負ける思わん

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山口多聞少将から、「陸用爆撃を装着したままで、ただちに発進すべし」などとする意見を受ける。

 山口少将からすれば、艦載機を満載したままで敵の攻撃を受けることは火薬庫に火を付けるようなものなので、とにかく艦載機を手放したいのと同時に、敵空母の甲板に穴を開けるだけならという思惑があったようだ。

 だが南雲中将は、爆弾を装着したままで発進するにしても、ちょうど帰ってきた第一次攻撃隊を先に着艦させなければ、燃料切れで100機近くの飛行機が墜落する危険性もはらんでいたため、まずは収容という頭があった。

 しかも爆弾では効果が薄いだろうし、攻撃機を護衛する戦闘機も少ない。このため第一次攻撃隊の収容と並行して爆弾を魚雷に転換する作業を進め、完了したのち敵に向かう-というごくごく当たり前の命令を発したのだった。

 その判断の裏には、索敵機が報告する島の北450キロにいるとされる敵との距離から「まだ時間はある」という判断とともに、何度も島から護衛戦闘機もなく攻めてきたアメリカ攻撃機が次々と零戦に撃ち落とされているのを目の当たりにしたこともあった。

急降下で攻めてくるアメリカ機

 とはいえ、アメリカが島から実施した南雲機動部隊への攻撃もやみくもに行ったわけではなく、味方の機動部隊へ南雲機動部隊の正確な所在地を絶えず知らせることにつながった。

 しかも、兵装転換に必死の南雲機動部隊の作業をしばし滞らせることに成功したほか、偶然だろうが、第一次攻撃隊の帰還と重なったため、アメリカ機と見間違えて味方機を撃ち落としそうになるなどの混乱も誘発させている。

 4日午前8時半過ぎ、南雲機動部隊の各空母の甲板では第一次攻撃隊の収容を開始する。同時に艦内では爆弾から魚雷への兵装転換を行っていた。

 通常の兵装転換だと、飛行隊の基礎となる2個中隊にあたる18機をこなすのに2時間前後かかるとされるなど、手間ひまのかかる作業だけに、パイロットも入っての総動員態勢で行われた。

 そして1時間ほどで収容を終えてアメリカ機動部隊に向けて北に進路を向けたところで、真上からアメリカ機14機が襲ってきた。アメリカ空母「ホーネット」から発艦したデバステイター(TBD)雷撃機だった。

 南雲中将らも、機種からしてミッドウェー島からではなく、味方の索敵機から報告を受けていた空母からの攻撃機だとわかった。

 すぐに対空砲で応戦するとともに上空で護衛していた零戦18機と、「赤城」と「加賀」から発艦した計8機の零戦で迎撃して全機撃墜する。しかし予想よりも早く来たことに、何とも言えない不安感に襲われた南雲中将らだった。

 実は、「利根」の索敵機が報告してきた距離は誤りがあり、敵の機動部隊は報告してきたミッドウェー島の北約450メートルよりもはるかに近い約260キロの地点にいたのだった。

 最初の攻撃が収まった直後、さらに追い打ちをかけるようにヨークタウンの攻撃機が「飛龍」をめがけ突っ込んでくると、「エンタープライズ」の艦爆隊30機と「ヨークタウン」艦爆隊17機も続けざまに襲ってきた。

黒煙を上げ逃げ惑う南雲機動部隊

 午前10時半前のことだった。やや「飛龍」が突出したかたちで前方を進む南雲機動部隊。ようやく発艦準備も整い、攻撃隊が出撃しようとしたそのとき、次から次に襲ってきたアメリカ機だった。

 あまりの急な攻撃だっただけに、対空砲も間に合わずに、「加賀」の甲板に爆弾が命中して、大きな爆発音とともに炎と黒煙が上がった。「蒼龍」も被弾すると、数機の航空機が飛び跳ねて海中に落ちるほどの大爆発が起きた。

 「赤城」への攻撃は護衛の戦闘機が着艦して燃料と弾薬を補給し、発艦しようとした瞬間だった。2発の爆弾が続けて命中。第2次攻撃用の爆弾と魚雷を装備した飛行機で満載状態だったため誘爆を起こし、艦型が分からないほどの黒煙に包まれた。

 わずか数分の出来事だった。敵の機動部隊に攻撃を加えることもなく黒煙をあげる3空母。

 後方にいた「大和」内の連合艦隊司令長官、山本五十六大将のもとに、機動部隊次席司令官の阿部弘毅少将から「3空母が被弾して炎上」の連絡が入ったのは午前10時50分のこと。

 誰もが負ける戦いではないと思っていただけに、予想外の展開に驚きの声のあとは、言葉を失った山本大将ら大和艦内の連合艦隊幕僚連中だった。

 だが、3空母から50キロほど離れて雲の下にいた「飛龍」は敵の攻撃を免れ、無傷だった。

 「飛龍で敵空母を攻撃しようと兵力を結集している最中」とする阿部少将の知らせを聞いたときは、絶望のふちにいた山本大将もわずかながら救われた思いをしたのかもしれない。

 そして午前11時、山口少将が「われ、航空戦の指揮を執る」と宣言し、小林道雄大尉指揮の第一次攻撃隊24機がアメリカ機動部隊に向け発艦していった。

(園田和洋)