数年前のことです。

流行ましたね、「私のお墓の前で、泣かないでくださいぃー」

その後は「トイレには、それはそれは綺麗なぁー」

でしたでしょうか?

両者とも、紅白出場を果たしました、我が家は民放のボクシングおよびk-1観戦です。



さて、その「千の風にのって」と題されたこの詩は誰が書いたのか、詠み人知らずだそう

ですが、9・11の式典の時、女の子が朗読して、世界中の人が涙を流し、又知ることと

なった、有名な詩です。


でも、ワタシこの詩を聞いたときに、アレッと思ったんです。あの詩と違うかなぁ?

昨日記事に書きました。彫刻家ファッツーニの墓碑に刻まれたあの詩です。

ではどうぞ、この詩は以前ノートに書きとめておいた詩です。



 わたしが死んだとき、泣かないでください。

 わたしは、風の中に生きています。

 くびすじに、あたたかい風を感じたら、

 あなたの髪が、風にみだれたら、

 それは、わたしです。

 それから、やわらかい雲、つぎから

 つぎへ、かたちを変える雲のなかに、

 わたしは生きています。

 だが、ほんとうに、わたしが

 生き続けるのは、彫刻の中です。

 かぎりない時間をついやした

 わたしの作品の中に。

         ファッツーニの墓碑銘より


 どうです?びっくりしたでしょう?ラジオで聞いた時にそれってファッツイーニです。

 と言ってしまいました。


 さっき、Toshyさんから教えてもらったピエトロ・サンタ「聖なる石」という町があって

 その町の人口の半分が彫刻家だそうです。ワタシは驚きません。

 ミケランジェロはイタリア人ですから。

 イギリスの、ヘンリー・ムア、この人も知ってますよね、フランスのジャコメティー

 これも美術の教科書に出たきた人です。そして、あの世紀末の天才ロダン、はいあの

 考える人のロダン、この彫刻家を通して、ミケランジェロと繫がっているんです。

 だから、イタリア人はロダンといっても関係ないんです。ロダンを通してミケランジェロ

 に遡らなくても、同じ水とパンを食べたいわば、同じ釜の飯を食った同士だから。

 生きるということは石や木を彫刻すること、生まれながらの彫刻家なんです。

 他の国の彫刻家たちがヨダレを流すような環境に生まれ育っているんです。

 イタリアの人は皆、生きることが芸術、人生イコール芸術なんです。

 

 話もどりますが、だからあの墓碑に書いた、ファッツイーニの詩の意味がわかります。

 お父さんは石工だったんです。お兄さんも従兄弟達も皆小さい時からそれを見ながら

 自分も彫っていたんですね。でもファッツイーニは突出していたそうです。



 師とあおぐために25歳で、アトリエを訪ねていった小野田宇花さんを実の娘のように

 可愛がっていたそうです、彼女の話の中に先生は社交辞令とか芸術家きどりが、我慢

 できない人でした、宇花さんが、勉強のために旅行に行ったり、人の展覧会へ行くこと

 をいましめられたそうです、「フアンタジィーは自分の中にある」と言ってたそうです。

 深く考える、自分を信じて自分を旅するといったことでしょうか?そしてそれを表現

 する。凡人であるワタシは表現できなくても、深く考え、内なる自分を旅することは

 できます。晩年は脳梗塞をわずらい、ステッキを離せない状態だったそうですが、彼の

 最後のメモにはこんなことが書かれてあったそうです。


 1987年12月4日  ローマで死去


 『決して果てることなく、常に益々神秘となっていく宇宙の中で

  死と生は同一である。それらは人も目に見えぬ小さな虫も等しい

  重さをそこでは持つ、無限の神秘に属するのだ』

 
 須賀敦子は、学生だった頃、小野田さん同様可愛がってもらったようです。

 彼女のエッセイ「時のかけらたち」の中でこのように書いておられます。


  87年、私は日本に帰っていた0さんから彼の訃報を知った。よく来たねえ。

 ときどき遊びにくるといいよ。顔いっぱいに笑いながら、そういって私に木の

 階段の小さな場所を空けてくれたファッツイーニのやさしさを、私はまだ自分の

 ものにできないままである。

 
 と文を締めくくっています。

 彼女の文章に何度泣いたかわかりませんが、このエピソードにも静かに流れる涙を

 しばらくは拭いたくない、声の出ない涙はいつまでも彼の笑顔を消してくれません

 でした。  
 
 
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 須賀敦子がアトリエで、さわっていいですか、

 あたりまえだろ。作家のところにあるんだから。


 修理のためにアトリエに帰ってきていたあの「ウンガレッティ像」です。


 まだまだ、須賀敦子を語りたい。どんなに好きかを。。。

 お付き合いくださると、嬉しいです。

 では、今夜はこの辺で。