精神安定剤を飲んでる芸能人を紹介します

 

 

激務、ストレス、プレッシャー、うつやパニック障害、緊張を強いられる日々…

芸能人や有名人も精神安定剤を手放せない人がいます

リーゼ、デパス、ワイパックス、ソラナックス、レキソタン、メイラックス、セルシンなどたくさんの精神安定剤があります

 

では、精神安定剤を飲んでいる(飲んでいると言われている】芸能人を紹介します!

 

 

北川悦吏子さん:

  • 職業:脚本家・映画監督
  • 概要:多くの名作ドラマを手掛ける脚本家として知られる北川さんは、自身のブログでデパスの服用を公表。彼女の意図は、デパスを服用している人々が恥じることなく、その事実を受け入れることができるようにするため。彼女はデパスが「悪」ではないとの考えを持っています。

山口岩男さん:

  • 職業:ギタリスト・ウクレレ奏者
  • 概要:ギタリストとしての才能を持つ山口さんは、弟の急死後、パニック障害を発症。その結果、12年間にわたって精神安定剤を服用。彼はデパスの服用による依存症の経験を公に語っており、その時の症状や体験について詳しく共有しています。

猪瀬直樹さん:

  • 職業:元東京都知事、作家
  • 概要:作家としても活動している猪瀬さんは、デパスの服用についてTwitterで公に触れています。特に眠れない時にデパスを服用していることを示唆しています。

浜崎あゆみさん:

  • 職業:歌手
  • 概要:国民的歌手として知られる浜崎さんは、2008年に左耳の聴覚喪失を公表。その後、彼女がデパスを服用していたとの報道があり、デパスの副作用が原因で聴覚を失ったのではないかとの噂が流れましたが、その真偽は不明です。

石田明さん:

  • 職業:お笑いタレント
  • 概要:お笑い界での多忙な日々から、仕事のストレスが原因でうつ病を発症。そのため、精神安定剤を服用していたと言われています。

梶原雄太さん:

  • 職業:お笑いタレント、Youtuber
  • 概要:お笑いタレントとしての活動中、ストレスから心身症を発症。その事実は相方のブログで公にされ、多くのファンからの心配の声が上がりました。

吉澤ひとみさん:

  • 職業:元モーニング娘のメンバー
  • 概要:モーニング娘の元メンバーとして知られる吉澤さんは、東京の山手通りでの飲酒ひき逃げ事件の際に精神安定剤を服用していたと報じられました。

丸岡いずみさん:

  • 職業:フリーアナウンサー
  • 概要:東日本大震災の報道を行っていた丸岡さんは、その重圧からうつ病を発症。その後、抗不安薬を服用して回復の道を歩んでいます。

桂ざこばさん:

  • 職業:落語家
  • 概要:落語家としての活動を続ける中、34歳のころにうつ病を発症。そのため、精神安定剤を服用していたとの情報があります。

華原朋美さん:

  • 職業:歌手
  • 概要:2009年に急性薬物中毒で救急搬送された華原さん。その際、精神安定剤を服用していたとの噂が流れ、彼女の健康状態について様々な憶測が流れました。

Ikkoさん:

  • 職業:メイクアップアーティスト、タレント
  • 概要:日本を代表するメイクアップアーティストとして知られるIkkoさんは、テレビ番組や書籍などで美容のアドバイスを行っています。彼女は過去にパニック障害を公表し、その経験から多くの人々に勇気や希望を与えてきました。精神的な問題に対して、精神安定剤や治療を受けることで、健康的な生活を取り戻すことができるというメッセージを発信しています。
 
以上が、精神安定剤を飲んでいる芸能人(日本)をまとめてみました。
 
 

 

 次に海外の精神安定剤を飲んでいる芸能人を紹介します。

 

  • マイリー・サイラス
  • ダコタ・ジョンソン
  • エマ・ストーン
  • クリステン・ベル
  • デミ・ロヴァート
  • ハル・ベリー
  • グレン・クローズ
  • アデル
  • レディ・ガガ
  • セレーナ・ゴメス
  • ビヨンセ
公表していなくても、人知れずに精神安定剤、睡眠導入剤、抗うつ剤、これらに頼っていたり、あるいは依存している日本や海外の芸能人やセレブは多そうですねー
 

 

 芸能人が精神安定剤を飲んでいる理由とは?

 

芸能人が精神安定剤を服用する理由は様々ですし、芸能人の人にしかわからない事情もあるでしょう

以下はその主な理由として考えられるものです

ただし、これらの理由は芸能人に限らず、一般の人々にも当てはまる場合が多いです

悩んでしまえば、芸能人も一般人も変わりありません

よりプレッシャーに晒されるのが芸能人なのだから、精神安定剤を飲まざるを得なくなる理由がさらにあるぐらいですよね
 
  1. 過度なプレッシャー
    常に注目の的となる芸能人は、パフォーマンスや外見、私生活に関して多大なプレッシャーを感じる立場にあり、精神安定剤を欠かせなくなるそうです
     
  2. 不規則な生活
    夜遅くまでの撮影や公演、都市をまたぐツアーなど、生活リズムが不規則になりがちです
     
  3. 対人関係のストレス
    同業者やファン、マスコミとの関わりが多く、人間関係のトラブルが起きやすいでしょう。周りの人間も癖が強い人が多く、ストレスを感じやすいでしょうね
     
  4. 公の場での失敗への恐れ
    一つの失敗が大きな炎上や批判につながることから、常に最高のパフォーマンスを求められます。そのため心が不安定になりやすいです。そんな中でも高いパフォーマンスを発揮していることに脱帽です
     
  5. 過去のトラウマ
    幼少期や過去の経験に起因する心の傷が未だ癒えていない場合。芸能人は過去につらい心の傷を負った人が多いです。トラウマがあるのに、精神安定剤でなんとか抑えて生活の質を保っていると考えられます
     
  6. 仕事の競争率
    業界内の競争が激しく、常に自分のポジションを守る必要があります。自分がいなくなっても、すぐ別の誰かが変わりに入る、という恐怖と緊張を強いられるのが芸能界です
     
  7. 過度な自己意識
    外見や演技、歌、ダンスなど、細部にわたる自分自身の評価が求められるため、過度な自己意識が生じやすい。そのため刺激過剰、神経過敏になり、ストレスを感じやすくなります
     
  8. 人目を気にする
    常に人々の視線が向けられるため、プライバシーの侵害や評価を気にしてしまいます。芸能人といえども、常に視線にさらされ続けることはストレスになります
     
  9. 家族や恋人との関係
    芸能人も家族のことや恋人のことでうまくいかない事が多く、情緒不安定に陥りやすいです
     
  10. 物理的疲労と過覚醒
    長時間の仕事やツアー、トレーニングによる身体的な疲労や神経過敏。それが心を弱らせたり、眠れないほどの過覚醒状態に追いやります。

これらの理由が考えられます。

 

精神安定剤や抗うつ薬、睡眠導入剤をやめられ、悩みを解決した方の体験談を集めました

 

 

なぜ私はあがり症を克服できた?

 
昔のあがり症で悩んできた私でも、今では人前で話すこと(会議・発表・プレゼン)に対して、とても積極的になれました!☀

 

その心境の変化に私でもびっくりですし、昔の私にそのことを話したら眉唾ものだと思うかもしれません

 

そうなる想像なんて全くつかなかったからです



 

人って変わるものですね!

 

でも急に180度変わったわけではないです

 

そんなことはありえないことですが、一番大事なことはあがり症の人が回数を重ねるたびにどんどん自信喪失とトラウマを強くしてしまうのに対し、今のわたしは場数を踏むたびに自信が強くなっています

 

人が小さく思えて、別にきれいに上手に話せなくても「わたしはわたしでいい、これでいくぞ、失敗したからって恥かいたからってそれがどうした、やってやるぞ、見ていろ、皆の衆!」という心境です



私のあがり症克服プログラム体験談(岩波英知先生のプログラム)

 

これは岩波英知先生のプログラムでトラウマ処理とルーツ分析整理とプラス暗示の入れ込みのおかげですが、あがり症克服プログラムを卒業してからも自分の足でしっかりと歩め強くなれています

 

悪いことが起きてもくよくよすることはなくなりましたし、その中でもプラスのことだけを拾える性格になりました

 

そういうことの積み重ねで、昔の私がとても信じられないような奇跡のわたし(過去のわたし比)になれたわけです💋

 

脳みそに余裕ができて、しどろもどろすることもなくなり、頭が真っ白になることもなく、変に冷静になれました

 

そして言いたいことが言えるようになり、人の反応を伺うよりも、私が伝えたいことを主体的に言えるようになりました



 

それもこれも岩波先生のおかげですが、私が動いて経験することすべてが、今現在の私を強くしてくれるなんかボーナスステージのような人生になれました

 

ほんとに嘘のようにつよくなれました

 

現在岩波英知先生にお世話にならなくても自分が強くなれるということは、わたしも成長したんだなー!と思います🚄

 

変に気張って自己暗示を入れる必要もなくなりましたし、たとえうまくいかないことが続いても、変にプラス思考なわたしでいます!



私があがり症で苦しんでいた頃
 

悪いこと恥をかくこと嫌なこと不安なことが起きないように常に防衛逃避していた昔のわたしは、どんなにあがいても、もっと自分で悪いこと不安なことを引き寄せ、大恥をかいていました

 

毎日がため息をつく日々でした

 

もう電車に飛び込んでしまいたい気持ちに何度も駆られてました

 

わたしはこれ以上失敗したら、本当に死ぬだろうなと思ってました・・・・

 

でも家族に申し訳がたたないし・・・・

 

わたしの自殺原因は特定されるのだろうか?とか、あがり症で死んだんじゃないかと思われたら死にきれないとか・・・・

 

学生時代から人前での発表の時、声が裏返ったり、つっかえたり、出てこなくなったり、もうぶっ倒れるかもしれないぐらい血の気が引いて、心臓がパニック状態になって、手足もガクガク、汗もダラダラと垂れ流しになった時、もしそこが屋上だったら、わたしは突発的に飛び降りていた自信があります

 

もういやだ!!!!!! 死にたい!!!!!!!!!!!! 逃げ出したい!!!! すべてを終わりにしたい!!!!! なかったものにしたい!!!!! 死のう!!!!

