入院生活が教えてくれたこと♪ | 藤野由希子のブログ

入院生活が教えてくれたこと♪

高校時代に2ヶ月間隔離入院をしたことがあります。

隔離入院というのは、一般病棟のように自由に病室を出ることができず、ひたすらひとりでずっと部屋にいるのみです。

部屋の外がどんな風になっているのか、まったくわからなくて、廊下に出ることもできず、自分の病室のみで毎日を過ごしていました。

面会は家族のみに許可されていて、お見舞いに来てくれたとしても友だちは病室にはいることができなません。友達は病院内に置いてあるテレビ電話から電話をかけ、それを通じて話をするのみでした。

また、隔離病棟自体に入院している患者さんの数が少ないので、看護婦さんの数も少なく、しょっちゅう忘れられることもあったり、入院生活で感じる「心細さ」や「孤独」を味わうことができたような気がしています。

そうした気持ちを感じることができるのは、その時はとてもつらいことでしたが、今の自分にとっては贈り物のように感じています。

また「生きる意味」を求めスピリチュアルな世界を知ることになったきっかけの出来事のように感じています。今はこうした出来事が本当に自分の魂にとって大切な経験だったように思います。

入院中は、自分の人生についてずーっと考えていました。
 
「この病室を出て自由に生きることができたら、どんな風に生きたいだろう?」

「この病室のパジャマを脱いで、好きな洋服を着れたらどんなに素敵だろう?」

無事退院することができた時、毎日の生活がどんなにありがたいものなのか、普通に生きるということがどんなに奇跡的なことなのかを感じられるようになり、色々なことを「当たり前」と思わなくなりました。

人はどんな風にでも生きれるとしたら、どんな風に生きたいだろう?
人の目を気にしないとしたら、どんな風に生きたいか?

その後、ポーランドのアウシュビッツをひとりで訪れ、インドのマザーテレサの家もひとりで訪れ、本当に人はどんな風にでも生きられることを感じました。

アウシュビッツのような環境のなかでも希望を持って人に与えて生きた人もいて、また残虐な行為を行った人もいて、マザーテレサやマザーテレサのシスターたちのように生きる人もいる。

人は本当に無限の可能性を持っているように感じました。

どちらの方向に向かいたいか、どんな風に生きたいのかはその人の過去が決めるのではなく、先進国に暮らしている場合はある程度は意思で決めることができる、意思で選ぶことができると思います。

希望の種を心にまいていくような、そんなお手伝いができたらいいなと思っています。