「play.or …」 遊び。それとも…
時間にして10分ほどだろうか、出て行った時と同じ調子で、急ぐ足音が戻って来た。切れる息が呼吸を整え、平静を装うようにカウンターへ入る。蒼白かったはずの頬が上気して、手にはショッポと幾らかのつり銭が握り締められていた。
「お待たせ、いたしました」
眼の前に置かれた煙草は、いつでも吸えるようにとパッケージが開けられ、俺はほんのり温もる小銭を仕舞う。
ソイツは、勉強になりますなどと世辞を言いながら手を洗い、ライターを取り出して俺に備えた。
「へえ、ちっとは仕事したんじゃね?」
「…ありがとうございます」
ほっとした笑みを見せるソイツに、俺はにやりと口端を持ち上げる。次いで、取り出した一本を咥え火を点けるよう顎で即した。弛む気持ちに分が悪く、眉をひそめて深紅を灯す。
場にそぐわない心情だった。紫煙がゆるりと立ち昇り、霧散するのを眼に写す。コイツが点けたのは煙草の火だけじゃない、俺はここへ、“遊び”に来たんじゃなかったのか?
「…入れておきますか?」
対面に立つバーテンは、俺の呼吸を読むように空のグラスに気を配る。俺の労いに、いくぶん気持ちがほぐれたように見えるのは、こっちの欲目なんだろう。
「それを言うなら“お注ぎしましょうか?”だろ。新人教育がなっちゃねえな」
俺の掛ける追い討ちに怯みもせず、二コリと笑う。教えたとおりに言い直し、素とも取れる態度を向ける。
初物食いの好みそうな容姿だと、苦い肴に、俺は手酌で注ぎ足していく。
「なあ…、お前みたいなのは、こんなハッテン場じゃタイヘンだろ?」
コイツだったら、何時声が掛かっても不思議はなかった。こんな店のバーテンなんざ、お座敷芸者みたいなものかもしれない。芸事より性技を仕込まれるオンナように、酒の種類を学ぶより、客あしらいを覚えるのが先だということか。
「そうでもないですよ。従業員ですから、何とか対処出来てますし…」
抑揚も、感情もないおざなりで、場を取り繕う。その返答は、ここがどういう場所なのか、熟知している返答だった。
その先に続く台詞が、俺の何かをざらりと撫でた。コイツにとっちゃ、俺も他の客も大差ないってわけだ。
「お客様は、今日は…、お相手探しですか?」
「…さあな。俺みたいなのと付き合うような奴は、よほどのお人よしか、よほどの阿呆だろうぜ?」
BGMが緩やかなバラードに変わり、これ幸いとばかり、絡むような格好で、猛り始める奴らがいた。商談が成立したのか、即席とは思えない熱情で抱き合うカップルも垣間見える。その乱痴気の有様は、俺に当初を思い出させ、この場での在り方を知らしめるには充分なものだった。
「あの、お客様には魅力があると思います。これは勝手な意見ですが、お客様はすてきな方だと…」
「へえ、それじゃお前は、俺が口説いたら乗ってくるのか?」
立て板に水の如く、歯の浮く世辞が倍になって返って来る。その物言いがカンに触って、俺は自虐をぶつけていた。
イチでもバチでもない、半ばヤケクソだった。どうせまた、テキトウにお茶を濁されて終わりだろう。俺はソイツを見据え、だがソイツは俺をまっすぐに見つめ返した。
「…お客様でしたら、喜んで」
告げられた言葉を、念の入った茶番だと俺は笑う。“お客様”という響きに、真逆に反応していたのかもしれない。金さえ払えば、どんなイチゲンでも丁重に扱われる。支払いを済ませるまで、怒らせないようにと配慮されるのは当然のセオリーだろう。
「何時、ハネるんだ?」
「今日は12時…、もうすぐ上がります。あの、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
耳元がわずかに赤らんでいるのがわかる。演技にしちゃ上等なモンだ。だが、名乗ったところで勝算があるわけもない。
「…ヤルだけの相手に、名前なんて必要ねえだろ? そんなに知りたきゃイクときにでも教えてやるよ」
ヒネくれた俺の返事に、ソイツは何を言われたか解からないような顔をし、次の瞬間…、ふわりと微笑んだ。演技でも、バーテンとしてでもない、コイツの素顔を知った気がして、それに怯んだ俺はコマを次へと進めちまった。
「at first …」 初めは … だった
5月にしては、蒸し暑い夜だった。
ヤリタイだけの相手を見つけるイッパツ飲み屋の店内は、所狭しとばかりに今夜の即席を探すクソ芝居が繰り広げられていた。
胸が悪くなる不機嫌で店の奴らを睨みつけ、苛立つままスツールに越し掛ける。バーテンの挨拶より先に、俺は酒を注文した。
「黒ビール」
さぞかし俺は、無愛想な客だっただろう。差し出されたそれを、手酌で注いで水代わりに腹に流し込んでいく。聞こえよがしに付いた悪態が舌打ちと共に転がる。
「けっ!こんな場所で、簡単に相手が見つかりゃ苦労はねえよな」
苛立つ俺に、他の客とは異質の何かを察したのか、若いバーテンが駆け寄って来た。ぎこちない所作を見せたソイツは、それでも営業スマイルを投げかけて言った。
「いらっしゃいませ」
場違いなほど澄んだ声が、俺の興味を惹いた。二十歳そこそこに見える色白の面立ちは、照明のせいか蒼白いまでに透き通って映える。きっちりと折り目の付いた白シャツは、コイツの身体には少し大き過ぎたようだ。眩しい其れをアームバンドでたくし上げ、両袖から覗いた手首は折れそうなほどか細い。
「よお、ショッポある?」
Gパンの尻ポケットに突っ込んでいた煙草は、生憎と空だった。俺はソイツを試そうと、わざと略語で聞いてみる。空箱をぐしゃりと潰してカウンターに投げ捨て、ヤツは弾かれる勢いで反応を示した。
「…は、はいっ。 …ええと…?」
案の定というべきか、後に続くのは戸惑いばかり、横から先輩らしいバーテンダーが助け舟を出して来る。
「すみません、まだ新人なんですよ」
「だから、何だよ? ショッポがねえかって聞いてんだよ」
俺は再度機嫌を損ね、なければ買って来いと、ソイツの前に硬貨を置いた。乾いた音がテーブルに鳴って、緊張した面持ちが恐々とコインに触れる。
だが、催促に返って来た返事は俺を怒鳴らせるには充分なものだった。
「も、申し訳ありません、あの…、銘柄はどちらがよろしいですか?」
「バカかてめえは。さっきからショッポって言ってんだろうがっ!」
腑抜けた質問に、でかい罵声を投げ付ける。他の客がざわめくのが判ったが、そんなことはどうだっていい。
嫌悪が押し寄せるなか、怪訝な空気を撥ね除けた俺は、残ったビールを飲み干した。
プロ意識のねえヤツは嫌いだと、不始末の理由も判らず怯えるソイツに、欲しいのはショートホープだと教えてやる。
「た、大変失礼しました。ただいま買って参りますので、少々お待ちくださいませ」
びくつく身体をしっかりと支えて、背筋を伸ばして一礼をする。潔い…、態度だった。生真面目な視線をまっすぐに向け、再度の礼を示すと早足でカウンターの奥へ消えていった。
ジャズの音に混じって、急ぎ走る足音が耳に残る。俺は二本目のビールを注文し、ヤツのいない空間を、何かが空いたように感じた。
手酌で注ぐアルコールを水代わりに、小さな笑みが浮かんで、思えばこれが…、発端かもしれない。
