ほんとに気持ちのいい日でした。
1年を通して、5月は風薫る日が。。。我が家の裏庭の橙の白い花の香が
草取りを手を休めます。去年作った、藤の棚、どこの家も花が垂れ下がっている
のに、植え替えた時に花目を伐ってしまったのか、全く咲きませんでした。
来年が楽しみだね、って言うけれど今年も随分期待していたのに、残念でした。
その代わり、棚にびっしりと這ったツタが、綺麗な木漏れ日を作ってくれます。
小学生の木の椅子を持ってきて、そこで飲むコーヒーは、至福の時間です。
大人の緑になる前の黄緑の柔らかい葉が揺れる木漏れ日から、さらさらと音を
たてて流れてくる風の優しさったらありません。そんなに優しくしないでよ、なんてね。
「木漏れ日の家で」2007年のポーランドの映画です。
なんと原題は「Pora umierac」(死んだほうがまし)このままじゃ誰も観に行かない。
でも邦題は「木漏れ日の家で」これなら大ヒットしたのも頷けます。
これ、映画のポスターなんでしょうが、ヨーロッパな感じがしますね。
古い木造の、かなり大きな2階建てに一人で住んでいる91歳のおばあさんのお話です。
ちょっとあらすじをかじっていたので、観たかった映画です、DVDを借りてきました。
もう1本「クレアモントホテル」と言うこれも老女のお話。さすが2本続けて観る元気
はなく、まずは「木漏れ日の家」から観賞。
女ですから。老女になることは必須です。だから好きというのではありませんが、
「七月の鯨」とか「ドライビング・ミス・デイジィー」なんかが好きな映画です。
年取った女がどう生きればいいのか?
メメント・モリと言う言葉がりますが、「死を思って、忘れずに生きなさい」そして
「毎日を大事に生きなさい」っていうふうに理解すればいいんでしょか?
大事に生きていくことは老若男女全ての人間に課せられた使命と思っています。
生を受けてこの世に今存在しているということは、木漏れ日の中でコーヒーを飲めなく
ても、大切に生きていかねばならないと思うのですが。女が一人、毎日、毎日衰えて
糸が針に通らない、本を読む時間が後回しになってくる、庭をいじることも、一人で
コーヒーをいれることも、おぼつかなくなってくる、誰かワタシを見ていてくれるだけ
でいい、できれば、息子家族と一緒に暮らせたら、これ以上の安心はない、たとえ嫁に
忌み嫌われていようとも。この映画の主人公であるアニエラのただ一つの望みです。
彼女と一緒に暮らしているのは、雑種の犬、名前はフィラディルフィア。
このフィルになんでも話ます。フィルは彼女の事を全部理解している様子です。
グッドサポート賞です。おおかた、マニエラとフィルと大きな2階建ての家のベランダ
が画面に出てくるだけです。ガラス張りのベランダでの朝食シーンが素敵です。
さて、それだけならだたのドキュメンタリーです。彼女が91歳、死を目前にして
愚かな母、ボケた老女ではなく、誇り高い、生きてきた道程を輝かせるある決心が
この映画の見所、監督、脚本家が言いたかったことです。
ストーリィーをここで話してしまうなんて、野暮ですから書きません。あくまでも
感想ですから、ワタシの感じたこと、思い、映画との出会いによって新しい自分を発見
大げさかもしれませんが、それが映画を鑑賞することの醍醐味と言えると思うのです。
子供を持ったことがないので、子育ての難しさを想像できませんが、これ失敗すると
母の人生と息子(娘)と2つの人生の崩壊ですね。一人息子を甘やかしたと反省するも
もはややり直しの効かない91歳。でも、英知の決断、その決断の結果で、息子が何か
を、学んでくれればいいのですが、まずだめだろうなと思われる残念な予感がよぎり
ます。最後の最後まで、人間は、いえ女は深く考え情に溺れず、プライドを守って死ね
ることができれば、本望なんですが、そうがそうはいかないのが人それぞれにやってく
る個性的な「老い」ワタシらしい「老い」が確実に五月晴れの雲の向こうに待っている。
最後に、観終わって、やっぱりわんちゃんと一緒に暮らしたい。
お台所でフィルと二人で、朝食の準備をしているところです。
