3年ぶりに歯医者へ行きました。奥歯に被せていたものがとれてしまいました。


予約していたツレと現地で待ち合わせ、先生がツレの夜の飲み友達です。


あの先生夜見ると、酒で顔が浮腫んでたんやな。昼は細いわ。あんたもそうなんよ。


予約外のワタシは最後。覚悟していたので、文庫をバッグの中に入れていました。


どこか待ち時間のあるような処へ行く時は、必ず持っていきます。


差し歯の型をとったツレはとっと帰りました。

 
 向かいの席に座っていた母と小学生2年生の女の子、母のお腹は8ヶ月ぐらいで


しょうか?安定してはいるものの、足を広げて座って、家庭雑誌を読んでいます。


しばらくすると診察室から男の子が一人、3年生でしょか?



その女の子のお兄ちゃんです。向かいのワタシにこんにちわと挨拶、痛くなかった?


はい、と頷きながらちゃんとワタシと会話します。妹はちょっと恥かしがりやのようで、


目と目があったのですが、こんにちわはありませんでした。ちっちゃいのにめがねを


かけています。とても、チャーミングです。母はやや目を細めて笑っています。


髪が茶色なので若いと思っていたら案外、歳でした。妊婦さんの笑みです。


すぐに、呼ばれて次回の予約と会計です。椅子に置いてあった母親の買い物バッグを


兄は当然のように持ちます、背中は自分のランドセルです。感心しました。


お腹の大きい母のバッグを持って、妹の手提げも持っています。


振り向いて、兄はさよなら、妹はだまって手でバイバイ。母は会釈。


当たり前なしあわせな親子を見て、心がほっこりしました。


とうとう子供を持たなかった、ワタシの憧れの図です。




 しばらく、持っていった文庫に飽きて、本箱の婦人雑誌や童話やらの中から1冊の


雑誌を見つけて読んでいました。文藝春秋 臨時増刊号 「つなみ」と題されたその


雑誌は被災した子供たちの作文集でした。待合室にはワタシ以外に4名ほど座ってい



ます。汗を拭くかっこうをしながら、涙を拭いました。


その中で、絵で言えば母の日におかあさんの顔をカーネーションの赤でグルグルに塗り


込んだちょっとわかんないけど「うまい」とうなされる、3歳児の絵のような詩があり


ました。ノートを取り出して、書き留めてきました。


 
   「 かなしいきもちだった。

 
     うちのいぬの もかも、かまろも、うさぎもしんだ。


     いやなきもち。


     うちのねこの てつはいきているけど

 
     のらねこの よしだもいきてるもん。  」



 母を3日、待っても帰ってこなかった幼稚園児の女の子の詩というか、その時の気持ち

 
 いかなる時も、母と子は別れてはいけない。


 どんな境遇であっても、母と子供は一緒にいなければならないと強く思いました。



 
 帰りに自転車の風で湿った目が乾きましたが、おかあちゃんを思いました。


 娘をどうあつかっていいか?どう愛していいのかわからず、


 虐待された自分の過去のトラウマと闘いながら


 自殺未遂を何度も繰り返しながら、ワタシを一人で育てた母の、


 切ない気持ちを思うと 新しい涙が横に流れました。


 歯並びが綺麗なのは、あのおかあちゃんのお陰です。




でわ、今夜はこの辺で。