 

とりあえず密閉された空間だったから、飛び込まずに助かったけれど・・・・・😖



岩波英知先生から学んだこと、プログラムを通して気がついたこと

 

いまは「もうどうでもいいや、そんなこと、なるようになるさ、くるなら来てみなさい!」の心境で、逆にそっちのほうがなんにも起きずにハッピーだったりします

 

なんであそこまで追い詰められていたのか不思議な感覚ですね

 

昔のわたしはそういう思考になるだけの原因となって当たり前の人生を送ってきただけの話です

 

でもトラウマ処理やルーツ整理をやることで脳に余裕が生まれて、なって当然だという昔の私への肯定感がさらに変な自信を与えてくれました

 

あがるんだからあがるのはしょうがない、という妙なホッとした思考です

 

そこからすべてが好転し始めたと思います↗




 

人は変われます!!!

 

悪い方向に変化したのならば、いい方向にも変化できるってことです!!!

 

希望を持ってください

 

多くのあがり症の人が、この症状から解放されて楽になってますから!!!
あがり症から解放されなくちゃ、なんのための生命なのでしょうか?
 
あがり症を治すには、あなたがあがり症になぜ陥らなくてはならなかったのか、明確に感覚で悟れないと難しいと思います
 
急にあがり症になるわけでもなく、急にあがり症が治るわけでもありません
 
あなたが今苦しんでいることは、子供時代から続いていることです
 
あがり症が発症していなくても、そうなる材料がたくさん積み重なっていたんですね
 
そこの流れがわかることで、あがり症克服の光が見えてきます

 

精神安定剤や抗うつ剤、睡眠薬を飲まなくなった方の体験談を紹介

 

私がお世話になった自己正常化プログラムで抗不安剤や抗うつ剤、睡眠薬を飲まなくなり、悩みを克服された方の体験談を紹介します

 

 

 

 

 【30代 女性 シンガーソングライター 発声障害克服体験談】
☆一度は諦めた歌手活動が再開でき、作曲能力も上がっていきました

 

シンガーソングライターをしていましたが、声や喉に違和感を感じ、発声障害と病院で診断されました。
でも発声障害の原因が全くわからず、多くの病院や鍼灸院に通い続けましたが、やっとストレスや心因性のものだとわかってきました。

家庭環境のストレスや自分で悩みを抱え込みやすく完全主義だった私は、見えない症状にいつの間にか蝕まれていたんだと理解できました。
ホッとしましたが、どう治せばいいか暗闇のままでした。

心療内科で処方された薬を飲み続けたり、心因性の発声障害が治りそうなメンタル系セラピーをはしごしましたが、根本的な治療効果が出ないまま歌手活動を諦めることになりました。
こんなに頑張っているのに報われない自分に絶望し、抗うつ剤にも頼ることになりましたが、こんな歌手人生になるなんて…と毎日泣いてばかりでした。

岩波先生の神業の噂を聞いたのは知人からの紹介でした。
同じく心因性の発声障害を克服した同業の方で、どん底から復活して大きなライブを成功させた方でした。

最初は私の抑圧し続けた心の硬さに直面してしましたが、歌手人生を諦めたくない一心で呼吸法やストレッチをやり続けていたところ、私にとって奇跡的な効果が出てくれました。
もちろん岩波先生の卓越した技術があってこそでしたが、天国のような夢心地がずっと続くトランスに入ってから、発声障害も良くなり、しゃがれがちだった声も正常に近い声量に戻っていきました。
一気に展望が開けて嬉しかったです。

トランスの質が良くなってから、私は自分の人生のマイナスも洗い流されたと思います。
同時に、なるべくして心因性の発声障害になっていたんだな、そんな人生を送ってきたんだなと呆れるばかりでした。
でも、不思議と気持ちもすっかり軽くなりました。

更に嬉しかったことに、作曲のインスピレーションもトランスのときにどんどん湧き上がってきたことです。
緊張やストレスを超えた超純粋な感覚に浸れてから、歌手活動も再開し、歌も作曲もライブでのパフォーマンスも向上していきました。

多くの方が全国各地から通われていることも納得の圧巻の技でした!
岩波先生、これからも私と同じ心因性やストレス性の症状の方を救ってください!
ほんとうにお世話になりました!
 

 (30代 女性 うつ病)
☆うつ病の夫の自死で私も鬱に。もっと早く主人に受けさせたかった…

 

主人は仕事の重圧や過労をきっかけに鬱病を発症しました。ミスを繰り返すようになり、頭も働かなくなり、さらに鬱病が深刻化していきました。
心療内科でカウンセリングと抗うつ剤治療をずっとやっておりました。それで小康状態が続き、一時寛解したほど回復した時もありました。しかし、長く続かず鬱病が悪化し、いつまでも治らないように私には思えました。これからも、これまでのようにずっとループを続けて抜け出せないまますり減らしていく不安がありました。

主人は抗うつ剤で病気が治ると思っていたか、疲れてしまい考えるのも嫌になったのか、私が薦めていた岩波先生のセラピーをいっさい受けようとはしませんでした。
鬱病をセラピーで解決できた人がいっぱいいて、症状を根絶できるのはここしかないと思っていたのですが、主人かかりつけの心療内科医の先生は事務的に接する人ではなく人間味もあり、主人も頼っていましたので、当事者でない私は無理を言えませんでした。
薬物治療には抵抗感がありましたが、いつか良くなる望みが少しでもあるのならばと思って見守っていました。
それでだめなら、主人が自分の意志でセラピーを受ける決意をするまで待とうと思っていました。

ですが、主人の鬱病が急にひどくなり、薬を増やしても効果が出なくなっていったので、主人は設備のある別の病院で入院しました。入院をすれば会社に通えるまで回復すると思っていたそうです。
しかし、会社を休職し、信頼していたお医者さんの手を離れ、新しい病院で薬漬けとされてしまい、退院してからは外へ一歩も出られなくなりました。
廃人になってしまった…絶対に思いたくないけれどそう思わざるをえないぐらい、かつての生気があった主人の表情は別人となってしまいました。
会社も退職せざるを得ず、社会復帰は不可能となったことに絶望したのか、仕事に生きがいを感じて生きてきた主人は自ら命を断ちました。


子供がいなかったことだけが救いですが、今度は私が自責の念に駆られ、精神的に落ち込み鬱症状が出ました。
主人の存命時、私まで倒れてはいけない思いで、気持ちを張り詰めて生きてきましたが、急にぷつんと糸が切れたようにやる気が出そうとしても出なくなりました。主人の親からなじられたこともつらかったです。

実家に戻り休養していましたが、主人の鬱病の暗い未来を知っていたため、根本から解決しようと私が先生のセラピーを受けることにしました。

今となっては遅いですが、もっと早く主人に受けさせてあげたかったです。
私の想像をしていたものを超えていて、皆さんが言われる通りセラピーで施術される技術は衝撃的でしたが、鬱症状にすごい効果が出ました。
抗うつ剤が主人を救った時期もありましたが、火急の消火剤のようなものでしかありませんでした。
もっと早くにぼやのうちに火元から消化させる先生の技術を受ければ、主人は元気に会社復帰できていたことは容易に想像つきます。
ですが、後悔してももう引き返せません。
これからは主人の分まで私が精一杯生きていきたいと思います。

 

 

 (30代 会社員 男性 自律神経失調症・鬱病)
☆薬漬けの怖さを実感。そして薬では不可能な領域にメスを入れてくれる技術との出会い。

 

・自律神経失調症の発症
自律神経がおかしくなりイライラ、肩こり、不安感、ふらつき、朦朧感、焦燥感等の症状に見舞われて来ました。 直接的な原因は職場の転属先部署での加重なストレスでした。

・薬物療法と薬漬け
発病当初から心療内科で抗不安剤を処方され飲み続けていました。その後、ストレス要因から距離を置くことで一端は小康状態になったのですが、完治に至らず、日を追う事にまた自律神経失調症の症状が強く出るようになりました。
薬が同じ量では効かなくなり次第に薬が増えていきましたが、副作用か猛烈な眠気や気だるさ、集中力低下、注意力散漫がひどくなっていきました。
病院を変え医者に相談したところ、さらに抗鬱薬を処方されました。
医者の言うまま疑問なく飲み続けていましたが、薬依存と薬漬けの恐怖を知り、このまま飲み続けても未来はないと急いで断薬をしたところ、もっと激しい離脱症状に見舞われました。

整体、運動、漢方、ヨガで乗り切ろうとしましたが通っていますが、さっぱり効果が感じられず、結局本意ではない薬漬けに戻らざるをえませんでした。
それでも明らかに症状が酷くなっていき、鬱病、パニック発作、種々の神経症症状も起こるようになりました。
どうにか根本治療がないものかと、藁にもすがる思いで調べているうち、多くの人が神経症を改善されている方法があることを知り通うことに決意しました。

・自己正常化プログラムの感想
先生の技術を実際に体験するまでは他の参加者を目にしても信じられなかったですし、やらせかもしれないと感じました。
しかし自分がそうなってからはそれだけ理解の範疇を超えた技術だとわかりました。素人では推し量れない神技の部類だと思います。
最初は心身への負担がありましたが、訓練が進むにつれて、絶対に薬では不可能な領域の潜在意識の根本から解決できるようになりました。薬は頭をぼやかしてしまいますが、やるたびに頭が冴えてくれました。
先生の指導で薬は飲み続けながらやりましたが、あと少しで断薬が症状解決の状態で成し遂げられそうです。
自律神経失調症や鬱病などに振り回されただけではなく、向精神薬にも苦しめられてしまい、大きな回り道をしてしまいました。

 

 
(40代 男性 医師 症状:手術時の手の震え)
☆なかなか解決できなかった手術時の震えが治り人生から不安が一掃

 

緊張性の震えで数年前にお世話になりました。 手術時の手の震えが主な悩みでした。
おかげさまで、今でも積極的に手術をこなしていますし、手術の腕も自分なりに向上しました。
自律訓練法をやり続けても、抗不安剤を服用しても、解決にならず途方に暮れていたところ、先生の存在を知ることができました。

受講していなかった未来を想像すると、本当に良かったです。 人生から不安が一掃されました。 救っていただきまして、ありがとうございました。

 

 

 (50代 男性 大学教授 不眠症克服体験談)
☆諦めかけていた不眠が今では眠ることに自信を持てています

 

長年、寝付きが悪く睡眠導入剤に頼り切りの毎日でしたが、不眠を完全に解決できました。
薬なしにスーッと入眠できるようになり、ぐっすりと朝まで目覚めることなく眠れます。
目覚めの悪さも大幅に改善、疲労やストレスを翌日に持ち越さなくなりました。
死ぬまで不眠症で疲労し続ける惨状を受け入れるしかないのかと諦めかけていました。
眠ることに自信が出たといったらおかしいですが、望外の成果です。
 

 

 

