奈良県立美術館の『エドワード・ゴーリー巡る旅』展に行ってきました。


「西洋美術史から見たエドワード・ゴーリー〜子供の表象をめぐって〜」の講演会が開催されると知り予約していたのでありました。


エドワード・ゴーリーは絵本などをチラ見して知ってるという程度で、ファンと言うわけではないのですが、会場には熱心な鑑賞者がたくさん来ておられる感じがありました。

(グッズ売り場は長い列が出来ていました)



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講演会の内容は三浦篤先生の解説で

「西洋絵画の中で子供はどう描かれてきたのか?」

を時代を追って見ることができました。


興味深かったのは時代による子供の見方の変化でした。


18世紀後半から19世紀前半にかけて英でファンシー・ピクチャー(子供や小動物を描いた風俗画)が大流行したところから「子供」の見方が大きく変わったそうです。


それ以前は「子供は未熟な大人」として扱われており、子供だからこその無垢、生命力、素朴さ、創造性(大人にはつくれない表現ができる)は認識されていなかったそうです。


ファンシーピクチャーが世の中に広まったことがきっかけで、子供の魅力、愛らしさ、価値を特別なものとして認める流れになったそうです。


子供といっても階層によっては貧しい子から中産階級、上流階級に生まれついた子供もいたのですが、

彼らが登場する物語は、悲惨なものであれ、幸せそのものであれ、最後はHappyになる(救いがある)という落としどころがあったそうです。


ところがエドワード・ゴーリーの物語に登場する子供は不幸にみまわれ残酷な運命に翻弄され、バッドエンドに至るという救いのない境遇で描かれています。



それまでの「色々あっても最後には幸せになる子供たちの物語」をくつがえし

「現実はそうはいかへんねんで」

ということを冷徹に表現する。


ゴーリーの本を見ると暗澹たる気分になったことを思い出します。


ただ、そこに不幸を笑い飛ばす軽さや、乾いたユーモアがあり、


絶望しかないのだけど

「それを受け入れるしかないわな」


という達観した目線で見ている気分にもなります。


(洗練された美しい表現なので深刻な雰囲気にならない、とも言われておりました)


☆。・:*:・゜'


ゴーリーの誕生日を九星気学で調べてみて、彼の星が


本命・三碧

月命・五黄

傾斜・三碧

同会・一白


であることを知り「なるほどな!」と

膝を打つ思いがしました。


顕在意識と潜在意識の両方に三碧木星があり、

この星は「夜明けの太陽」

(日は昇り始めると明るい方にしか行かない。根拠なく未来を明るいものと信じる力)


なので、だからこそ

(生まれたての無垢な太陽だからこそ)

子供の救われない現実をそのままに描くことができるのだろうと思いました。


(ちなみに彼は無類の猫好き、そして動物たちをサポートする活動もしていたそうです)


そして、同会(チャレンジ)の星が闇に浸透する

「一白水星」(白と黒が一白水星の色)なので、ひたすらモノクロの絵を描き続けたというのも、心の闇やこの世の闇を描くことが出来たのも、同会の星の導きがあったからかと思いました。


「一白」は闇の中に光を見出す力でもありますから、ゴーリーの作品を見るものに絶望が生まれたとしても、それはもともと絶望していることを知らしめるキッカケとなっただけで、そこを直視することによって(反転作用のような)光が浮かび上がるということが起こるのかと思いました。



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グッズ売り場でゴーリーのタロットカードを買いました。買う前にアマゾンのレビューを見ると「落ち込む」といったシェアがされていましたが、わたしにはどう見えるのか?どう感じるのか?を知りたくて、精算する直前に手を伸ばしてしまいました。


それというのも彼が「希望」の星の三碧木星の人だと知った安心感があったからかもしれません。


(誕生日を数秘でも調べてましたが、それは追々、観ていこうと思います)


TAOで、髪をカットしていただいたあと、買いたてほやほやのカードを岡本永子さんに引いてもらったのですが、出たカードから、あれやこれやとお話がひろがって、「そういうことか!」と手を打つことが起きたので、なかなかいい働きをしてくれるのではないかと思います。


ショック療法的な作用があるかなぁと、こわごわですが、仲良くなれたらいいなぁと思っています。


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奈良県立美術館


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東京大学名誉教授・大原美術館館長の三浦篤先生の講演は盛況につき、配信されることになったそうです。

コチラで視聴できます。




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