極めれば、普通になる
大峯千日回峰行という厳しい修験道の修行を千年の歴史のなかで二人目に満行された塩沼大阿闍梨。
先月は、塩沼大阿闍梨に関するシンクロがたくさん起きて、突然彼の講演会のチラシが家にやってきたり、翌日図書館に行くと、その日だけ普段は行かない棚の方に行ったら、彼の本が目に飛び込んできたり。
講演会は娘が私に行って欲しくなかったようで(娘は敏感に仕事エネルギーやママが離れるのを察知します‥修行の世界に行ってほしくなかったようです‥涙)、結局娘の下痢で講演会行きは断念したのですが、塩沼大阿闍梨の本から面白いことをたくさん学べました。
千日回峰行は毎日山を何十キロと歩く修行で、夜中の12時に出発し、山中を歩き続け翌日午後3時くらいに戻り、それを100日間続けて繰り返し、10年に渡って行うというもの。
明かりのない、真っ暗な山道をひとりで歩くこの修行、行を始めたばかりの頃はおばけや幽霊のようなものが見えたそうです。
行が進んでいくと、おばけは見えなくなり、今度は観音様や神々しい光が見えるようになったそうです。
そして、満行の前には何も見えなくて、ただの山道を歩くようになった、と本には書かれていました。
これを読んで、
最初はおばけ
次は聖なる存在
最後は普通になる
というところが本当に興味深いと思いました。
極めれば、普通になる
悟りを得た人ほど、普通になる
ように感じました。
先月は、塩沼大阿闍梨に関するシンクロがたくさん起きて、突然彼の講演会のチラシが家にやってきたり、翌日図書館に行くと、その日だけ普段は行かない棚の方に行ったら、彼の本が目に飛び込んできたり。
講演会は娘が私に行って欲しくなかったようで(娘は敏感に仕事エネルギーやママが離れるのを察知します‥修行の世界に行ってほしくなかったようです‥涙)、結局娘の下痢で講演会行きは断念したのですが、塩沼大阿闍梨の本から面白いことをたくさん学べました。
千日回峰行は毎日山を何十キロと歩く修行で、夜中の12時に出発し、山中を歩き続け翌日午後3時くらいに戻り、それを100日間続けて繰り返し、10年に渡って行うというもの。
明かりのない、真っ暗な山道をひとりで歩くこの修行、行を始めたばかりの頃はおばけや幽霊のようなものが見えたそうです。
行が進んでいくと、おばけは見えなくなり、今度は観音様や神々しい光が見えるようになったそうです。
そして、満行の前には何も見えなくて、ただの山道を歩くようになった、と本には書かれていました。
これを読んで、
最初はおばけ
次は聖なる存在
最後は普通になる
というところが本当に興味深いと思いました。
極めれば、普通になる
悟りを得た人ほど、普通になる
ように感じました。