私は小学生の頃、戦争に興味を持った。

 

 

中学校受験に失敗し、地元の中学校に進学した私は、英語にも興味を持つようになる。

テストでは、3年間90点以上しかとったことがなかったくらい英語が大好きだった。

 

また、総合の授業で世界の水問題について取り組んだこともあり、国際問題の解決を仕事とする「国連職員」に憧れていた。

 

 

そして、3年生になり、進路を決める時期に。

私は、英語に特化した高校か自分の興味のある戦争などの国際問題について研究することができる高校に行くかの2択で迷っていた。

 

結局、SGH(スーパーグローバルハイスクール)という英語に特化しつつ国際問題について研究するラボという授業がある嵯峨野高校を志望し、全部取りに行くことにした。

 

苦手な数学も頑張って、合格することができた。

 

 

嵯峨野高校では、ハーバード大学の学生と交流するプログラム・イギリス(スコットランド)のエディンバラに留学するプログラム・京都大学での研究発表・シンガポールの高校生との交流・国際関係学ラボを代表して全国高校生模擬国連に参加するなどずっと前からやりたい!と思っていたこと、憧れていたことを全てすることができた。

 

(高2 エディンバラ)

 

それもこれもあれもどれも全部、インナーチャイルドであるかれんちゃんをはじめとする見えない世界の強者たちが叶えてくれたことだと思っている。

 

なぜなら、全国大会にまで連れて行ってもらったことで、私は国連への憧れがなくなったからだ。

 

全国大会は、次世代の日本を担って行くような人ばかりが集まるようなレベルの高い場所だった。それと同時に、国連では山積する国際問題を根本的に解決することはできないと思った。模擬国連でやったことは、全ての参加国が「Yes!」と言える文書を作ることであって、それは努力目標でしかないように感じた。私が描いていた国連の姿は、世界政府そのもので、国家間・国内で起こっているトラブルに対して第三者の立場から仲介し、問題解決をしていく組織だった。私が体験したのは、あくまでも”模擬”国連だから、実際とは異なるのかもしれない。しかし、私の国連への熱は、大会を機にプツンと途切れた。

 

 

彼らが導く先は、沖縄だった。

 

そんなことに全く気づかなかった私は、高校3年生の頃に志望していた私立大学は全て落ち、もう一年勉強することになった。

この頃、どこに進学するかまったく見当もついていなかったが、「数学をやりたくないから私大に行きたい」なんてわがままは、運命の前では無力であると悟った私は数学を含めた9教科を勉強し、国公立を目指すことにした。

 

一年後、導かれるように受かったのが「琉球大学」だった。

 

沖縄に進学した私は、平和学習をする団体とこれまた運命的に巡り会う。

 

それから3年。

学校では、どのようにして今日の国際情勢が生まれているのかという歴史的背景という国際関係学から哲学、ジェンダー学などを学問的に学んだ。

学校以外では、人との繋がりで経験させてもらったことから、自分なりに沖縄の背負ってきた苦しみや今なお癒えない傷、でもどうしようもない状況を肌感覚で感じ取った。

 

 

沖縄と聞くと綺麗な海や赤瓦の首里城などを思い浮かべることが多いだろう。

しかし、そんなリゾート地としての沖縄では、ほんの75年前に本来救われるはずの多くの住民を巻き込んで激しい地上戦が行われた。

 

沖縄の文化や風景には今なお沖縄戦の影が見える。

沖縄について考える時、私は、観光地として、また基地の島として”消費”されてきたことの悲しさを想う。沖縄は魅力だらけの島だ。人の優しさ、海の綺麗さといった表面だけではなく、あの沖縄戦を乗り越え、苦しみを受け入れ、その上で優しく在れる強さが本当の魅力であるように私には感じられる。

 

今の私は、ずっとずっと探してきた「戦争を解決する方法」をまだ明確には見つけられていない。でも、そのヒントを得るため、また、これからの私たちと世界、宇宙に必要なたくさんのことを学ぶために沖縄に連れてきてもらったと思っている。

 

 

さくら