インセプション | Making Of Sad Paradise

Making Of Sad Paradise

Empty Black Boxのベーシスト佐藤鷹のブログ

今日は、先日にサークルの後輩であり数少ない映画友達の1人であるDと新宿は「俺たちのバルト9」にて鑑賞した『インセプション』について書いて参ります。重要なネタバレがないとも限らないので、ご注意くださいませ。





『インセプション』
Making Of Sad Paradise-100915inception

http://wwws.warnerbros.co.jp/inception/mainsite/

↑INCEPTION公式サイト


今年の夏休み映画の目玉の一つとして大々的に宣伝もされていたので、ご存知の方も多いかと思います。僕は8月は映画館に1回も行けなかったこともあり、このタイミングでの鑑賞になってしまいました。



あらすじは以下の通り。

「人がもっとも無防備になる夢を見ている間に、潜在意識の奥深くに入り込み、貴重な情報を盗む“エクストラクト”。この危険な技術で世界最高の腕を持つ産業スパイのコブは、反対にアイデアの芽を潜在意識に植え付ける“インセプション”の依頼を受ける。このほぼ不可能とされる任務を成功させるため、コブは世界中からメンバーを厳選し、最強のプロフェッショナル集団を結成する。だが彼らがいくら周到に計画を立てようが、どれだけ優れていようが、計画を根底から揺さぶる“敵”の存在を、コブはひそかに感じ取っていた…。」(goo映画より)


ウィークエンドシャッフルでも取り上げられておりまして、その中で宇多丸師匠は「敢えて言い換えれば『夢泥棒野郎Bチーム』!なんで『Aチーム』じゃないかというと、全員でドジ踏みまくってるからwww」的なことを言っておりましたw


http://www.tbsradio.jp/utamaru/2010/08/post_718.html

↑TBSラジオ「ウィークエンドシャッフル」、INCEPTIONのハスリング



とりあえず観終わってすぐ思ったのは、「これは2010年代の映画だ」ということでした。これは内容よりも、圧倒的にビジュアル及びビジュアルの演出によってもたらされる印象で、監督クリストファー・ノーランは『ダークナイト』で世界に見せ付けた映像センスを今回も遺憾なく発揮している、と感じられました。


ただ、「夢」や「自意識」あるいは「潜在意識」というテーマ自体は新しくないし、また、それが独自に掘り下げられているというわけでもない、ストーリーテリングが巧みであるということもないので、ビジュアルの力の入れ具合が逆に過剰に感じられてしまう、ということも同時に思いました。



(もうぶっちゃけていうと、『INCEPTION』が難解だという感想をよく聞きますが、これは単純に、語りが上手く無くて、お話の世界観の突き詰めが甘いから、単に話が伝わってないだけじゃないか、という気さえしております・・・)



とはいえ、僕は実際のところは『INCEPTION』をとても気に入っておりまして、それは「役者さんたちがイイ顔」だからなんです。以下、好きな人たち。



マリオン・コティヤール
Making Of Sad Paradise-marion
今年は『パブリック・エネミーズ』『NINE』でも素晴らしかったマリオン。綺麗で可愛くて妖艶である。『インセプション』での実在感の無い演技は白眉である。写真は『パブリック・エネミーズ』より。



ジョセフ・ゴードン=レヴィット
Making Of Sad Paradise-david
『(500)日のサマー』とは雰囲気が違いすぎてまったく気がつかなかったw『サマー』は大好きな映画だし、ジョセフの演技も完璧だったけど、『インセプション』はスタイリッシュでクールな男前で、こっちの役の方がはるかに好き。写真は『サマー』より。



エレン・ペイジ

Making Of Sad Paradise-ellen

『インセプション』で初めて観たのだが、知的でちょっと地味なんだけどキュートな役ですごく魅力的だった。写真は『ローラー・ガールズ・ダイアリー』より。



日本では、レオナルド・ディカプリオや渡辺謙に注目が集まっているると思うのですが、なんと言っても「チームもの」ですから、他のメンバーが魅力的であれば即、作品の印象アップにつながるわけです。


しかし、逆にここでさらに不満なのは、チームのディカプリオ以外の他のメンバーがあまり魅力的に描かれていないことです。ジョセフは第2層で大きな見せ場があるからまだ良いとしても、エレンは夢の中に入って以降はほとんど本来の才能を発揮していないし、鎮静剤の調合師は運転手でしかなかったり。


全員のキャラがちゃんと描かれていて、それぞれの能力に見合った見せ場がもっとあれば「チームもの」としてさらに面白くなったと思えて仕方ありません。役者さんが魅力的だっただけにそれが非常に残念です。



こうやって考えると、クリストファー・ノーランは『ダークナイト』のときも思いましたが、意外にテーマの突き詰めが甘かったり(これについては『ダークナイト』の方が不満)、緻密なキャラクター描写や丹念なストーリーテリングが苦手なタイプなのかもしれません。では、何が魅力かといえば、やはり「映画としての『絵』のつくりこみ」が圧倒的に優れていることで、それは、「実はそこさえ良ければ映画としてもうオッケー」というクリティカルなポイントであり、ノーラン氏が稀有な映画クリエイターであることの証明に他ならないのです。



以上、未見の方には、今、一見の価値あり、と断言して構わないと思います。是非観にいってみてください。それではまたカチンコ