「かんにんしたってな、ママのこと許してな」

叔母は今度もまた、入院したおかあちゃんの付き添いのためにやってきました。

3つ違いの父親の違う妹、その下に5つと7つ違いの妹がいます。おかあちゃんの

妹達です。その3人の妹の中で一番仲のいいのが付き添いの叔母です。

今回の入院の原因については、おとうちゃんと、叔母はワタシに隠さないでおこうと

決めたみたいでした。

ワタシだって、もう17歳ちゃんと大人の言うことがわかるし、今までのもやもやした

霧を晴らしたかったし、ワタシだけが蚊帳の外みたいな生活はもう我慢ができないと

思っていました。でも、聞きたいのが半分、聞きたくないのが半分と、その場を逃げたい

気持ちでもありました。あんたはねほんとはもらわれてきた子なんやで。ほんまの母親は

遠くにいてるんや。たぶん、たぶん叔母はすまなそうに秘密を話してくれると覚悟しま

した。


 おとうちゃんは入院の度に必ずやってきます。叔母もそうです。皆が揃ってからワタシが

呼ばれます。たいていは、文ちゃんが電話で知らせてくれます。今回は授業中に呼び出

されかけつけました。危なかったからです。病室はちょっと暖かすぎるくらいエアコンが

効いていました、冬だったとかろうじて季節を覚えているのはセーラー服の首に赤いター

タンチャックのマフラーを巻いていてその端っこの束になったところをいじいじと指にま

いてはほどきながら叔母の話を聞いていたからです。


 ちーちゃんはな、ウチらのおかあちゃんにごっつう虐められてん、かんにんな、

ちーちゃんと言うのは3人の妹がおかあちゃんを呼ぶときの呼び名です。

すでに叔母は泣いて、ひくひく言いながら、話を続けます。こんな話はママは絶対

言う人じゃないから、おばちゃんが話すけど、ちーちゃん、小さい時、大坂のおば

ちゃんとこへもらわれたことは知ってる?

