も好きな作家、太宰の親友?でもあったので。そもそも月に一度はあの原爆ドームを目


にする生活。慣れっこになって、そごうや三越の建物と同じ感覚でいるのは、許せない。


 そう思い、読み始めると、何度読んでもあきることのない、同じ場所で涙、同じ場所で


笑う、名作というものはこういったものなのでしょう。


 そして、8月のもうひとつの行事として、彼女を思い出すことにしています。


8月22日が命日の、向田邦子です。彼女の始めてのエッセイ「父の侘び状」も読みます。


24篇のあの鮮やかな、独特な語り口の文章は、エッセイを書いてみたいと思う人なら、


必ずや読んでいる ”真打”と言わしめた最高傑作です。


 ブログという読者に向けて書く日記、エッセイ?と呼びましょう。彼女のエッセイを


読まずして、ブログを書いてはなりませぬ、みたいなエッセイのお手本だとワタシは思う


のです。向田邦子がまだ放送作家だったころ、いえその前に、彼女は「幸田邦子」という


ペンネームで記事を書いています。向田邦子は、幸田文の随筆を愛読していたとワタシは、


確信しています。品格があって、格調高い随筆の最高峰であると思うからです。


戦中、戦後の一般家庭のあんなこと、こんなことを書いているのですが、品がいい。


 本当はかなり、良い暮らしの家族であったらしいのです、当時はもっと貧しい家庭


の方が大多数でしたから。ともあれセンスが良いなって感じです。


 エッセイの中の「隣の神様」から、


48歳になって始めて喪服を作ったあたりの、おもしろおかしい話を彼女らしく、


ちょっと自虐的に、自分を見つめている文章はフフンと笑いながらも、身につまされる話。


喪服はどうしったて、悲しいお別れの時の服、新調したところで、着たくないのが


人情というもの。でも心の底では、この新しい服に手を通してみたい気持ちも嘘ではない。


 結局、彼女はこの喪服を、とてもお世話になった先輩の葬儀に来ていきます。


私はしっぺ返しをされたような気がした。と彼女は書いています。


それから3年後に彼女は、航空機墜落事故という、めったにない亡くなり方をします。


あー、もっと、もっと熟成された彼女の文章を読みたかった。とファンの皆さんが


強く思ってることと思います。



 同時代体験をもっていないワタシなのに、不思議とそこにワタシがいる。そんな


臨場感溢れる、生活の中の家族や、向こう三軒両隣の人達の表情、匂い、色、情景が


いつまでたっても染み付いて離れない、エッセイを読むということの醍醐味と言えば


こういうことかもしれません。8月はちゃんとそれを呼び起こす月なのです。


 古道具屋でしか見たことのない湯タンポの残り湯で、寒い朝、顔を洗ったり、


防空頭巾の匂いが鼻をかすめる、そんなありもしない体験の錯覚がたまらなく好きです。


 この最初のエッセイに出会ってから、夢中になって彼女の本を読み漁りました。


ドラマや映画も、もちろん全部観ています。


一番好きなドラマは、NHK の土曜ドラマ「阿修羅のごとく」です。


もう、衝撃的なあの音楽に度肝を抜かれました。その曲を今夜は貼り付けてみました。



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では、今夜はこの辺で。