大キライ、大キライ、大キライ、大スキ? | 痛い日記

大キライ、大キライ、大キライ、大スキ?

ヒトやモノを好きになったり嫌いになったりするのは、そのヒトやそのモノのせいではなくて自分が原因なのだと思っている。
人間はヒトやモノを通じて自分を視ているのだ。

だから「嫌い」の感情でも、なにがしかの引っ掛かりをもたらしてくれたのだという点で、その対象を認めるべきなのだ。
嫌いなものはなぜ嫌いなのか分析するし、理解しようとする。
興味ない奴にはほんとに無関心だから、心底どうでもいいしな。
私は「嫌い」と公言すること自体がすでに負けな気がする。
そういう意味では、「好き」より「嫌い」のほうがエネルギーは大きいかも。
可愛さ剰って、てこともあるし、「好き」には理屈じゃないパターンもあるから。

でも、自分でもなぜか分からないのに大嫌いなモノっていうのは確かにある。
私の場合、それは例えばナイナイの岡村。
なんかしらんけど昔から嫌い。
嫌いであることすら認めたくない。
見かけるとテンション下がる。
彼で笑ったことは人生で一度もないし(そもそも見ないからかもしれないが)、顔も喋り方もキャラも動きも不愉快。なぜ。
彼のことなんにも知らないのに。

ああ、この理屈抜きの「嫌い」って、もしかして恋?
ざけんな。



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