 (40代 男性 会社員 不眠症克服体験談)
☆望まぬ仕事のストレスから不眠に。倒れそうな毎日でした…

 

二年前位から、不眠に悩まされておりました。
ひどい時は眠剤を飲んでも三時間位しか寝れず、色々薬を変えましたが同じ状態でした。
あまりにも薬が効かないので、1ヶ月前から薬を止めてみた所、殆ど毎日寝れずフラフラ状態です。

仕事も休職をしましたが、休んでいても何もする気がせず倒れそうでした。
夜も昼も睡魔がこないときが続きました。一体どうなっているのかわかりませんでした。
その後は一気に疲労と眠気に襲われ、倦怠感と憂鬱にとらわれ、それでも神経過敏になっていて、おかしくなりそうでした。

頭が回らず凄く体調が悪いので、それを解決しようと思ってセラピーを受けました。
睡眠障害を解決できた今考えますと、本格的にうつ病になる前に通えてよかったと思っています。
眠れるようにもなりましたし、仕事にも復帰できました。
仕事(人員整理の責任者だった)のストレスや罪悪感が相当溜まっていたようです。
不眠だけでなく、割り切る能力も身につけることができて、くよくよ悩まなくなり、ストレスもすぐに消化できるようにもなりました。
そういう意味では悩んでよかったです。精神的にタフになることができましたから。

 

 

 (30代 女性 会社員 不眠症克服体験談)
☆眠れない潜在意識に抑圧された原因を解決できました

 

岩波先生の心理脳内プログラムの存在を知り得たことは不幸中の幸いでした。
不眠症の解決を主目的にセラピーを受けました。

私は以前より神経過敏で、抑うつ状態に何度か見舞われてきました。
中でも不眠症は5年近く続き、眠剤を常用しておりました。
なるべく薬に頼りたくないので、心理療法を何度か受けた経験がありましたが、潜在意識を変えることは専門家の力を持ってしても難しいことを思い知りました。

不眠の苦しみや無気力になった時、我慢の限界を感じることがあり、うつ病になってしまう不安がありました。

不本意な生活を絶対に変えたい、今度こそ潜在意識の病原を根本解消したいという動機からお世話になりました。

岩波先生のセラピーはすごいとしか表現できないもので、私も圧倒されました。
潜在意識が顕在意識にしてしまう、それが実際にできてしまう先生の技量には圧倒されっぱなしでした。
潜在意識の病原が浮かび上がり、その処理がなされてからは、もう不眠に悩むことはなく、健康的な睡眠が取れるようになりました。
神経過敏も治まりましたし、ストレスとの向き合い方や受け流し方も身につけることができました。
悩んでいた時期がウソのような快調さです。

 

 

 (30代 会社員 男性 自律神経失調症・鬱病)
☆薬漬けの怖さを実感。そして薬では不可能な領域にメスを入れてくれる技術との出会い

 

・自律神経失調症の発症
自律神経がおかしくなりイライラ、肩こり、不安感、ふらつき、朦朧感、焦燥感等の症状に見舞われて来ました。 直接的な原因は職場の転属先部署での加重なストレスでした。

・薬物療法と薬漬け
発病当初から心療内科で抗不安剤を処方され飲み続けていました。その後、ストレス要因から距離を置くことで一端は小康状態になったのですが、完治に至らず、日を追う事にまた自律神経失調症の症状が強く出るようになりました。
薬が同じ量では効かなくなり次第に薬が増えていきましたが、副作用か猛烈な眠気や気だるさ、集中力低下、注意力散漫がひどくなっていきました。
病院を変え医者に相談したところ、さらに抗鬱薬を処方されました。
医者の言うまま疑問なく飲み続けていましたが、薬依存と薬漬けの恐怖を知り、このまま飲み続けても未来はないと急いで断薬をしたところ、もっと激しい離脱症状に見舞われました。

整体、運動、漢方、ヨガで乗り切ろうとしましたが通っていますが、さっぱり効果が感じられず、結局本意ではない薬漬けに戻らざるをえませんでした。
それでも明らかに症状が酷くなっていき、鬱病、パニック発作、種々の神経症症状も起こるようになりました。
どうにか根本治療がないものかと、藁にもすがる思いで調べているうち、多くの人が神経症を改善されている方法があることを知り通うことに決意しました。

・自己正常化プログラムの感想
先生の技術を実際に体験するまでは他の参加者を目にしても信じられなかったですし、やらせかもしれないと感じました。
しかし自分がそうなってからはそれだけ理解の範疇を超えた技術だとわかりました。素人では推し量れない神技の部類だと思います。
最初は心身への負担がありましたが、訓練が進むにつれて、絶対に薬では不可能な領域の潜在意識の根本から解決できるようになりました。薬は頭をぼやかしてしまいますが、やるたびに頭が冴えてくれました。
先生の指導で薬は飲み続けながらやりましたが、あと少しで断薬が症状解決の状態で成し遂げられそうです。
自律神経失調症や鬱病などに振り回されただけではなく、向精神薬にも苦しめられてしまい、大きな回り道をしてしまいました。

 

 (40代 女性 個人事業主 更年期うつ・自律神経失調症克服体験談)

 

絶えず精神的な悩み(報われない生い立ち、結婚の失敗、不安障害)があり、そのストレスから自律神経が乱れて、病院では自律神経失調症と言われてきました。
背中、肩、首がこって痛くなったり、動悸がしたりするようになり、そして、汗もすぐに出るようになりました。
安定剤と漢方で治療を続けたものの、改善する実感が薄く、体調や精神状態が良くないまま生きてきました。
ただ仕事は仕事として症状に負けないように頑張ってきました。

ですが、40代も中盤に差し掛かる頃に仕事も手につかないほどの気分に陥って、疲れや倦怠感がひどく、特に休日は何にもできませんでした。
あんなに倦怠感と落ち込みの感情やどうにもできない苛立ちがひどくなったのは初めてで、うつ病を疑いました。
病院では、更年期障害と更年期うつと診断され、やはり自律神経の乱れを指摘されました。
抗うつ剤も出されるようになり、その薬だけは絶対に飲みたくなかったため、代替療法を探していたところ、自律神経失調症を克服された方が多いというドリームアートのセラピーを探し出せました。

今では元気に仕事もできるようになりましたし、二度目の結婚もうまくいっています。
更年期障害や自律神経失調症はもちろん、過去のつらい記憶も遠のいてくれて、日常生活もとても快適に生きられるようになりました。

 

 

 (40代 男性 会社員 自律神経失調症克服体験記)

 

あるプロジエクトの仕事のやり方に疑問を感じながら業務を継続していた際、なんともいいようのない苦痛を頭に感じ、座り込んでも何をしてもどうしようもならず、数十分ほどすると元に戻る、という状態が続いたでしょうか。
今度は活動していても立ちくらみが継続しているような状態が続く様になり、「自律神経失調症ですね」と言われ、精神安定剤を 処方されました。
最初は朝一回飲んだだけで一日が快適に過ごせましたが、急に飲んでも調子が悪くなり始め、次第に量が増えていってしまいました。

だるい、熟睡できない、疲れが取れない毎日をそれから10年ほど続けておりました。
緊張型の頭痛も慢性化し、自分の未来に危機感を感じ、瞑想や自律訓練法、ヨガなど自律神経にいいと言われるようなものは全てやってきたと思います。
その最後に自律神経失調症を改善できる人が多いと知人から聞いて、岩波先生にお会いすることとなりました。

呼吸法を毎日熱心にやってきたところ、5回目からとても体と頭が軽くなり、頭痛から解放されました(最初は頭痛がひどくなりましたが負けませんでした)。
あきらめずに通い続けて良かったです。
体のだるさや異様な眠気もなくなり、夜も熟睡できるようになってくれました。
自律神経は自分では制御できないだけに、岩波先生のような達人に出会えて私は本当に幸せものです。
もっと早くに知っておきたかったです。

 

 

 (外科医 40代 男性 目的:手術時の手の震え)

 

緊張性の震えで数年前にお世話になりました。 手術時の手の震えが主な悩みでした。
おかげさまで、今でも積極的に手術をこなしていますし、手術の腕も自分なりに向上しました。 自律訓練法をやり続けても、抗不安剤を服用しても、解決にならず途方に暮れていたところ、先生の存在を知ることができました。
人生から不安が一掃されました。 救っていただきまして、ありがとうございました。

 

 

 

 (IT経営者 50代 男性)
☆うつ克服に必要な刺激や体感を提供してくれ、安定した精神状態を取り戻せました

 

自分がうつ病であることを受け入れられず、家族や社員にも隠して生活していました。
しかし、どんどん症状が悪化し、会社の業績にも悪影響が出てくるようになりました。

そこで私は、うつ病と向き合う決意をし、まずは薬物療法やカウンセリングを受けることで、うつ改善を目指しました。
また、自分がうつであることを周囲に表明し、理解してもらいました。

自分の内面と向き合うために座禅や瞑想をはじめ、内観、うつ病と戦う人たちの集まりなどにも参加しました。
あえて自分の弱さを見ないようにしてきましたが、それらをやりうつが改善していったと思います。

しかし、ビジネスパートナーからの裏切りが発覚し、一番ひどいうつ状態に陥りました。
もはやごまかしが効かないと思い、岩波先生のセッションを受けようと決心いたしました(以前から存じていましたが、ちょっと怖い感じがあり先延ばしにしていました)

施術について、みなさんがおっしゃるように最初びっくりましたが、もっと早く受けていればここまでひどくなっていなかったと思います。
逆にあれほどの施術の迫力やスピード感がなければ、ダウンしてしまった脳は復活しないとも思います。

人生が変わるきっかけとなりました。
実際に参加するとよくわかりますが、私の脳がどのように働いているのかがわかり、自分自身の内面を一番深く理解できました。
自分の脳や心を刺激することができ、自然治癒力が高まり、精神的な安定感が増しました。
そして、プログラムのおかげで、本当にやりたいことや、自分が持つ可能性を再認識できました。

その後、適切なストレス管理や自分の思考パターンを把握できたことで、うつ病を克服することができました。
自分の成長や変化を体感することで、自己肯定感が高まり、自信も取り戻せました。

もし、同じようにうつに苦しんでいる方がいらっしゃれば、岩波先生の施術能力をおすすめします。
自分自身を取り戻すのに必要な刺激や体感を提供してくれるため、安定した精神状態を取り戻せます。
 

 

 
私はもともとあがり症で緊張症で、大汗かきの多汗症💦でしたから、一時期自臭症、いわゆる自己臭恐怖症にかかっていました

 

自臭症は匂いが出ている出ていないに関係なく、本人の中で絶対に自分の匂いが人に迷惑をかけていると思う症状です

 

私はあがり症で緊張が激しく、そのため自律神経が乱れ、多汗症になり、その結果私の臭いが人に迷惑をかけていると常に敏感になっていたことがあります

 

あがり症だけでも死にたくなるのに、自臭症にかかるなんて最悪です↘



 

だから制汗剤や香水で何とかしのごうと思っていました

 

特に自臭症できついのが、人の行動としぐさです

 

鼻を摘んだ仕草をしたり、鼻をこすったり、鼻の頭を掻いたりする行為に私は敏感になりました

 

あがり症だけでもいっぱいいっぱいなのに、その上人の挙動にまで振り回される私、なんて悩みのデパートなんだろう・・・・・

 

私の悩みの最悪期はそんなこんなで色々なもので悩んでしまっていたのでした😖
 
 
 
*私よりひどい自己臭恐怖症が治った方のブログもこちらに掲載しておきます

 

 
 
特に私は女の子なので、臭いと思われること自体最悪です

 

全人格を否定されてしまう言葉を投げかけられたら、生きていられなかったと思う・・・・



 

私の臭いに関する悩みは現在なくなっています😃

 

最近過去を振り返ってブログを更新していて、今ではすっかり遠い記憶になっていた自臭症の辛い記憶を思い出しました

 

自臭症発症時、私は本当に対人関係を避けていました

 

恋愛もしたいけれど遠慮していました🚻

 

もう私の臭い、汗のせいで他人の顔色をうかがうような生活は二度と嫌!




