今日の題名のように、ワタシ自身、自分の性格を一言で言い表すすと
綜麻曲がり、天邪鬼、同じようでちょっと違うんでしょうけど、じゃあ
足して2で割ったような性格、へそ曲がりってヘソはお腹の真ん中のへそ
だと思っていたら綜麻と書いてヘソと読むらしいです。
捻くれ者 一刻者 反逆者 偏屈 変人などと言い換えられます。
うーん、若い時より少しは緩んだかなと自覚していますが、間違いなく
言い換えられる人物の隅に立っています。
さて、ワタシの性格分析はどうでもいいことなんで、愛読書について
書いていきます。
以前モームのことは記事に書いたと思います。「月と六ペンス」のこと
について、その中の主人公は言わずと知れた、ゴーギャンをモデルとして
います。モーム自身よりゴーギャンは芸術家であり、哲学者であったなんて
生意気なことを書いたと思います。これは大学の時に原書を読む授業があり
隣の「オギノ」さんのノートをそっくりコピーさせていただき、優をとった
科目です。ほんとのとこわかっちゃいません。
ジェーン・オースティンの「高慢と偏見」も同様「オギノ」さんのコピー
で滑りこんだ優でした。この「高慢と偏見」は原作では難解で、日本語訳を
楽しく読んだ覚えがあります。若い女子がワクワクする内容ですから。
あっと言う間に上下巻を読み終えたと覚えています。
モームが「世界の十大小説 上巻」の中で2冊目にあげています。
「たいした事件が起こるわけでもないのに、ページをめくる手が止まらなく
なる」と言わしめた、イギリスの女流作家の代表作です。
今日はそのモームの「作家の手帖」がワタシの愛読書だと言うことを
書きたいと、なぜこうも何度も何度も読んでしまうのか?
これは、モームの普通っぽい写真ですが、彼はイギリスの情報部員、スパイと
しても実績もあり、その活動をもとにスパイ小説を書いた作家なんです。
って誰でも知ってることなんですが、1930年代には世界で執筆料の一番高い
作家と言われ、世界中を旅して回った人です、さぞゴージャスな旅だったんで
しょうね。「金銭は第六感のようなもので、これがないと他の五感も満足に
働かない」と言ってるくらいですから。
愛読書、座右の書と言っていいこの「作家の手帖」は1955年ですから
81歳の時にかかれた、エッセイとよべるでしょうか?そうではなく作品の
ための覚書ノートと言った感じのもの、まさに手帖です。
91歳で亡くなっていますから、老境に入り、人生とは?愛とは?真理とは?
人間とは?最近よく偉人の名言集などが書店の前に並んでいますが。
ワタシはこの手帖を20代のまだなんにもわかっていない、右も左も前も後も
そんな純粋無垢な、太宰を愛する若き乙女であったころに出会ってしまいました。
そらから何十年、座右の書はこんな風に。。。
モームの写真と比べるとデカッ、なんかの間違い?机の上で携帯で撮りました。
年季が入っているでしょう。
さて、この本のどこが気に入ったか?ページ479の最後に書いてある文書が
まさに、ワタシが求めていた答えだったんです。
もちろん、他にもいっぱい好きな文章だらけですが、この一番を今日はそのまま
写してみましょう。
『睦まじく団結した家族の一員になっているのは むろん楽しいにちがいないが、
しかしそれは、一人前になって世間へ出てからなんの助けにもならぬと私は思う
そうゆう家族にありがちな、互いの尊重の念が、自己の力量を誤信させることに
なり、人生の荒波と戦うのをいっそう困難にさせるのだ。しかしそれも、一般人
にあってはただの不利益の程度だが、もし芸術家だとするとそれは致命的である。
芸術家は、孤独の狼である。人跡まれな道をゆく。一家が彼を荒野へ追い出して
くれるのが、彼にとっては幸せである。せいぜい高く見積もってもまあ先の見込み
はあるだろうという程度の仕事にたいして、身びいきの肉親たちがふんだんに褒め
るのは、彼をだめにするだけだ。すでに匠だという気になって、よりよくする努力
をしないだろう。自己満足は、芸術家の死である。』
12歳の時に、学校の寮に入って10年、それ以後両親と同じ屋根の下で生活
したことのないワタシは家族のあり方を、親が子を思う、愛すると言うことは
どういうことか。出合った作家があのデカダンスな太宰治、「家庭の幸せは諸悪の
根源である」。。。子はどう生きたらよいのか?
