続いて鹿屋航空隊第二中隊8機は、2機がプリンス・オブ・ウェールズを攻撃して右舷に魚雷1本命中を主張、6機がレパルスを攻撃し、プリンス・オブ・ウェールズに合計魚雷4-5本、レパルスに魚雷合計7-10本命中を主張している[185]。これは魚雷命中の水柱を攻撃側が自機の戦果と誤認したものであり、鹿屋空第一中隊第二小隊長として本海戦に参加した須藤は、レパルスへの魚雷命中は5-6本程度と推測している[186]。レパルスに乗艦していたイギリス人記者によれば、最初に左舷へ魚雷2本(機関部浸水)、次に右舷中央部に2本、最後に1本が後部に命中したと記録している[187]。また、命中したものの不発だった魚雷も目撃されている[188]。鹿屋空第三中隊9機はレパルスに挟撃雷撃を行い[189]、対空砲火で2機が撃墜された[190]。この他に11機が被弾し、3機の被害は大きかった[191]。対水雷防御に欠ける巡洋戦艦であるレパルスは浸水が激しく、被雷から4分を経た午後2時3分(イギリス軍時間12:33)、左舷に転覆して沈没した[192]。駆逐艦エレクトラが571名、ヴァンパイアがテナント艦長と従軍記者を含む225名を救助した[193]。宮内少佐・鹿屋空雷撃隊総指揮官は「敵戦艦1隻撃沈、1隻は攻撃続行の要あり」と打電して帰途についた[194]。

午後2時、美幌航空隊の九六式陸上攻撃機(武田中隊8機、大平中隊9機、各機500kg通常爆弾装備)が、雷撃を受けて炎上する英戦艦2隻上空に到達した[195]。イギリス軍によれば、最初に攻撃を行ったのは大平中隊である[196]。大平中隊は何もない海面を誤爆して帰還したが[197]、駆逐艦1隻を撃沈したと報告した[198]。戦後、大平はプリンス・オブ・ウェールズを狙って水平爆撃を行おうとしたが、初陣の爆撃手のミスにより、英戦艦のかなり手前の海面に投弾したと証言している[199]。英戦艦乗組員が安堵したのも束の間、武田中隊はプリンス・オブ・ウェールズに水平爆撃を行い、午後2時13分に後部主砲塔付近と左舷艦尾に命中を主張した(イギリス軍によれば命中弾1、不落下弾1)[200]。

プリンス・オブ・ウェールズには午後1時50分ごろ魚雷1本が艦首右舷に命中、2本目が艦橋右舷付近に命中、3本目は後部三番砲塔右舷付近に命中、4本目は右舷外側推進器軸付近に命中し、プリンス・オブ・ウェールズの傾斜は回復したものの1軸運転・最大発揮速力8ノットとなった[201]。武田中隊が命中させた爆弾はプリンス・オブ・ウェールズの最上甲板を貫通して艦内で炸裂、同艦の船体中央部の飛行機甲板は全体が盛り上がるほどの損傷を受け、さらに通称「シネマデッキ」に収容されていた負傷兵に多数の死者が出たほか、火災の煙が罐室に逆流・機関兵は退去した[202]。武田大尉はプリンス・オブ・ウェールズがシンガポールに帰航する可能性を考慮し、日本軍潜水艦によりプリンス・オブ・ウェールズにとどめを刺すよう要請して戦場を離脱した[203]。

なお、日本軍航空隊は救助作業を行うイギリスの駆逐艦を攻撃せず、救助作業を妨害しなかった。これには2つの理由があり、1つ目は、爆弾や魚雷を使い果たした上に燃料が少なかったことで、戦後、須藤(一式陸攻雷撃隊)から事情を聞いたプリンス・オブ・ウェールズのゴーディ機関長は落胆している[204]。もう1つ目の理由は美幌航空隊の壱岐春記大尉のようにイギリス海軍将兵の戦いぶりに敬意を表したもので、残った機銃で機銃掃射をし、救助作業を妨害することも可能であったにもかかわらず、それをせずに帰還している[205]。生存者の一部はシンガポールに上陸したものの、その後のシンガポール陥落時に日本軍の捕虜となってしまった[206]。

プリンス・オブ・ウェールズの沈没 編集

プリンス・オブ・ウェールズから乗員を移乗する英駆逐艦エクスプレス。
合計4-5本(日本軍主張7本、海底調査では4本)の魚雷が命中したプリンス・オブ・ウェールズは航行不能になり、左舷艦尾から沈み始めた[207]。魚雷・爆弾の命中数に関して日英の資料で次のような食い違いがある[208]。

日本側資料
プリンス・オブ・ウェールズ:魚雷7本、爆弾2発
レパルス:魚雷13本、爆弾1発
イギリス側資料
プリンス・オブ・ウェールズ:魚雷6本、爆弾1発
レパルス:魚雷5本、爆弾1発