 

私が自臭症を克服して臭いの悩みとおさらばできたのも、Dream Art Laboratoryの心理脳内プログラム(知る人ぞ知る鬼才岩波英知先生がやっています)に通ったことがきっかけでした

 

岩波英知先生のトランス技術と抑圧処理で自律神経のバランスも整って、汗が極度に出なくなってからは自臭症の悩みも薄らいでいきました😃

 

なんか私はもう臭わなくなったという変な自信がついたんですね

 

でも、なんで人って臭わなくてもすぐに鼻に手をやるんだろう?😠

 

私も臭くないのに鼻の頭を掻いたりします、無意識に💦

 

もしそばにいた人が自臭症ならば、その行為を見てショックを受けるかもしれない・・・・・

 

ということは私が人のその行為に傷ついて落ち込んでいたのも、たまたまの行為だったのかもしれない

 

だけど、そんなこといくら言い聞かせても無駄です💔

 

これはあくまでも悩んでいる本人の心の問題です

 

だから無意識に根づいた神経症的問題だから、人のアドバイスなんて何の役に立たない!😠



 

私が自臭症克服体験から言えば、自己臭恐怖症克服の道として

 

一、自律神経のバランスが整うことで臭いの発生源が極端に少なくなる

 

一、自分が必要以上に臭いを発している過度の思い込みを外すこと

 

一、人から『臭い』とか言われたり、鼻に手をやる行為でその都度傷ついてトラウマにしているその感情的な抑圧、心の傷を無意識から浄化させること

 

一、人からどう思われるかではなく、主体的に行動して他人の反応を伺わない思考回路の構築

 

を心の根底からやっていったことが、自臭症克服成功の大きな要因だったと思います

 

これは自臭症に限らず、メンタル面の悩み全般において言えることだと思います

 

私は自臭症を克服し、あがり症も乗り越えることができました✌

 

一人で思い悩んでも何にも解決しないし、余計悪化させるだけです

 

だって臭いが出ていると本人が思ってしまう以上、いくら人から『気のせいだよ』なんて言われても何の効果もないし👂💨

 

ここはもう無意識から徹底的に洗いざらい抑圧処理とトラウマ処理をしたほうが絶対にいいと私の体験からおすすめします!

 

なお自臭症の方の克服ブログを発見『ひよ子の自臭症を短い期間で克服した秘話』しましたのでリンクをここに貼っておきます👓 

 

このブログ主のひよ子さんは思春期の頃から自習症にかかり、いまは臭いの悩み苦しみがなくなっています

 

同じ症状で苦しんでいる方は参考にしてみてください

 

追加です。もう一つ見つけました。

 

自己臭恐怖症、私という存在』というブログも自臭症の方の体験記です。

 

こちらも岩波英知先生の心理・脳内プログラムで治った方のお話です。🆗
 
 




 

あがり症を克服した人の体験談はとても励みになります。

 

まずは引用という形で、私があがり症を克服できた岩波英知先生のあがり症克服プログラムを受けた方の体験談(喜びの声を掲載しておきます)。

 

同じ症状で苦しんで、あがり症や緊張の悩み(震えとか社会不安障害など)が治った人の存在はとても励みになります。
私もそこから希望をもらっていた一人でした。
これからは私がその希望になっていきたいという強い思いを持っています。

 



赤い字は私の書評じゃないですが、感想を述べています。

 

あがり症が治った方の体験談 mind-artist.com/hanasikata/から抜粋しています

 

 

(40代 男性 医師 症状:手術時の手の震え)

緊張性の震えで数年前にお世話になりました。 手術時の手の震えが主な悩みでした。
おかげさまで、今でも積極的に手術をこなしていますし、手術の腕も自分なりに向上しました。
自律訓練法をやり続けても、抗不安剤を服用しても、解決にならず途方に暮れていたところ、先生の存在を知ることができました。

受講していなかった未来を想像すると、本当に良かったです。 人生から不安が一掃されました。 救っていただきまして、ありがとうございました。

 

本当に手が震える症状がなくなってよかったです

 

(30代 男性 外科医 症状:手術時の手の震え)

 

【手の震えの悩み】
ずっと研修医の頃から手の震えで悩んでいた。しばらくの間、手が震えたり震えなかったりその時々でしたが(理由がわからない)、何とか震えないで手術を終えた時はとても嬉しかった。
よく考えてみると、手が震えていないのは普通は当たり前なのに、そこで喜んだりほっとしている自分が情けなかった。
そんなものに要らぬエネルギーを浪費し続けている自分が惨めに思いはじめてからは、毎日が空虚に感じるようになった。

「今日も一日何とか手術をしのげた…だけどこんなことにほっとして喜んでいる…カリスマ外科医ならそのエネルギーを手術の腕と感覚向上に全力投入しているに違いない…それに比べて…」なんてこと考えると言葉にならない憤りとやるせなさを感じる。死にたくなる。
そんなことにほっとしていたのだからひどく不幸せな人生だったと思う。

【あがり症克服プログラムを受けた理由】
「私の人生は何だったのか、こんなことでいいのか、これからも繰り返していくのか…」ということを考えるとひどく虚しくなり手術時の手の震えも誤魔化しきれるものでなくなっていった。
このまま症状が悪化すると外科医としての私は終わると考え、岩波先生のプログラムを受けるしかなかった。もうあんな惨めな思いは嫌だった。
せっかく外科医になったのだから、とことんまで仕事をやりきりたい。
脳覚醒技術ですべてをリセットするしかなかった。

 

【感謝】

その強い思いをかなえていただき、先生は命の恩人以上の存在です。
最初は私一人だけが手の震えに苦しんでいると思っていましたが、かなりの数の人が同じ症状で終わりのない苦しみを味わっていると知りました。
先生の神業を同じ悩みの方にこれからも使っていってください!

 

私にとっても命の恩人です。あがり症が治っていなかったら今頃私はどうなっていたんだろう・・・

 

(50代 男性 経営者 症状:会議、スピーチ、朝礼でのあがり)

 

中小企業の社長をしています。

私の社会不安障害の症状は、『会議、朝礼、人前での挨拶やスピーチ』にやる前から非常な不安と怯えを感じてしまうことでした。実際にうまくスピーチや発言ができた試しはありません。 いつも後悔の連続です。   
一人で肩身が勝手に狭くなっていて、非常に憂鬱な日々を過ごしていました。
レキソタンを飲んで無理やり乗り切っておりましたが、薬に頼らなくてはならない「情けない自分」にも落ち込んでいました。 胸のドキドキが止まらなくなり、声が震え、足がガクガク震え、その場から逃げ出したくなります。 血の気が引いたようにクラクラと虚脱状態に陥り、このままでは仕事に差し支えがあると危機感を持ちました。
発症のきっかけは、朝礼で急に頭が真っ白になって、自分で何を言っているのかわからなくなり、溺れたように息苦しくなったトラウマを味わってからです。

これ以上薬に頼りたくないため、あがり症克服プログラムに参加しました。 地方だったので東京、大阪も遠かったのですが、本当にセッションを受けて良かったです。 自分をどんな場面でも制御できるようになりました。 次第に頭がクリアになってきて、薬に頼らなくてうまくいった乗り切ることができたときの感動は今でも忘れられません。

経営者同士の会合がよくあるのですが、堂々とスピーチをこなせるようになっています。 それにより商談もうまくいくようになり、経営者としても自信を持つことができました。
余談ですが、セッション後、症状が好転してからは仕事、人脈、幸運、すべてに恵まれるようになり、そちらの面でも驚いています。

 

スピーチ、人前だともう頭が真っ白で、心臓が爆発して生きた心地がしませんでした。治ってよかったです!

