小倉失敗 長崎を書こうしたら

京都はアメリカ観光見たい先生言うたが

京都や横浜も原爆投下の有力候補地だった
東京湾や川崎もリストアップされていた
2018年08月01日
高橋 浩祐 : 国際ジャーナリスト
1945年5月11日の第2回目標検討委員会では、爆風で効果的に損害を与えられることなどが条件となり、広島、京都、横浜、小倉の4つの目標都市が選ばれた。京都と広島を優先順位の高いAA級目標に、横浜と小倉をそれより優先順位の低いA級目標に分類した。

京都と横浜が実際の原爆投下の数カ月前まで有力な候補地として残っていたのだ。1945年5月には、初めて使用する原爆の効果が正確に測定できるよう、投下目標都市に対する空爆が禁止された。

アメリカが京都を外した理由
その後、京都と横浜が最終的に除外された。アメリカが京都を外した理由としては、1000年間朝廷があり、日本が誇る古都の京都に原爆を落とすと、戦後日本を占領するうえで日本人の協力が得にくいと考えたからだった。原爆開発の責任者だったグローブス少将(1944年に准将から昇進)は京都攻撃にこだわったが、ヘンリー・スティムソン陸軍長官が反対したという。

「京都を攻撃してしまうと、日本人は2度とアメリカ人の言うことを聞かなくなる。そのような戦略的な判断があった」。志賀館長はこう解説する。

1945年7月25日にトルーマン大統領が承認した原爆投下命令書では結局、広島、小倉、長崎、新潟の4都市が最終的な目標となった。

天皇殺す日本人言う事聞かん一緒や