ハミス炎上英空母

セイロン沖海戦
「セイロン沖海戦」も参照
4月1日ごろ日本軍によるセイロン島攻撃が行われるとの情報を得たイギリス軍は「ハーミーズ」の他、空母2隻、戦艦5隻などを集結させ、イギリス艦隊は3月31日から4月2日までセイロン島の南で行動していたが日本軍は現れなかった[11]。そのため艦隊はアッドゥ環礁へ向かい、「ハーミーズ」はマダガスカル島攻略準備のため駆逐艦「ヴァンパイア」とともにトリンコマリーへ向かった[12]。4月5日、コロンボが日本軍空母搭載機による攻撃を受けた。4月8日に再び日本艦隊が発見されたことから「ハーミーズ」、「ヴァンパイア」などはトリンコマリーから退避し南へ向かった[13]。4月9日、日本軍はトリンコマリーを空襲した。その攻撃が終わると「ハーミーズ」と「ヴァンパイア」はトリンコマリーへ戻るため反転し北上した[14]。しかし、「ハーミーズ」などは日本の戦艦「榛名」から発進した索敵機に発見されていた[15]。索敵機からの報告はイギリス側も傍受し、戦闘機が派遣されたものの間に合わなかった[16]。日本軍は艦爆85機、零戦6機を攻撃に向かわせ、その攻撃により「ハーミーズ」は「ヴァンパイア」などとともに撃沈された[17]。「ハーミーズ」では艦長以下307名が死亡した[18]。「ハーミーズ」と「ヴァンパイア」の生存者うち590名は病院船「Vita」に救助された[18]。

「ハーミーズ」は第二次世界大戦中日本海軍に撃沈された唯一のイギリス空母である。