 

(20代 男性 大学生 症状:授業中のあがり)

 

『《症状》緊張してしまい出来ることが出来なくなる。それが悔しい。出来るはずなのにあがりやすいことだけですべて無駄になる。プライドも維持できない、台無し、最悪。
頑張ろうとしてもトラウマになってもっとできなくなる。すべてに自信がなくなる。女性や元気のある同級生に気おくれし、鬱になる』

自分はこんなもんじゃないと思いたくなくても、あがり症克服プログラムを受けるまでは半分人生を諦めていたと思います。
今はあがりたくてもあがれなくなりました。とてもうれしいです。
まだ学生のうちに思い切って受けて克服できて良かったです。社会に出たら避けようがなくなっていたと思いますので。

 

あがり症は本当に若いうちから解決したほうがいいです。癖になりすぎると大変ですよね

 

 

(60代 男性 議員 書状:書痙)

 

私は子供の頃から書写書道が得意でありました。何度も賞をとってきましたし、将来はプロに負けない書字ができるぐらいの自信を持っておりました。実際に字が綺麗だの上手いだのと言われ続けて参りました。
ですが、国会議員秘書を経て私も議員となった頃から人前で文字を書こうとすると震える症状が出始めました。
人が見ていない場合、若かった頃のように綺麗に文字を書けますが、仕事上人前で文字を書く機会が多く、薬で書痙が出るのを抑えていました。

歯痒い思い、忸怩たる思いでおりましたが、人に弱みを見せられる立場ではないため、書痙のために相当な苦労をして参りました。

交友関係や人間関係も大きく広がり、結婚式や葬式や各種催しでの記帳も大きな負担となりました。その頃に岩波先生を知人より紹介してもらいました。

 

老齢の身であり書痙で腕も肩も硬直していたため、最初は合うかどうかと思ったのですが、深い状態に入れさせてもらった時に書痙の原因がわかりました。震えないほうがおかしかったとまで悟れました。
そうなりますとスーッと力が抜けて久方ぶりの極度のリラックス状態が全身を包み込み、緩みと柔らかさを実感したのです。
若い頃、無心で文字を書いていた状態を脳が思い出し、書痙になっていない私を再発見できたのです。
それを先生に伝えたところ、書痙ではない感覚を脳に条件付けする施術をしてくださり、人前でも書痙が起きにくくなっていきました。
薬に頼ることもなくなり堂々と人前で文字を書けるようになりました。書写書道も久方ぶりに再開しております。

これからも書痙で悩む方を救い続けてください。先生の若さや溌剌さや天才ぶりは最高でした。心より御礼申し上げます。

 

条件反射であがったり震えたり、自分の意志では解決できないから厄介です

 

(20代 女性 会社員 症状:会議やスピーチでのあがり)

 

あがり症で資料の朗読、スピーチ、感想を述べることなどをするのが苦痛で仕方ありませんでした。
1度急にあがり症が会議室で出てしまい声がうわずり振るえ、周りの人から「平気? 大丈夫?」と言われ異様な空気が流れてしまいました。私は普段からそうなるようなキャラとは正反対のところにあったので、周りの人にはかなり驚かれたと思います(自分でも血の気が引くほどビックリしました)。
それだけに自分への幻滅、極度にあがってしまう人間だったという受け入れがたい現実、また同じあやまちを繰り返してしまう恐怖で、最悪な職場の日々が始まりました。

会議室の前を通るだけで勝手に動悸が激しくなったり、過敏性の腹痛を起こしていました。定期的に会議やスピーチがあるため、仕事が嫌になってしまい、当日は仮病を使い休むようになりました。夢を追ってこの仕事を選んだのにそうする自分が嫌でした。だけど、これからもずっと続くと思うと憂鬱で、それ以外ではすべてに恵まれた職場だったのに辞める選択しかできず、悔しくて悔しくて涙が止まりませんでした。
他の人は緊張もせず普通にできるのになぜ私だけできないんだろう・・・と退職後も落ち込んでいました。いくら自己暗示をかけても、いざ自分の番になると緊張して心臓がバクバクして、やればやるほどひどくなるのが自分でもわかり、更に緊張し、結局破局を迎えてしまう・・・と言う感じでした。

あがり症克服プログラムに通ったのは今の仕事の就職前でした。またおぞましいことを繰り返すのではないかという不安を消すことと、あがるメカニズムを破壊することが動機です。先生の凄腕に触れた時、ビックリしましたが、根本的に破壊するにはこれしかないと思いました。そして、問題の根っこに手が届く方法に出会えたことは無上の喜びでした。
ガチガチに緊張して固まっていた体や頭皮が芯から緩み、誤作動を起こしていた一番大事な脳内の緊張状態も和らぐようになってからは、次の職場でやっていく自信も芽生えていきました。社会復帰後、スピーチを求められてしまった時も、何とか平穏無事に乗り越えられてからは、失った自信も自律的に回復していってくれました。もし逃げ続けていたならば、社会人として第一線に復帰できなかったと思います。大きな虚無を感じて今も怯えていました。
私のやりたい夢を今も追い続けられているのも、岩波先生の凄腕がなければありえないことだったと思います。

 

職場は逃げられません。あがってしまう自分で居続けることは生き地獄です。

 

 

(50代 男性 士業 症状:プレゼン・講演時のあがり)

 

以前からあがり症ではありました。士業を自営でやっておりますが幸い人前で話すことを避けられてきて, あがり症だった弊害はさほど感じてきませんでした。
50歳を超え年齢的にも, その道のスペシャリストとしてプレゼンテーションや講師をやらなくてはいけない機会が増えました。
久方ぶりに人前で話した時,声や手足が震え, 口の中の渇きを感じ, 多汗もひどく,頭が真っ白になりました。
歳を重ね神経が図太くなっていたと思っていたため大変なショックを受けました。


人前での抗不安薬を飲んで何とかギリギリしのいでいましたが, いつ抗不安薬がきかなくなるかわからず, 毎回綱渡りでした。予期不安が起きた時にも薬に頼ることもいやでした。
薬に頼らずどんな状況下でも堂々と発言できる自分になりたかったですが, 一時しのぎをするしかありませんでした。

一度の失敗がトラウマとなり, 若い頃よりもあがり症がひどく苦手意識が高まりました。

しかも面子や立場上,恥を晒すわけにもいかず, 専門分野の知識を伝えるにも伝えられない悔しさがありました。
これでは何も知っていないのと同じ, それどころかインプットはすごくてもアウトプットが駄目な分だけ無念でなりません。
私の半生に何の意味があったのか, 無かったのではないか?と悩み続けるまで落ち込んでいました。

逃げたくはありませんし, 逃げることもできない状況が今後も続くことを考えると, 私の精神的ベースから解決しなければなりません。
人前でうろたえてしまったときの沈黙, 背筋が凍る無限に感じられる時間を味わうことだけは二度と味わいたくありません。

ですから, 自力では手の施しようがない原因を表出させて, 解決できる能力を有する岩波先生と知り合えたことは, 私にはツキがありました。
緊張で普段から極度に強張っていた精神が施術でほぐれていく実感を得たときに, はじめて良くなる予感がしました。
柔らかい安心感に包まれている余韻が長く続き, 翌日講じる場に臨みました。いつもよりも緊張せずにうろたえもせずに粛々と進めることができ, 大いなる自信につながりました。
トラウマ悪化が歯車が逆回転し, 私もやっと克服軌道に乗ることができ, 薬に依存する生活に縁を切れました。
体の硬かった私を見捨てず親身に指導いただきましてありがとうございました。

 

環境が変化して、あがる自分がわかって愕然とする・・・今まで運が良かっただけ・・お気持ちよくわかります!

 

 

(40代 男性 会社役員 症状:人前での発言でのあがり、声の震え)

 

受けた目的は、人前での発言時に、声が震えたり息苦しくなる症状。 3年前より約1年通うことになりました。 特に訓示、人前での発表が苦手でした。
それが若い頃からずっと私のコンプレックスで、人に絶対知られたくない弱点でした。 そして、訓示は部下に任せていましたが、避け続けることもできなくなり、解決方法を模索していた折、岩波先生の技術的評判を聞きつけ、プログラムに参加。

その施術に最初信じられなかったのですが、確かによくなっていきました。
反射神経で起きてしまうあがり症もなくすことができ、伸び伸びと部下たちに訓示ができるようになっています。
あがり症だけではなく、成功哲学も潜在意識から身につき、仕事やゴルフ、私生活も調子がいいです。

 

逃げ続けられないのがあがり症の辛いところですよね。仕事をしていたら特に。

 

 

(30代 男性 医師 症状:手技時での手の震え)

 

お陰さまで私の医師生命が救われました。本当に受けて良かったです。
勤務先が変わり、新しい人間関係のストレスをきっかけに、注射、点滴、採血といった行為に緊張して手がふるえるようになっていきました。(以前は得意な方でした)

強い意識を持ったり、気にすることはないと思っても、時間が経つにつれ悪化し、必死に止めようとしても難しくなり、いつも落ち込んでいました。
ついには緊張する必要が無い場面で、自動的にふるえが発生しはじめ、意識の持ちようでどうにかなる問題ではなくなり、抗不安薬に頼るようになっていきましたが、いつまでも依存している自分に罪悪感を感じていました。しかし、職業上、失敗するわけにもいかず、精神的に追いつめられていきました。
Dream Artでふるえを克服された医師の先生のブログを読み、私もプログラムを受けてみました。早々に希望が芽生えはじめ、薬にも頼らずにふるえず医療行為をできるようになりました。本当にありがとうございました。

 

たくさんのお医者さんが通っているんですね

 

 

(30代 男性 会社員 症状:会議でのあがり)

 

中学時代に国語の教科書読みを突然当たられてしまい、声が上ずったり震えてしまい、気まずい思いをしたことがあがり症の最初です。その後、高校、大学と次第に症状が悪化していき、足も震え、頭も真っ白になっていきました。負のスパイラルに陥っている自分をどうにもできず、無力感と絶望を味わってきました。

就職しても今度は会議への極度の不安です。一ヶ月先のことでも不安と焦りと恐怖でパニック状態になっていました。会議前には薬を常に飲んでいましたが、眠気やだるさや注意力散漫となり、薬に依存していく自分が嫌でした。
あがり症(と薬の副作用)のせいで人受けも悪くなり、出世も遅れがちになりました。この症状に恨みと悔しさを持ったまま生きていくものだと諦めていた時、あがり症克服プログラムに出会いました。もっと早く20代のうちに受けていたら良かったと思います。でも、ずっと悩んでいたあがり症が解決できたことは素直に嬉しいです。ありがとうございます!
今まで失ってきたものを絶対に取り戻してやります! 

