「ようこ軍団」の中から一人つづ、どんなことを学んだかをブログに

書いておこうと、それぞれのエッセイを読み返してたら、大掃除の途中に古新聞を

見つけたおっさんのごとく、掃除ほったらかしで、読み呆けています。すみません。

 
 そんな中で、こんな記事を見つけました。感動したんでしょうね。

記事を切ってスクラップしてるんですよ。


 子供の作文の話なんです。

父の日か何かに学校で書いた作文の一部分なんですが、なんだか涙が出てきたんです。

その子はお父さんの職業について、また家にいる時のお父さんがテレビばかり見て

ゴロゴロして、ちっともカッコいいなんて思えないし、だんだんおとうさんが好き

じゃなくなっていく年頃だったんだと思います。

そんな娘を見て母親が父親の職場連れていきます。

おとうさんの働いている姿を垣間見た娘の心の変化がうまく表現された作文です。


 「友達のおとうさんが、どこかの課長さんだとか、放送局に勤めているとかいうとき

わたしはいつもだまっていました。『わたしのおとうさんは工場のコックさんだ』という

のが、なんだかはずかしくてならなかったんです。でもわたしは今日から平気でいえる

ような気がします。」


 その子は始めて、白いコック帽をかぶった父親の働いている姿を見ます。野菜サラダを

作っている。びっくりするほど早い手つきでデキパキと仕事をすすめている。

 「今まで、あんなお父さんを見たことがありませんでした。何か他所の人のような

気がするくらいでした。でも、やっぱりわたしのおとうさんでした。おとうさんは

はずかしそうな顔などちっともしていません。わたしだけが、なんではずかしがって

いたのかと思うと、なんかわるいことをしていたような気がしました。」


 お昼のサイレンが鳴る。大ぜいの工員さんたちが集まる。「大ぜいの工員さんたち

が待ちかまえていたように食べているのを見ると、わたしまでうれしくなりました。

みんな残さずに食べてもらえるかと、じっとそれを見ていました」


 どうです、ほんのちょっとのことで、母親の気づきで女の子の劣等感が優越感に

変わっていったんです。すごいことでしょう、劣等感が優越感に変わるって。



 両親が離婚したのは、説明をされたところでわからない年頃だったワタシ。

仲良しではなくなった、好き同士が嫌い同士になったんだ、子供には悲しい出来事です。



おとうちゃんとご飯を食べに行く時や、音楽会や映画を見にいくときに必ず言うことが

「絶対に今日、送ってもらってや、泊まったらあかんよ」

嬉しかった、おかあちゃん、ワタシがいてなかったら淋しいんや、「早よ、帰ってくる」



「おとうちゃんに、あやまっといてな」

おかあちゃん、ほんとはおとうちゃんのこと嫌いじゃないんや、ほんまは。


おとうちゃんとかしこまって、ご飯食べることも、イヤじゃないし、それはそれで嬉しい

両方とも大好きやけど、片方としか一緒にくらせない、理解できない事情の中で、ワタシ

は、一生懸命二人別々にでも、愛されたいと願っていました。

だから、ほんのちょっとした言葉が熱が出るほど嬉しかった。



「ママに、今度は一緒においでって言ってな」

本心かどうか?絶対来ないおかあちゃんへの伝言。

おとうちゃんは、ほんとはおかあちゃんのこと嫌いじゃないんや、ほんまは。

後で考えたら、ワタシを喜ばせる言葉やったかな?




おとうさんも、おかあさんも子供の気持ちがわかってるのかな?

自分の子供のこと、わかってるかな?

わかったつもりでいるんじゃないかな?

そして、肝心なことは子供も、おとうさんとおかあさんを大好きでいることです。

大嫌いになったっていいから、大好きでいることです。

ちょっと変形な家庭で大きくなったワタシの思いです。

さて、今日はこれ聞かないといけないでしょう,やっぱり。




清志郎、忘れないぞぉー

今夜はこの辺で。