自由とは考える時間がたっぷり、自社責任施工。大変だがそれが大きな親の愛で
あると、確認できたのは随分時間がかかりました。
子を思うライオンは幼子を崖から突き落とす。
まさに、先人の言うことは一理ある。ライオンではない人間の親はそれが自身の
都合であったにしても、親が子に対する愛情こそは全く利害を離れた唯一の情緒
である。とモームは言ってます。
モーム自身も8歳の時に母親を10歳の時に父親を亡くしています。叔父のところ
で育った少年時代、孤独で淋しかったに違いありません。
その後のモームは、まさに自社責任施工をまっしぐら。芸術家になっていくのです。
もちろん、ワタシは芸術家なんてとんでもない凡人もいいとこですが、自分の
人生を誰かがひいてくれたレールの上だけは歩くまいと小さな心に誓ったのです。
それはまさにモームが教えてくれたこの言葉
『人生とは、切符を買って軌道の上を走る車に乗る人にはわからない』
まだまだ、へそ曲り、天邪鬼なワタシの人生とは?
人が生きるとは?勉強中であります。
なんか、他所の家とは違う家に育ってしまった方、親に愛されてた感がなかった
ように思ってる方、十分なホッタラカシの自由時間が与えられた方、貧乏で何も
買ってもらえなかった方、親が自分の好きな道を歩くために邪魔にされた方、
産みの親の顔を知らない方、人の情けにあたたかくなった思いを忘れないで。
それが、ワタシたちの宝物。
「ママに好かれる子供にならんでええんよ、ママに褒められんでええんよ
ママと暮らすよりもっと長く他人と暮らしていかなあかんのよ、
特に女はな、商店街のおじちゃんや、おばちゃんと仲良くしてもらいなさい、
それがあんたのためになるんよ、ママはママの仕事でせいいっぱいやから」
これ、おかあちゃんの名言集のひとつに入れておきます。
今日も得手勝手な長文、お付き合いありがとうございました。
では今夜はこの辺で。
綜麻曲がり、天邪鬼、同じようでちょっと違うんでしょうけど、じゃあ
足して2で割ったような性格、へそ曲がりってヘソはお腹の真ん中のへそ
だと思っていたら綜麻と書いてヘソと読むらしいです。
捻くれ者 一刻者 反逆者 偏屈 変人などと言い換えられます。
うーん、若い時より少しは緩んだかなと自覚していますが、間違いなく
言い換えられる人物の隅に立っています。
さて、ワタシの性格分析はどうでもいいことなんで、愛読書について
書いていきます。
以前モームのことは記事に書いたと思います。「月と六ペンス」のこと
について、その中の主人公は言わずと知れた、ゴーギャンをモデルとして
います。モーム自身よりゴーギャンは芸術家であり、哲学者であったなんて
生意気なことを書いたと思います。これは大学の時に原書を読む授業があり
隣の「オギノ」さんのノートをそっくりコピーさせていただき、優をとった
科目です。ほんとのとこわかっちゃいません。
ジェーン・オースティンの「高慢と偏見」も同様「オギノ」さんのコピー
で滑りこんだ優でした。この「高慢と偏見」は原作では難解で、日本語訳を
楽しく読んだ覚えがあります。若い女子がワクワクする内容ですから。
あっと言う間に上下巻を読み終えたと覚えています。
モームが「世界の十大小説 上巻」の中で2冊目にあげています。
「たいした事件が起こるわけでもないのに、ページをめくる手が止まらなく
なる」と言わしめた、イギリスの女流作家の代表作です。
今日はそのモームの「作家の手帖」がワタシの愛読書だと言うことを
書きたいと、なぜこうも何度も何度も読んでしまうのか?
これは、モームの普通っぽい写真ですが、彼はイギリスの情報部員、スパイと
しても実績もあり、その活動をもとにスパイ小説を書いた作家なんです。
って誰でも知ってることなんですが、1930年代には世界で執筆料の一番高い
作家と言われ、世界中を旅して回った人です、さぞゴージャスな旅だったんで
しょうね。「金銭は第六感のようなもので、これがないと他の五感も満足に
働かない」と言ってるくらいですから。
愛読書、座右の書と言っていいこの「作家の手帖」は1955年ですから
81歳の時にかかれた、エッセイとよべるでしょうか?そうではなく作品の
ための覚書ノートと言った感じのもの、まさに手帖です。
91歳で亡くなっていますから、老境に入り、人生とは?愛とは?真理とは?