 

多くの人が本読みで声が震えたり、人からからかわれたり・・・それがトラウマになってしまいますよね

 

 

(20代 男性 会社員 症状:人前でのスピーチのあがり)

 

職場の朝礼で40名ほどを前にスピーチをしなくてはならず、場馴れするどころかやればやるほどあがっていきました。しまいには、他の人は平然とやっているのに、僕だけが極度の緊張で異常に汗をかき、心拍数も増加し、言おうと思ったことすら出てこなくなりました。それが続いてしまい、人の目が怖くなり、たまらず転職をしました。日常の業務も対人折衝も普通にこなせるんですが、人前でのスピーチだけが唯一の弱点だったです。「これさえなければ・・・」と何度も思ったかわからないです。
次の職場では、何の問題なくしばらく過ごせてましたが、異動でスピーチが必要な部へ転属となることが決まり、目の前が真っ暗になりました。

今後の僕の人生のため、あと、もう逃げるのが嫌だったから、思い切って岩波先生のプログラムを受けました。絶対的な自己中心のあがらない考え方を先生から暗示を入れてもらい、スピーチのトラウマを外してもらいました。
不思議と心がパニックを起こさなくなり、主体的に自分をしっかり保ったままスピーチすることができた時、目の前がすごく明るくなりました。
場数を踏むことで、逆に自信もついてきました。先生の技術と能力がなければ、今だに逃げまわっていたと思います。

 

朝礼、これも毎日憂鬱です。スピーチがあるとわかったら何日前からだって鬱になります

 

 

(30代 女性 会社員 症状:人前でのあがり、手の震え)

 

人前で話す時や何かをやる時の緊張と手の震えが私の症状でした。
これらの症状によりこれまで自分でやりたいことを制限しながら生きてきて悔しくてたまりませんでした。
そんな私でも管理職となりました。今まで理由をつけて避け続けてきた人前で話す回数が増えてきたため、不安と危機感で進退窮まってしまいました。
絶対に知られないように気をつけてきた弱点を会社の同僚に知られることに怯えていました。プライドが保てなくなったら逃げるしかないと思っていました。

最悪転職の繰り返しで出世を諦めてただお金のためだけに働いていく虚しさを考えると早急に克服しようと思いました。
社会人であるかぎり、弱点はずっとついてまわって自分に苦しめられ続けます。仕事の幅を広げたかったですし、コンプレックスを抱えて逃げ続けていく悔しさから解放されるためにも岩波先生のお力を借りるしかないと思いました。
もうみじめな思いは二度と勘弁です。

 

数回通いベース作りをしたあと、大勢の部下の前で指導をしなくてはならなくなった前日に先生に施術をしてもらいました。その時は深い感覚と数年かと思える時間の感覚と極上の夢見心地を体感しましたが、翌日平常心でいられる自分にびっくりしました。先生の魔法が翌日もずっと効いている感じでした。不安も薄らぎ焦りも起きないし思考も狭まらず震えも起きなくて、自分の準備してきたこと全てを言い切れました。
それ以来波はありながら、私でも普通にできる自信をたくさん獲得しながら今日に至っています。周りには知られずに済みました。胸を張って仕事もできるようになりましたし手ごわかった自分を乗り越えられた達成感は今も色あせてていません。

 

意外に平常心が保てた! その喜びわかります! あがり症が治った人のあるあるですね

 

 

(40代 男性 経営者 症状:人前でのスピーチのあがり)

 

経営者なのですが、極度のあがり症でした。数人で話す分には、問題なく話せますし、意見を押し通すことができるのですが、大勢を前にしますとなぜか、 まったく話せなくなる症状でした。手汗がひどく、声も震えて、足もガクガクし始める始末です。

社会に出てから、次第にひどくなり、 持ち回りのスピーチをするかなり前から不安になり、数日前からは不眠症になっていました。その場面を想像しただけでも、身をすくむほど緊張するというのは、自分でも異常としか思えません。
管理職にでもなったら、もっと人前で話す機会が増えると思い、このままだと部下もついてこないどころか、バカにされるだろうと思い、プライドの維持のために独立しました。起業することで自分の夢も達成したいということよりも、あがり症のせいで辞めざるを得なかったのが実情です。
とにかく、人前に出ることは避け続け、断り続け、逃げまわっていましたが、そのせいで多くのチャンスを逃し続けておりました。そんな自分自身が もう嫌で嫌でたまらなく、プライドはあるため、よけい苦しみました。

もしあがり症がなく、みんなの前で意識せずに話せる自分であったら、仕事も人生もバラ色になるのにと思うと、一層現実の暗さに打ちひしがられます。でも、何としてもあがり症を克服しないことには、楽しい人生なんて私には絶対にやってこないと思い、多くのファンを抱える先生を頼りにしました。
もう逃げまわる人生は嫌でした。正々堂々と己の能力を発揮したい、もう悔しい思いは二度としたくありませんでした。

催眠療法を受けたことがあり、無意識の手強さを実感していましたが、ここは別格でした。無意識のすごさや怖さもよくわかり、どんな努力をしても、あがり症が悪化し続ける原因も、はっきり悟ることができました。
多くのあがり症で、能力を制限されて苦闘されている社会人の方。希望を捨てないで欲しいです。私でも、大勢の人前でスピーチができるようになり、経験と自信を積み重ねております。仕事の幅も広がり、私の行動半径も広がり、やっと本当の人生が始まりました。
同じような方々が、一日も早くあがり症を無意識から解決することを祈っています。

 

不眠症はあがり症の人について回ります。神経が興奮してしまうんですよね。あがり症と同じです

 

 

(20代 男性 会社員 症状:会議でのあがり)

 

あがり症をこじらせ会議であがってから職場での人生が終わったと感じました。
出世の道を閉ざされ社内から白い目で見られている事に耐えられなくなり、結局あがり症のせいで会社をやめました。
次就職してもあがり症のせいではもうやめたくないし、逃げたくない、同じ会社でずっと働いていたい、というのが僕の希望でした。
今度やめたらもう条件のいい就職先がなく落ちぶれる一方で、20代のうちに解決しないとやばいことになると焦り出しました。
社会人になってからも一生懸命努力して勉強してきたのに悔しかったです。

あがり症でない人は、ばりばり仕事をやっている、表情もみんなイキイキして働いている。
最悪な自分と比較して惨めになっていました。ずっと感情を押し殺して生きなければならない自分、乗れない自分、自信がない自分、様子をうかがう自分。 嫌でたまらなかったし、消えてしまいたいとさえ思っていました。

だからあがり症克服プログラムに参加しましたが、他の人達は良くなっても、自分だけはダメなんじゃないかという気持ちでした。
自分より後に入ってきたあがり症の方が自分より早く良くなっているのを見て落ち込んだ時期もありました。
でも、「ここで諦めたら改善する方法もないしやるしかない」と心に決めてからは狂ったように訓練をやり、その成果がすぐ出てくれました。
訓練とセラピーの相乗効果で無意識の世界に入ることができ、自分でも本当にできるんだ、これで良くなると実感できた時は本当に嬉しかったです。

それからは効果が早く深いところか出るようになりました。あがることもなくなり、もう逃げ回らずに今の仕事に一生懸命取り組めるようになりました。
自分が立ち直ると、周りの仕事ができると思っていた人間が普通に見えてきました。自分よりもすごくできるように見えたのは、自分が落ち込んでいて、そんな眼で周りを見ていたからだと分かりました。
それ以来、自分が大きく成長しているのを日ごとに実感しています。先生、ありがとうございました。

 

劣等感、周りの白い目…いたたまれないです。本当にあがり症が改善してよかった!

 

 

(20代 女性 看護師 症状:人前でのあがり、手の震え)

 

看護師をしています。小学校のころからあがり症で、人前で恥をかくことが多くて悩んできましたが、それでもあがり症以外の悩みはなく、何とか平穏無事に過ごしていました。
しかし、看護師になってからは、ひどい緊張による症状が悪化していきました。

4~5人の前で喋るときも、心臓がひどく高鳴り、汗でびっしょりになる時があったり、処置のときにも手が震えたり、ミスをしたりと極度に緊張することが増えていきました。
技術的には緊張さえしなければ、何の問題もなく処置できるだけに、悔しかったです。
プリセプターとなり、後輩に指導する立場になっても、緊張をなくそう、気づかれないようにしよう、なんとか先輩としての威厳を保たなければ、と必死で意識を向けていることに、毎日、疲労困憊になっていました。


このままでは、処置もまともにできなくなるのは目に見えていました。患者さんにも申し訳がなく、他の同僚は普通に処置しているのを目にするたびに落ち込んでいました。
あがり症対策の方法をいくらやっても一向に良くなる気配もなく、神経をすり減らす生活にもう限界でした。
精神科に相談しましたが、薬の副作用の怖さはよくわかっていたので、別の方法を模索しているうちに、岩波先生の施術を知りました。

これが最後の治る手段だと覚悟して受けてみましたが、あがり症を根本から治せる方法はこれしかないと思いました。
あれ以上時間を無駄にしたくない、生涯をあがり症で犠牲にしたくなかったという思いが報われました。先生の施術のレベルのすごさは、実際に経験して世界一だと思います。

 

あがり症の辛いところは、ミスをしてしまうことです。そのミスがトラウマにも成り上がり症がもっと悪化する…

 

 

(30代 男性 エンジニア 症状:吃音、発表、発言時のあがり)

 

幼い頃から吃音とコミュニケーション恐怖と対人緊張で悩んできました。
最初吃音が少々あり、話せる言葉に置き換えて話すことで回避できていたのですが、本読みで指名された時、自分でもびっくりするくらいどもってしまい、意地悪なクラスメートにバカにされ、それ以来恐怖で赤面するようになり、多汗がひどくなりました。
発表の場を極度に恐れるようになり、何をするにも自分から選択肢を狭め、就職もコミュニケーション能力が必要な職種は選びませんでした。

しかし、管理職へ出世すると、人前で発表をする機会が増えてきて、将来に対する不安が増し、辛い日を過ごすようになりました。
吃音も緊張症も、大人になり、更に年齢を重ねていったら自然と治っていくものだと思っていたのですが、そんな甘いものじゃありませんでした。 慌てて薬を飲みつつ、吃音矯正や催眠療法など受けましたが、一向に改善に至りません。
出世することは、普通に嬉しいことであるはずなのに、私には迷惑であり、そんなことを思ってしまう私の境遇に落ち込んでいました。
なぜ人と同じことができないのだろう? なぜ私は変であり、変わっているから苦しんで生きなければならないのか? そんな自問自答ばっかりしていました。

緊張症が良くなった人が多いという噂を耳にし、あがり症/話し方弱点克服プログラムを受けてみました。岩波先生の吃音に対する見識と体験を聞いて、やっと私の苦しみをわかってくれる人が見つかったという感激がありました。
緊張症のトラウマを、先生の技術で改善することに成功してからは、発表や人とのコミュニケーションについての恐怖感も次第になくなっていきました。ずっと恐怖しかなかった人前での発表でも、うまくできた時の感動は言葉で表現できないほどでした。
長い私の苦しみの連鎖を終わらせてくださったのは、岩波先生がいたからこそです。感謝の気持ちでいっぱいです。

 

管理職になって人前で発言する機会が増えてあがり症で苦しむ人はたくさんいます

 

 

(30代 男性 会社員 症状:会議、プレゼンでのあがり)

 

(受講動機)私は出世し会議やプレゼンでの進行役を任されるようになりました。
ですがある会議で円滑な進行を私のあがりのせいで台無しにしてしまいました。
壊滅的な緊張で、社長、上司、同僚などあらゆる参加者に迷惑をかけてしまいました。
極度の緊張(突発でした。自分でもびっくりしました)が止められなくなり、恥、屈辱、申し訳無さ、後悔、罪悪感、希死念慮などの様々な感情でうつ病と診断されたほどです。