うん、知ってる、ママに聞いた。大坂のおばちゃんのことおかあちゃんって言うてるけど

ほんまのおかあちゃんと違うんや言うてた。おじちゃんもほんまのおとうちゃんと違うっ

て言うてた。あの二人は、ママのほんとのおとうちゃんの妹夫婦やねん、そやから全くの

他人とは違うさかい、大事にしてもろたんや。でもな、それまではウチらのおかあちゃんと

一緒に暮らしてたんや、おばちゃんのお父ちゃんはちーちゃんのおとうちゃんと違うから、

それわかるやろ?おかあちゃんが、何かの理由で大坂へ養女に行った話は、わりと

小さい時に聞いて知っていました。

それだけでもおかあちゃん可哀想やと思っていました。

時々、おかあちゃんの方を見ると、すやすやと眠っていますが、顔は青白く、死んでも

おかしくないくらいな色です。前に病院に来た時は、ちゃんと話しもできて、すぐに

家に帰れるから心配せんときって笑ってたけど、その時も自殺未遂だっと言うこと

でした。ワタシに隠すだめに、元気になってから病院へ呼ばれたから知らずじまい

でした。いつもワタシだけが色んな家族の事情から離れた寮で生活していたからです。

 夫婦でどんな話になっているのか?仲が悪いのか良いのか?ワタシのことをどう

思っているのか?もちろん聞くなんて出来ませんでした。それこそお盆から水がこぼ

れてしまって、元にもどらなくなると子供心に察していたからです。



 叩かれたり、蹴られたり、突き飛ばされたり、暗いところに閉じ込められたり、

ご飯食べさせてもらわれへんかったり、怖い言葉でしかられたり、こんなことが

毎日やってん。叔母ちゃんも見ていて、ちーちゃんの見方したかったけど怖いから

できひんかった。ごめんな。叔母ちゃんは一々謝りながら話ます。

それだけ、叔母ちゃんも子供心に傷をおってるんだと、今ならわかります。

話は、ワタシがもらわれてきた子じゃなかったんです。叔母が言うにはおかあちゃんの

腫れてない顔を見たことがないほど、いつもを叩かれて腫れてたそうです。

 叔母ちゃんは、当時のことを思い出しているのか、ぬぐっても、ぬぐっても涙が止まり

ません。ワタシは相変わらず、マフラーの先の紐みたいなのをいじって、たぶん下ばかり

見ていたと思います。そんな子供の時の恐怖心から、自殺未遂を繰り返すと

叔母は言いました。今回は飲んだ薬の量がはんぱじゃなくて、万一のことがあったら

あかんと思って、ワタシを呼んだと言いました。

その時、ワタシは叔母と一緒に泣いたかどうか覚えてないんです。

それよりいつの間にかおらんようになったおとうちゃんのことが気になっていました。

おとうちゃんはいつも第一発見者だったんです。

遺書はおとうちゃん宛と叔母ちゃんです。ワタシにはないんです。

ママな頭に大きな傷があるねん、崖から落ちて何針も縫わなあかんほどの傷、

聞いたことあるか?その後に、ちーちゃんのほんとのおとうちゃんが来て連れて

帰らはったんよ。

叔母ちゃん、あの時、お別れやけど嬉しかった、ちーちゃんが幸せになれると思って。

それから、ずっと手紙書いてくれたんよ、うちら姉妹に。写真も送ってくれたんよ。

ちーちゃん、腫れてない顔は、綺麗な子やってんな。おばちゃん知らんかったわ。

 ママはな、あんたのことがいつも心配で、でもなあんたがええ子やから自慢や言うて

おばちゃんに電話で言うてたで。今度のこともな、おばちゃんにはわかるんやけど、

あんたにわかるようによういわん。大人になったらわかるようになると思う。


 17歳で、おかあちゃんの秘密を知って、その秘密はおかあちゃんが死ぬまで

ずっと秘密のまま。おかあちゃんはワタシが叔母ちゃんから秘密を聞いたことも

たぶん知らずにいたと思います。娘に言えないこと。。。おとうちゃんには話した

んだと思います。最初の結婚の報告をしに行ったときにおとうちゃんから秘密の

話を聞きました。結婚も人の倍も3倍もしたけど、大人になってないんやろか

大人になったらわかるようになると思う、って言われたけど、わからないままです。


 

 この入院以後、おかあちゃんは、風邪ひとつひかんと、元気に20年近く喫茶店から

始まって、小料理屋、シャンソンをピアノで聴ける綺麗な女の子がいるBAR。ビジネス

旅館とお店を増やして、ママというより、女実業家になっていきます。

正式に両親が離婚したのは高校3年生の時でした。おとうちゃんが再婚するからです。

高校の卒業式も、大学の入学式もおとうちゃんとおかあちゃんは離れて座って、ワタシ

を祝ってくれました。


 母の日のおめでたい日?にこんな話を書くなんて、まあ日記やから何書いても、

でも、読む人は感じ悪いし、エー気持ちにならんし、でも世の中にはいろんな

おかあちゃんがいてもいいんやし、ワタシのおかあちゃんのこと、今までブログに

書いてきて、テーマ「おかあちゃんのこと」を読み返したら、この話だけ書いて

なかったんで、今日は母の日の次の日やからいいかなと思って書きました。

おかあちゃんのことは自分のために書いています。叔母が言った大人になったら

わかると思う。小さい時の恐怖心から自殺未遂を繰り返す。そんな直線的なこととは

違う、ブログを書き出して、少しづつわかってきたこともあります。それも書いて

いこうと思っています。昨日書いた記事は、そんな内容なんですが、なんせ世界中で

ママ、ありがとうと感謝する日に、そんなあまりにダークな話はやめとこうと思って

今日、新たに書き直しました。ブロ友の「なんやろ」さんのところに好きな曲が

貼ってあって、それ聴いてたらいつの間にか遅くなってしまって、リンクよう貼り

ませんけど、時間あったら聴きにいってみてください。「日曜はだめよ」の作曲家の

曲ばかり貼り付けてくれてます。いいですよ。

 では、今夜はこの辺で。