新聞にて入社式の記事を読んだ

四月は就職の季節

新しい第二の人生スタートである。

 

我自身の昭和41年当時を思い浮かべる

当初は・・・

今現在、当県のgotoイート、時短協力金の業務をしている

JTBの前身日本交通公社、日本旅行会、近畿日本ツーリストなど

安易な考えで各地を回れる旅行関係も良いなと・・

 

私自身、特に料理への感心が強かったから調理関係が本命であり、

決定打は食べたこともない料理を

面接、試験の後出るホテル関係は当時最高の魅力であった

 

名古屋駅前にある一流ホテルの試験内容

色々ある中で今も記憶する事

名古屋駅(旧)に書かれている英語名「ナゴヤステーション」は

右側か左側か・・・

面接で一番記憶に残るのは、面接官「給料いくらほしいですか」

私は当然のこと「求人票の金額」をいう

面接官「本来なら貴方から当ホテルにお金を支払ってもらうもの」

「貴方は技術を取得するのだから」頭にきた

当然のこと、当時は理解出来なかった

今ならわかる面接官の言葉。

頭にきて採用通知を蹴る・・・学校の進路指導課の先生から大目玉

挙げ句のはて進路が決まらなくては卒業証書は出さないという

 

慌てて下校時、何時も通学に利用する名鉄喜多山駅前

公衆電話内の電話帳から無差別に選んだ

名古屋駅構内にある「日本食堂」へ取り敢えず就職内定を取得

卒業後就職、二週間後の4月下旬に

麻の布団袋、ボストンバッグを持って東京へ

勤め先もない19歳の若者が見た

東京・日暮里の小高い丘にあった桜

崖下には山手線、京浜東北線の停車駅

東京の起点が日暮里なら

職人の起点が当時の港区西銀座6丁目界隈