あれ以来すべてが怖くてしょうがなくなりました。
そして会社からは何もかも任されなくなりました。

(お礼の言葉)ずっと自分を責め続けていたのですが、終わらない後悔に終止符を打ってくださったのが岩波先生でした。
いっぱいいっぱいになっていた脳みそに安定と余裕をもたらしてくれました。
死んで詫びざるをえない失敗だと思っていたことが小さく思えてなりません。自分でも不思議です。

上司から機会をいただき、再チャレンジしたところ今度は進行役を無事終えることができました。
この上ない自信を取り戻すことができました。
先生の神技がなければと路頭に迷っていたことは確実です。受け入れてくださりありがとうございます。

 

自分でもびっくりするくらい上がってしまう・・・昔の私です

 

 

(30代 男性 医学生→医師 手術、手技時の手の震え)

 

当時、医学部で臨床実習をしていた頃に、大変なお世話になりました。現在、外科医になることができ、昔の緊張と手の震えの悩みが再発していませんし、しないという確かな自信を持っています。

あがり症のため、採血の時に手が震えてしまっていました。自分でも予期できない時に震えてしまい、震えてほしくない場面ほど強く発症していました。班のメンバーや他の実習生を見渡しても手が震えている人を発見できず、自分だけがおかしい、この緊張で夢が潰えてしまうのではないか、失敗してしまうのではととても不安に感じておりました。ゆくゆくは外科系の進路を希望しておりましたが、自信を失い続けていました。採血でこの有様なので、手術などとてもできないのではないかと不安でした。
周りに相談できず、一人孤独に苦しんでいましたが、インターネットで調べていたところ、多くの人が手の震えで苦しんでいることを知りホッとしました。

ただ僕が良くならなければ意味が無いわけでして、緊張してしまう心の震源地をどうにかすべく、解決に導いてくれる先生を探していたところ、大変な評判と先生の強い自信を拝見いたしました。薬に頼り、依存し続けてしまうことは避けたかっため、先生のような特殊で超高度な技術を持つ方がいたことはラッキーでした。
まだ学生のうちに参加できたことも幸運でしたし、研修中も心強かったです。現在も、外科医として腕が奮えるようにしていただき、ありがとうございました。
先生もまだまだトランス誘導技術を進化させていると聞いています。私も負けないように外科医として頑張っていきたいと思います。

 

苦しみを乗り越え外科医として頑張っていることにとても励まされます。

 

(40代 女性 経営者 症状:人前での発言でのあがり)

 

かつて大勢の人前で話すことが苦痛でした。誤魔化し誤魔化しやって来ましたが、社会に逃げ場はなく、生半可な克服方法に限界を感じて、あがり症克服プログラムを受けました。
すべてが段違いでした! うまく表現できませんが、圧倒されるほどの鋭さとパワーと凄さが、私のあがり症を根っこから消滅させてくれました。世の中は広い!岩波先生のような実力者がいたなんて。すごいとしか私には表現できません。

私は社員や役員に押し付け、人前で発言しないようにしてきましたが、経営者の立場上、避けられない時があります。そうなると手の体も声も全て震えてしまい、動悸も爆発して、その場に倒れそうになります。うまくやる部下に劣等感を抱く始末で、これさえなければと症状を呪いました。

 

私がそんな状態なので、あがり症が悪化してからは業績も落ちる一方でした。経営に振り分けるべきエネルギーを全てあがり症の不毛な悩みに吸い取られていて、悔しくてたまらなかったです。
あらゆるあがり症対策を講じてきましたが、時間とお金を投資しても変われませんでした。慣れで克服できない症状で、改善しないばかりが日々悪化していくだけでした。真綿で首を絞め続けられていく生きづらさ、心に重くのしかかる不安、悪い未来しか想像できない絶望感、これらしか感じていなかったと思います。


責任ある立場なので、たくさんの人前で思っていることを話したい、、堂々と大勢の前で大声で訓示をしたい、社員のやる気を私の一言で劇的に上げたい! 

昔のように純粋になんでも出来ると信じられていたあの頃の自分に戻りたい! この思いは今では叶えられています。
私でも信じられないのですが、今度500人の前で講演を行います(経営も順調で講演を頼まれました。テレビ出演も依頼されています)。そこまで引き上げてくださり、感謝の言葉も見つかりません。
出来なかったことが出来るようになれる。なんて素晴らしいことでしょうか。180°人生が変わりました。

 

経営者の人だって人前で発言することが苦手。人間だから当然です

 

 

(30代 男性 会社員 症状:人前での発言のあがり、赤面症、息苦しさ)

 

複数の人の前で話そうとすると、顔がすぐ赤くなり、汗もかなり出てきてしまう。また、緊張しすぎるあまり、呼吸が苦しくなったり、自分の意見が思うように表現できない。こういった症状を克服できました。

今の会社の仕事はとても好きですが、ずっと勤めていく上で管理職になった時、あがり症の症状を克服しないと部下はついて来ないと思っていました。。。何とか、克服したいと思って受けることにしましたが、本当にお世話になりました。
将来への不安も消え、先を阻むものもなくなり、久しぶりに自由な明るい晴れやかな気持ちを味わっています。
もう二度と予期不安、先行きの心配で振り回される思いはたくさんです。

 

汗、赤面、息苦しさ、頭が働かない…克服できてよかったです。

 

 

(40代 男性 会社役員 症状:書痙)

 

私と同じような悩みをお持ちで、更に緊張を強いられるお仕事についているお医者様の体験談を眼にしたことから受けようと決めました。
若い頃、お茶出しをするときに震えてしまった以外は悩んでいなかったのですが、大きな契約のときに、急に取引先のお偉いさんの前で自分の名前が書けず、冷や汗をかきながら、片方の手でペン先を支えて署名ができた事件があってから、書痙を強く意識しました。
再発と寛解を繰り返してきたものの、プライベートで大変な心の負担があり、緊張とストレスと体の硬直から悪化し続ける一方になりました。
生育過程にも要因があったと思います。
感受性が強く繊細で、そして完璧主義なところが私を追い詰めていったのでしょう。
異動で人前でサインをしなければならない機会が多くなり、そのたびに手が震え死ぬほどバツが悪い毎日を過ごしていました。
上司も困り果てて仕事を変えてもらいましたが、生きた心地がしませんでした。生きていても意味がないうつ状態に陥りました。

岩波先生に会って初めて私は緩みを知りました。
脳の髄から緩んでいく感覚です。
書痙もそこまで至って良くなっていきました。
先生の凄技のおかげで人生を再生させることができました。

 

あがり症が治ったお医者さんのブログを読んだことがきっかけで自身も克服されたんですね

 

(30代 女性 音楽家 海外在住 症状:演奏時のあがり)

 

普段の生活では何も問題も無く、暮らせていました。
むしろ人並み以上に落ち着き、積極性を持って、自分の目的を果たしてきたと思います。
しかしながら、私には重大な弱点と課題がうまれてしまいました。 大きな舞台で演奏をすることが困難でした。
それでも無理にやっていましたが、毎回、綱渡りのような気持ちでした。

でも、私はプロとして演奏から逃げ出すわけにもいきませんし、聴衆を感動させなければならない使命があります。
高いレベルで力を発揮したい気持ちが強いのに、制御不能な緊張が私を襲いました。それをなんとかしようと、それまでいろいろなことを試しました。しかし、解決への道のりは、はるかかなたでした。
こう言ってはなんですが、海外、日本問わず、どの先生もプロとして、力量不足、器量不足を感じひどく失望しました。
もし私が極度の緊張により、演奏すらできなくなった場合、プロとしてのアイデンティティと幼少期からの努力が全て水の泡となってしまいます。
極限まで追いつめられた私は、日本にすごい能力を持つプロフェッショナルがいると教わりました。

その存在に通う前から救われた気持ちがしました。そこで海外から通うことに決めました。 今すぐにでも、極限状況を快適な精神状況に大転換させ、新しい自分と新しい可能性を確立して、確かな一歩を踏み出したい思いでいっぱいでした。
海外から通った甲斐が確かにありました。インスピレーションの世界にここまで入れたというのははじめてです。今後、同じ感覚になることはないと思えるほど、貴重な体験でした。
全五感や第六感が揺さぶられる圧倒的な感覚にいたく感動しました。
だからこそ人間の深淵からの問題解決も可能になったのだと思います。
ほんとうにすごい技術と効果でした。驚きと感動と凄さ、これ以外に私には表現はできません。
弱点に振り回されることはなくなり、さらに二段階も三段階も音楽家としてステップアップできました。
「ありがとうございました」という感謝の言葉しか、私には見つけ出せません。

 

大勢の間で演奏をする、昔の私なら考えただけで失神してしまいそうです。

 

 

あがり症、緊張症はその人の尊厳まで奪ってしまいますよね。
それも自分の緊張のせいで。


あがり症の方の体験談を読むと、私は本当に克服できてよかったと思います。
久々にあがり症や処刑の体験談を全部読んで、考えさせられるうことがたくさんありました。

あがり症が治った今、私は人生や仕事に支障がなくなりました

弱点がないって本当に素晴らしいです!

自分を思う存分に、何者にも妨げられることなく、発揮できるなんて、とても気持ちがいいことですっ

それに比べて、どれだけ私は過去、あがり症で人生を損してきたんだろう…

あがる場面から逃げ続けてきてしまったのだろう



あがり症が治った今、多くの同じ悩みで人生を潰してきた人に、希望を与えたい!

あがり症で今は暗黒でも、治った人がたくさんいます

希望を持ってください!

これ以上逃げ続けなくてもいい、自由に伸び伸びと自分を開放できるようになります

生まれてきたからには、自分を存分に発揮しましょう!

