大人すぎるアメリカ人;子供過ぎる日本人ー何が? どこが? | リアル米国発!”米国マネジメントTIPS”

大人すぎるアメリカ人;子供過ぎる日本人ー何が? どこが?



最近記録映画で有名なKEN・BURNS氏が年月を掛けて発表したドキュメンタリー『The WAR』を見た。

アメリカの太平洋海岸、ミネソタの片田舎、コネティカット州の町、第二次大戦時の大きな基地のあったモービル・アラバマ州の生き残りのアメリカ人の目から見た、地元の兵士の戦争経験、留守家族の心配、アメリカ人の意識昂揚、戦争への不安感から、いくつもの戦場でのストリーを経ての自信の回復、今だ続く不安感、加速される『死』の悲劇と敵対心等をアマチュアとしての素朴さ、真剣さと、ものを見る力を持った生き残りの人が語る『戦争』は悲劇を通して物を学ぶ特性のある人類の宿命をほうふつとさせる。

ひとつ共通している点は日本人、ドイツ人、アメリカ人を初め戦争に刈り入れられた人は自国の勝利を信じて、自国の誇りの上に悲劇を超越して戦ったと言う事。

極東最高司令官のマッカーサーが日本軍に破れ、フイリッピンのバターンからオーストラリアに何千人の兵士を見捨てて逃げ延び、何年か後にフイリッピンに凱旋して、その後は破竹の勢いで島から島へ北上し、沖縄の激戦に勝ち、トルーマン大統領の原爆使用で日本の無条件降伏へとつながる。

そのマッカーサー司令官が日本に上陸して、どうして憎い天皇を生かす決意をしたかの理由はいろいろ詮索できる。マッカーサーの言った言葉の一つに「日本人は13歳のメンタリティーきりない」と言った言葉はいまでもその出所に興味を持たせる。

マッカーサーの日本人に対する印象はどこから出たのであろうか。たぶん、自分でやったことに関して責任を取らないず、慣れの果ては自分たちのはじめた世界戦略、克服の戦略を名前を借りた天皇に謝ることを押し付けた軍部の「俺知らない」と言う態度を批判して自分で責任を取らない、自分のことと意識していない軍国主義のTOPたちを揶揄って表現をしたのだろうか。

13歳の子供は大人と子供の途中で自分の価値をはっきり意識していないし、自分の責任でするということと大人の加護の下である程度の意思決定をするという大人と子供の途中の意識感覚の状態である。

アメリカ人は小さい時から自分で意思決定をさせ、同時に責任感も養成しながら育てる。日本人は各人のマチュリティーの度合いに応じて自己意識、責任感を養成してゆくアメリカ人とくらべて、皆一様にある年格好ではどのくらいの意思決定が許され、どのくらいの責任感を持たせるかという全員を意識しての標準化で、年に応じたしぐさ、考え方、責任感を期待しているようだ。

早く大人となってしまうアメリカ人、子供である時間が長い日本人と対象的だが、その別々の国の人が例えばアメリカの会社組織の中で協力する折に考え方、やり方、価値観、責任の取り方の違いの不都合は明白に出てくる。

この根本的な違いを意識して、考え方、責任感を上手く生産性、製品完成、会社の目的達成に持ってゆくのがトップ・マネージメントの仕事と責任なのだろう。そういうTOPは大人でなければならない。