今日は陽子さん、あの「愛情物語」「東京日和」
荒木経惟の奥さん陽子さんのことをちょっと書きます。
この2冊は、ワタシのガラスの扉のついた昭和な本箱の
一番特等席に置いてあります。背表紙がちゃんと見える場所です。
1990年、陽子さんは41歳の若さで癌で亡くなりました。
「愛情物語」は彼女のエッセイ、「東京日和」は陽子さんが文章を
書いて、東京の、彼らが好きだった下町を荒木がライカで撮ったものを
載せた、写真・エッセイ集です。
二人の出会いは電通、20歳の陽子さんと27歳の天才荒木は、荒木の
「物思いに沈んでいる顔がいい」と言う言葉に陽子さんがびっくりして
彼をじっと見詰めた、その時から恋が始まった。ふーんいいですねぇー。
男と女の出会いほど、パッションが飛び交うことは,他にありません。
パッションの本来の意味は、「受難」キリストの精神的、肉体的苦痛を
表す言葉、情熱、激情なんかよりも先にこの意味があったのですよ。
恋は受難です、正に。。。。
始まりは、大きな錯覚と誤解から始まるんですが、いづれ、その錯覚と誤解に
気づいても、「なあーんだ、つまんねぇー」と相手に思われないように、
「こんなところも、あったんだ、あれー案外、見た目と違うぜ、こいつ」
日々、色んな女を演じましょう。ホントに逃がしたくない人と出遭ったとしたら。
あれぇー大きな勘違い、目をすってしまったら、スカンクの最後っぺを残して
速やかに立ち去りましょう。間抜けな自分も有りですから。
次、次いってみようぉーってな感じで、グズグズしないで、自分を磨きましょう。
でも、この二人は違ったんですね。
二人とも、ちょっと毛色が違う、出会うべくして、出遭った二人。
1985年、エッセイ集を出版した、陽子さんは本のあとがきにこう書いています。
「最後の、最後に、私の写真を撮ってくれた、愛しのカミナリ親父のわが夫に、
愛情生活はいつまでも、進行形でいよーね!」
1993年、陽子さんを失くして、愛猫チロとの生活は、色を失ったモノクロです。
彼は「東京日和」の中で走り書き。
「にちようびは いつもヨーコのことを想い出し
さみしくなる、 湯上りビール 3CH バーンスタイン・マーラの交響曲
悲劇的。 チロがキッチンから ゴキブリをくわえて出てくる」
あーーどうしったって、ウチのおっさんに、緑と弥生を残して先に逝っては
いけないわ。後に残った方がとぉーっても、気が楽です。
新婚旅行で撮った写真を自費出版したのが、天才荒木の出発点。
「センチメンタルな旅」と題されたその写真集は少ない部数ゆえ、手に
入らない。それから、ずっと荒木の被写体になって、すっぱだかな可愛い妻を
惜しげもなく、撮らせて、荒木を世界の荒木にしていった陽子さん、
只者じゃありません。エッセイの文章も、おちゃめな妻の様子がうかがえる。
女の写真家で、石内都さんと言う人がいる、ちょっとアラーキーにどこか
似た撮り方をしているかな?亡くなった母親の顔を撮ったり、その人が陽子さんと
同い年、陽子さんのことをこんな風に書いている。
「陽子さんは、見詰められ、撮られる、晒されることへの興味と強いプライドを
持つ同世代の女ではめずらしく自立した妻(女)だったのではないかと今さら
ながら感じる」
そんな陽子さんへ、貴女が新妻のあのいやらしくも、聖女のようなエロチシズムを
惜しげもなく晒したあのセンチメンタルな新婚旅行へのオマージュとして、今夜
ドリス・ディのセンチメンタル・ジャーニーを送ります。
Doris Day A Sentimental Journey
YouTubu
荒木経惟の奥さん陽子さんのことをちょっと書きます。
この2冊は、ワタシのガラスの扉のついた昭和な本箱の
一番特等席に置いてあります。背表紙がちゃんと見える場所です。
1990年、陽子さんは41歳の若さで癌で亡くなりました。
「愛情物語」は彼女のエッセイ、「東京日和」は陽子さんが文章を
書いて、東京の、彼らが好きだった下町を荒木がライカで撮ったものを
載せた、写真・エッセイ集です。
二人の出会いは電通、20歳の陽子さんと27歳の天才荒木は、荒木の
「物思いに沈んでいる顔がいい」と言う言葉に陽子さんがびっくりして
彼をじっと見詰めた、その時から恋が始まった。ふーんいいですねぇー。
男と女の出会いほど、パッションが飛び交うことは,他にありません。
パッションの本来の意味は、「受難」キリストの精神的、肉体的苦痛を
表す言葉、情熱、激情なんかよりも先にこの意味があったのですよ。
恋は受難です、正に。。。。
始まりは、大きな錯覚と誤解から始まるんですが、いづれ、その錯覚と誤解に
気づいても、「なあーんだ、つまんねぇー」と相手に思われないように、
「こんなところも、あったんだ、あれー案外、見た目と違うぜ、こいつ」
日々、色んな女を演じましょう。ホントに逃がしたくない人と出遭ったとしたら。
あれぇー大きな勘違い、目をすってしまったら、スカンクの最後っぺを残して
速やかに立ち去りましょう。間抜けな自分も有りですから。
次、次いってみようぉーってな感じで、グズグズしないで、自分を磨きましょう。
でも、この二人は違ったんですね。
二人とも、ちょっと毛色が違う、出会うべくして、出遭った二人。
1985年、エッセイ集を出版した、陽子さんは本のあとがきにこう書いています。
「最後の、最後に、私の写真を撮ってくれた、愛しのカミナリ親父のわが夫に、
愛情生活はいつまでも、進行形でいよーね!」
1993年、陽子さんを失くして、愛猫チロとの生活は、色を失ったモノクロです。
彼は「東京日和」の中で走り書き。
「にちようびは いつもヨーコのことを想い出し
さみしくなる、 湯上りビール 3CH バーンスタイン・マーラの交響曲
悲劇的。 チロがキッチンから ゴキブリをくわえて出てくる」
あーーどうしったって、ウチのおっさんに、緑と弥生を残して先に逝っては
いけないわ。後に残った方がとぉーっても、気が楽です。
新婚旅行で撮った写真を自費出版したのが、天才荒木の出発点。
「センチメンタルな旅」と題されたその写真集は少ない部数ゆえ、手に
入らない。それから、ずっと荒木の被写体になって、すっぱだかな可愛い妻を
惜しげもなく、撮らせて、荒木を世界の荒木にしていった陽子さん、
只者じゃありません。エッセイの文章も、おちゃめな妻の様子がうかがえる。
女の写真家で、石内都さんと言う人がいる、ちょっとアラーキーにどこか
似た撮り方をしているかな?亡くなった母親の顔を撮ったり、その人が陽子さんと
同い年、陽子さんのことをこんな風に書いている。
「陽子さんは、見詰められ、撮られる、晒されることへの興味と強いプライドを
持つ同世代の女ではめずらしく自立した妻(女)だったのではないかと今さら
ながら感じる」
そんな陽子さんへ、貴女が新妻のあのいやらしくも、聖女のようなエロチシズムを
惜しげもなく晒したあのセンチメンタルな新婚旅行へのオマージュとして、今夜
ドリス・ディのセンチメンタル・ジャーニーを送ります。
Doris Day A Sentimental Journey
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