でわ、今夜はこの辺で。
1年を通して、5月は風薫る日が。。。我が家の裏庭の橙の白い花の香が
草取りを手を休めます。去年作った、藤の棚、どこの家も花が垂れ下がっている
のに、植え替えた時に花目を伐ってしまったのか、全く咲きませんでした。
来年が楽しみだね、って言うけれど今年も随分期待していたのに、残念でした。
その代わり、棚にびっしりと這ったツタが、綺麗な木漏れ日を作ってくれます。
小学生の木の椅子を持ってきて、そこで飲むコーヒーは、至福の時間です。
大人の緑になる前の黄緑の柔らかい葉が揺れる木漏れ日から、さらさらと音を
たてて流れてくる風の優しさったらありません。そんなに優しくしないでよ、なんてね。
「木漏れ日の家で」2007年のポーランドの映画です。
なんと原題は「Pora umierac」(死んだほうがまし)このままじゃ誰も観に行かない。
でも邦題は「木漏れ日の家で」これなら大ヒットしたのも頷けます。
これ、映画のポスターなんでしょうが、ヨーロッパな感じがしますね。
古い木造の、かなり大きな2階建てに一人で住んでいる91歳のおばあさんのお話です。
ちょっとあらすじをかじっていたので、観たかった映画です、DVDを借りてきました。
もう1本「クレアモントホテル」と言うこれも老女のお話。さすが2本続けて観る元気
はなく、まずは「木漏れ日の家」から観賞。
女ですから。老女になることは必須です。だから好きというのではありませんが、
「七月の鯨」とか「ドライビング・ミス・デイジィー」なんかが好きな映画です。
年取った女がどう生きればいいのか?
メメント・モリと言う言葉がりますが、「死を思って、忘れずに生きなさい」そして
「毎日を大事に生きなさい」っていうふうに理解すればいいんでしょか?
大事に生きていくことは老若男女全ての人間に課せられた使命と思っています。
生を受けてこの世に今存在しているということは、木漏れ日の中でコーヒーを飲めなく
ても、大切に生きていかねばならないと思うのですが。女が一人、毎日、毎日衰えて
糸が針に通らない、本を読む時間が後回しになってくる、庭をいじることも、一人で
コーヒーをいれることも、おぼつかなくなってくる、誰かワタシを見ていてくれるだけ
でいい、できれば、息子家族と一緒に暮らせたら、これ以上の安心はない、たとえ嫁に
忌み嫌われていようとも。この映画の主人公であるアニエラのただ一つの望みです。
彼女と一緒に暮らしているのは、雑種の犬、名前はフィラディルフィア。
このフィルになんでも話ます。フィルは彼女の事を全部理解している様子です。
グッドサポート賞です。おおかた、マニエラとフィルと大きな2階建ての家のベランダ
が画面に出てくるだけです。ガラス張りのベランダでの朝食シーンが素敵です。
さて、それだけならだたのドキュメンタリーです。彼女が91歳、死を目前にして
愚かな母、ボケた老女ではなく、誇り高い、生きてきた道程を輝かせるある決心が
この映画の見所、監督、脚本家が言いたかったことです。
ストーリィーをここで話してしまうなんて、野暮ですから書きません。あくまでも
感想ですから、ワタシの感じたこと、思い、映画との出会いによって新しい自分を発見
大げさかもしれませんが、それが映画を鑑賞することの醍醐味と言えると思うのです。
子供を持ったことがないので、子育ての難しさを想像できませんが、これ失敗すると
母の人生と息子(娘)と2つの人生の崩壊ですね。一人息子を甘やかしたと反省するも
もはややり直しの効かない91歳。でも、英知の決断、その決断の結果で、息子が何か
を、学んでくれればいいのですが、まずだめだろうなと思われる残念な予感がよぎり
ます。最後の最後まで、人間は、いえ女は深く考え情に溺れず、プライドを守って死ね
ることができれば、本望なんですが、そうがそうはいかないのが人それぞれにやってく
る個性的な「老い」ワタシらしい「老い」が確実に五月晴れの雲の向こうに待っている。
最後に、観終わって、やっぱりわんちゃんと一緒に暮らしたい。
お台所でフィルと二人で、朝食の準備をしているところです。
でわ、今夜はこの辺で。