どうすればそうなれるかは私のブログを読んでください
あがり症克服に成功してから、緊張はしなくなったかというとします

でも、私が力を発揮するための緊張なので、良薬です

まあ大した緊張ではありませんし、この緊張感がたまらない! という緊張の量なので全く問題無いです

あってありがたいぐらい☀




かつての私の緊張は、毒薬でしかありませんでした

緊張しすぎて頭がパニックになってましたから

力を発揮するどころか、私の全存在を否定するかのような毒物でした

この毒物が私を心身ともに蝕んでいったんですね💦

緊張は誰にでも存在します

その緊張を使いこなせるようになるか、毒として一生精神の中に渦巻かせて生きるかです

緊張を起こすのは心です

もっといえば脳です

脳の誤作動を正して、健全なプラスの方向に発揮できる脳になりましょう

そんな技術がこの世の中にありますから🆔
わたしは小学生から人前での発表に違和感を感じ人よりも緊張してました

かといってそれ以外では結構活発で友達も多かった子です

基本的に明るいし、人間関係もよかったです



自意識が芽生える頃からどんどんあがりがひどくなっていきました

コンプレックスに感じてました

でもそれでも24時間それにとらわれることはなかったです

考えない時は考えなかったし、だましだましですが、大きな失敗もなく過ごせていました

ただし成長するに連れて、どんどん発表の場や本を読むように指名されることに恐怖感が増していきました



中学も三年生になる頃には、非常に自分に違和感を感じました

どんな違和感かというと・・・・本を読み上げている時に異常に首や背中に力が入って、息苦しくなって、動悸も周りに聞こえるんじゃないかなと怯えるほど大きく音を立てて、持った教科書が手汗でびしょびしょにぬれるくらいでした

さすがにわたしもやばいと思いましたが、自律神経のバランスが崩れているため、どうすることもできません(そんな概念なんてわからなかった)

周りの人たちにわたしの異変を感じ取られているんじゃないかという不安もこの頃からヌクヌクと身をもたげてきました



それでも何とか必死で自分をコントロールしようとして、ぎりぎりのところで切り抜けてました

確実に指名される教科書の読み上げがある授業前、極度に顔が青ざめているわたしが、友達から心配されたことがありました

あきらかに異常な雰囲気をわたしは醸しだしていたのです



高校時代、わたしはそれなりに勉強をして進学校に進めました

進学校のクラスメートはみんなまじめで、わたしはその重苦しい雰囲気にあまり馴染めませんでした

思えば中学時代のクラスの雰囲気で、わたしのあがり症の進行は食い止められていたのかも、まあギリギリでしたけど・・・

授業もスパルタ式でとても厳しく、英語の和訳を発表する時、少しでも間違えると怒られるほど

その張り詰めた空気で、わたしの緊張はマックスです

物音一つたたない教室で、発表する人の声や息遣いまで聞こえる・・・・

ついにわたしは立ち上がり、発表することになりました



しかし第一声でわたしの声は裏返りました

まずい!! しまった!!! どうしよう・・・・・

最初のつまづきで急激に息苦しくなり、頭がクラクラしてきました

それでも落ち着こうと少し間を置くことはできました

最初のパニックは遠のきましたが、次読み上げた時、声が震えて震えて、これもコントロールできなかった

か細い声だったと思う

張り詰めた空気がさらに増した気がした

足もガクガク震えていて、発覚したらまずいと思った

息も絶え絶えに発表するけれど、ついに限界が来た




わたしはストンと席に座りました

もう立っていられなかった

クラスメートはわたしの具合がわるいと思ったのか、「大丈夫?」と聞いてくる

怖い教師も「どうした、おい、具合がわるいのか?」と言ってくる

わたしは「大丈夫です・・・」と消え入るような声でやっと答えた

この時はどうやらわたしの体調が悪いからということになったけれど、わたしは自分の本当のことを知ってた

あがったからそうなったのだと




この時わたしの中で何かが終わった感じがした

今度指名された時の恐怖、あがり症が発覚した時のクラスメートの態度、ここまであがり症が悪化していたという事実へのショック、動悸は一向に収まらず、教科書はわたしの汗で濡れていた

足の震えも全くおさまらず、本当に気分も悪くなってきた

この後わたしは保健室に行くことになって、その日の授業を休んだ

でも、この時から予期不安が急激に増した

いつか発覚して大失敗をまたしてしまうその日のことをずっと考える予期不安に囚われた

どうにかしなくちゃおわりだ・・・・・

このことばかり考えた

──────────────────────────────────────────────────────────────────────

これがわたしの小学生から高校生の途中までのあがり症体験記です

この後も社会人になるまで、症状に苦しめられました

あがり症があるばっかりに、他のことも犠牲になっていきました

憂鬱なイライラした暗黒時代の到来です😞




極度の緊張でパニックになったらもう何をしてもダメですね

どうにか早く緊張状態から切り抜けようと早口で発表をするようになっても、それが逆に違和感感じたり、息も浅くなったり乱れたり・・・・




現在もあがり症で苦しんでいる方へ

当時の生々しい体験を読まれて気分が悪くなったらすみません😖

でも今のわたしは悪魔のあがり症を克服できました

だから希望を持って、日々を生きてください

いや、希望を持たずして、あがり症の悪夢は解決できません

わたしもあがり症を克服した方の体験記を読んですごく励まされましたから

これからも体験記と克服記を書いていきたいと思います

こんなわたしでも今は凄くハッピーです😃💕


わたしのあがり症への道は思えば小学校の時から始まっていたかな

とにかく人前で発言したり発表することが苦手だった

友達は多かったし、わたしも楽しく学校ライフを過ごしてたけど、国語の授業で当てられちゃった時のドキドキ感は人よりもあったと思う



ただしその時はあんまり深く考えたりしなかった

だから苦手だなという感じですんでいたんだけど、たしかにあがり症になる種はこの頃に蒔かれていたんだと思う

なんで友達や他人と話す時はどぎまぎしないのに、発表ごとの時だけ動悸が強くなって息がしにくくなるのかわからなかった

ただそうなる、それだけの現象だと思っていたし、まだまだ自意識が少ない頃だったから、それ以上の悪化はなかった



でも嫌で嫌でしょうがなかった

なんとか人並みにやり遂げようとばかりしていて、特別に発表で褒められることもなかったし、この頃は人から笑われるような大失敗はなかったと思う



問題は自意識が芽生え始める時から

恐ろしいことに、わたしは中学のクラスメートの男の子が国語で教科書を人前で読む時に、どうもつっかえたり震え声でいたのを「わたしじゃなくてよかった」と思いながらも、わたしよりもひどい状況に友達と噂しあったりしてた

友達が「○○ってさ、当てられた時おもしろいよね」と言ってきたのを、正直ドキドキしながらも、「そうだね、おもしろいね」と友達に合わせてくすくす笑っていたんだ

本当は泣きたかったし、すごく劣等感を感じた

その子に申し訳ないなと思った、かわいそうだと思った



だけど私よりひどいコがいた事に関してはホッとしていた

でもこの複雑な思いは、どっちにしてもわたしの心に矛盾を与えたし、苦しかったことにかわりはない

当時はまだひどいあがり症ではなかったけれど、あきらかに小学生の無邪気な頃に比べて、教師から指名されるのが嫌だった

嫌な教師の時は、ほんと息が詰まる思いだった



あのあがり症の子はその後どうなったんだろう?

クラスは別々になったし、あがり症がどれくらい彼にとって悪化していったか知るすべはないけれど、たぶんすごく苦しんでいたと思う

コンプレックスに感じていたと思う

あがり症の劣等感で、ほかにも自信のなさが波及して、生きていて楽しい思いを味わえなくなったのかな?

この症状があるばっかりに、社会人になってもプレゼンや発表、発言の場が来ることにおびえて、予期不安を感じて今も生きているかもしれない

スピーチクリニックに通って必死に努力しようとしていたのかもしれないし、本当に今現在彼があがり症を克服していることを祈っています



わたしはあの時のことを本当に申し訳なく思っています

本当泣きたかった

一緒に苦手なことを告白しあって、お互いに安心したかった

他にも悩んでいる人がいるってことを知らせたかった

でも、当時のわたしには勇気がなかったし、まさか中学の時以上にどんどんあがり症が悪化していくなんて・・・・・・・

おそらく彼のあがり症のレベルをのちのち超えてしまったかもしれない

もうあがり症はたくさんです!

絶対皆さん、あがり症を克服しましょう!

こんな思いは二度と嫌です!
人からよく思われなくても別にいい。わたしがどう思うかだ。こういう心境になってから、あがらなくなりました



人生は生きているだけで恥をかくことばかり。恥を恐れていたら何にもできない。それじゃ成功もできない、自信も逆につかない。恥をかける人間がほんとうに強い

こういう心境になってから、あがらなくなりました



失敗は大歓迎。失敗こそ大きな成功につながる教訓が得られる。失敗を恐れる人間は、本当に失敗した人よりも人間的な器は小さい

こうあるべき、こうやらなくちゃ、という思考は身を滅ぼす。世の中に定番はなく、あるのはわたしがどう生きるかです

完璧にいかないのが人生!

受け身よりも自分がどうやっていきたいかです。人生は一回しかないのだし!



自分がいつの間にかなくなっていませんか? 子供の時には自分を発揮していた時もあったはず

自分の地は大事です。字を発揮する人は誰よりも好まれます。発揮したらおしまいというのは歪んだ考えです

起きたことはしょうがありません。大事なのはこれからどう自分がやっていきたいかだけです。取り戻せないことをくよくよ考えていたら、あっという間に人生終わっちゃいます。怯えて後悔して生きるために生まれてきたわけではないはずです

自分を出して嫌われてもしょうがない。それを好む人好まない人たくさんいる。悪意ある人間、人の失敗や恥を笑う人間はたくさんいる。そんなくだらない奴らに振り回されて、自分を抑圧し続けるって悔しいはず。嫌われても気にしない人間は、結局嫌われません。怯えている人間なhますます蔑まれます



主体的、いつでも主体的

これはわたしが常に言い聞かせていたことです。岩波先生の暗示もそう入れてもらいました。とにかく自分が主体的に行動して発言している時、とても気持ちが良いですよ! 会議でも人前でもどこででも。いつのまにか自分を殺していませんか? いつでもどこでもどんな小さいことでも主体的ですよ!

エゴを充たして人生を楽しんでこそ、一度だけの命を全うする生き方です。たくさん感動して、そのお釣りを人に分け与えられる器の大きなわたしになりたいです




人生の設定があがる、あがらない、恥をかく、かかないのレベルに下げてしまうと、この先あがり症克服も出世も望めません。人生の設定は常に高く常に先を見据えて設定しましょう。会議の日を最大の人生イベントにしないで、わたしのやりたい仕事、夢、目的、その達成のために会議なんておまけという考えができてからは、どんな大人数での会議も緊張しなくなっていきました。場数を踏めば踏むほど得意になっていきました

覚悟、恥をかいても失敗してもいい。ただわたしが言いたいことを主張する。この覚悟、覚悟、覚悟。徐々に身についていってからは、小さな物事に動じなくなっていきました。とにかく覚悟あるのみです



こういう精神状態と思考を身につけてからは、比例するように私のあがりも良くなっていきました。そして、この考えはどんどん私の心の底に定着していっています。
といっても岩波英知先生の受け売りなんですけれどね(笑)