人間とは?最近よく偉人の名言集などが書店の前に並んでいますが。
ワタシはこの手帖を20代のまだなんにもわかっていない、右も左も前も後も
そんな純粋無垢な、太宰を愛する若き乙女であったころに出会ってしまいました。
そらから何十年、座右の書はこんな風に。。。
モームの写真と比べるとデカッ、なんかの間違い?机の上で携帯で撮りました。
年季が入っているでしょう。
さて、この本のどこが気に入ったか?ページ479の最後に書いてある文書が
まさに、ワタシが求めていた答えだったんです。
もちろん、他にもいっぱい好きな文章だらけですが、この一番を今日はそのまま
写してみましょう。
『睦まじく団結した家族の一員になっているのは むろん楽しいにちがいないが、
しかしそれは、一人前になって世間へ出てからなんの助けにもならぬと私は思う
そうゆう家族にありがちな、互いの尊重の念が、自己の力量を誤信させることに
なり、人生の荒波と戦うのをいっそう困難にさせるのだ。しかしそれも、一般人
にあってはただの不利益の程度だが、もし芸術家だとするとそれは致命的である。
芸術家は、孤独の狼である。人跡まれな道をゆく。一家が彼を荒野へ追い出して
くれるのが、彼にとっては幸せである。せいぜい高く見積もってもまあ先の見込み
はあるだろうという程度の仕事にたいして、身びいきの肉親たちがふんだんに褒め
るのは、彼をだめにするだけだ。すでに匠だという気になって、よりよくする努力
をしないだろう。自己満足は、芸術家の死である。』
12歳の時に、学校の寮に入って10年、それ以後両親と同じ屋根の下で生活
したことのないワタシは家族のあり方を、親が子を思う、愛すると言うことは
どういうことか。出合った作家があのデカダンスな太宰治、「家庭の幸せは諸悪の
根源である」。。。子はどう生きたらよいのか?
自由とは考える時間がたっぷり、自社責任施工。大変だがそれが大きな親の愛で
あると、確認できたのは随分時間がかかりました。
子を思うライオンは幼子を崖から突き落とす。
まさに、先人の言うことは一理ある。ライオンではない人間の親はそれが自身の
都合であったにしても、親が子に対する愛情こそは全く利害を離れた唯一の情緒
である。とモームは言ってます。
モーム自身も8歳の時に母親を10歳の時に父親を亡くしています。叔父のところ
で育った少年時代、孤独で淋しかったに違いありません。
その後のモームは、まさに自社責任施工をまっしぐら。芸術家になっていくのです。
もちろん、ワタシは芸術家なんてとんでもない凡人もいいとこですが、自分の
人生を誰かがひいてくれたレールの上だけは歩くまいと小さな心に誓ったのです。
それはまさにモームが教えてくれたこの言葉
『人生とは、切符を買って軌道の上を走る車に乗る人にはわからない』
まだまだ、へそ曲り、天邪鬼なワタシの人生とは?
人が生きるとは?勉強中であります。
なんか、他所の家とは違う家に育ってしまった方、親に愛されてた感がなかった
ように思ってる方、十分なホッタラカシの自由時間が与えられた方、貧乏で何も
買ってもらえなかった方、親が自分の好きな道を歩くために邪魔にされた方、
産みの親の顔を知らない方、人の情けにあたたかくなった思いを忘れないで。
それが、ワタシたちの宝物。
「ママに好かれる子供にならんでええんよ、ママに褒められんでええんよ
ママと暮らすよりもっと長く他人と暮らしていかなあかんのよ、
特に女はな、商店街のおじちゃんや、おばちゃんと仲良くしてもらいなさい、
それがあんたのためになるんよ、ママはママの仕事でせいいっぱいやから」
これ、おかあちゃんの名言集のひとつに入れておきます。
今日も得手勝手な長文、お付き合いありがとうございました。
では今夜はこの辺で。