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がんの人      by さちよ76歳

昨年1月に悪性リンパ腫と診断された夫との日々のつれづれ

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朝、吐き気がするというので、すぐに洗面器をあてがったが、いつまでたってもゲーゲーだけ。息遣いも荒いので、クリニックに連絡・・・

連絡帳に記入してくださった先生の診断と指示



515日(土)

嘔吐、腹部膨張による呼吸苦
腸の動き弱く、  による腹部圧迫感あり。

本日はエンシュアを一時中止して、点滴で栄養を補います。

お腹の動きをよくして吐き気を抑える薬も入っています。

点滴(3本分)は、17時ごろまで続けたら終了です。(全部終わるまで点滴続けてください)


それでも、頻繁に吐いてしまうようであれば、ご連絡いただいた方がいいです水分取れそうであればとってください。
座薬は便意のある時に使ってください。
薬は続けてください。


点滴拒否の主人には、吐き気を抑えるための点滴であることを強調して、了解してもらった。吐き気に苦しんでいたので、異存なし。


ところで長時間の点滴、本人が点滴中であることを忘れないように、点滴中と

紙に大きく書いてベッドの手すりに貼っておいた。


さいわい、時間経つほどに、お腹の張りや吐き気はおさまった様子。


今後ポータブルトイレを使えなくなった時のためにと、大型のおむつとその使い方、取り換え方など、先日ヘルパーさんに教わったばかり。その上、うちの二人の息子たちも

パンツ一丁になって互いにおむつの当て方、取り変え方を実習してくれて

おおむね納得したつもりの

わたしだったが・・・



でも主人から「もよおしてきた」と言われた時には「えっ?」と一瞬びっくり。「もよおした時に座薬入れてください」との言葉を思い出して心を落ち着かせ、「今から座薬入れますよ」と声をかけた。



座薬の方は経験スミなので、うまくいったが、排便の処理うまくいくかなあ、

すご~く心配。しばらくすると、「何か出ているような気がして気持ち悪い、早く何とかしてもらえないかなあ」と主人。



「でも終わるまで待たないと、大変よ。気持ち悪くてもがまんしてよ、こっちだって、気持ち悪いんだから」と、だんだん二人とも気が立って来た。
「きたないままでいたくないよ、ちゃんとトイレでやりたいよ、こんなこと、人にやってもらいたくないよ」「仕方ないでしょ、ほら、ちゃんと右向いてよ」


「何をするために右を向くのか言ってくれよな」ともうけんか。

「ちょっと、右向いていただいていいでしょうか、痛くないですか?」と

ヘルパーさんなら、やさしく声かけながら進行するところだろうに・・・・



オムツを開くと大の方は出ていなかった。正直ほっとした。
どんな状態を見ることになるのだろうと、内心戦々恐々だったので・・・


でも小の方が多く出たらしくおむつがぬれていたので、どう取りかえるのだったか思案していると、「いつまでもこんな恰好でいたくない、早くしてくれよ」と、催促の声。「初めてなんだから、せかせないでよ」と、やっとお尻にあてたら、前と後ろがさかさま。



「ああ、いやになっちゃうなあ」と自分のうかつさに腹を立てていると、

「すみませんなあ、おかあさんにこんなことをさせて」と主人の声。


「違う違う、前と後ろが違ったので、バカだなあって自分にそう言っただけ」「みゆきなら、うまくやれるかもしれないから、みゆき呼ぼうか」

「大丈夫大丈夫、これでおむつの処理上手になったら、

 在宅ホスピスこわいものなしよ」


口では強がり言いながらも汚物処理(実際には大の方は出ていなかった)を終わった時には二人ともぐったり・・・・
すると突然主人が「みゆきや、和則に会いたいなあ」と言いだした。「みゆきは、昨日来たばかりじゃない、和則は月曜日に来るって言ってたよ」


「でも会いたい」と主人。オムツ騒動で今後のことが心配になったのかなあ。ともあれわたしはすぐに二人に電話した。「別に容態が悪いわけではないんだけどおとうさんが会いたいって」と言うと二人とも二つ返事で「すぐに行く」

とのこと。


何だかんだでストレスの塊になっていたわたし、6時過ぎに帰って来た利治の顔を見たとたん、張りつめたものが一挙に溶けて声をあげて泣いてしまった。


ほどなくみゆきが来て、数時間後和則と愛子さん到来。主人は寝たままで

みんなと言葉をかわしていたが急報したほどの緊急性はなかったので、和則と愛子さんはいったん愛子さんの実家に寄ってまた帰って来るからと出て行った。



5月16日


・・・ゆうべ遅くからこんこんと(約20時間)日中はほぼ寝続けていた。


夕方になっても主人は気持ちよさそうに眠っているように見えたので、わたしと、利治はベッドのそばの食卓で夕食をとっていた。

「よく眠ってるね」「痛み止め効いてるのね」と言いながら。


でもしばらくしてふと見ると、主人の目があいた。「あっおとうさん、目が覚めた?」と近寄ると、目はあいているもののわたしを見ていない。

「?」何だか変・・・「おとうさん、どうしたの」と揺り動かすと、

ふ~っ、と一度深い息を吐いた。

また、息がとまり。


20秒ぐらい後、ふ~っとまた2度目の深い息を吐きだしてから、目を閉じた。


「死んじゃったってこと?こんなにあったかいのに・・・どうして」

わたしは、あたたかい主人の上に顔を伏せてわーわー泣いた。

がんの人死んじゃったんだ、望みどおりわが家で・・・ よかったね。
































































5月14日



昨夜から早朝にかけて痛みがつらかった。痛み止めは3時間の時間をあけなければいけないので、「痛い、痛い、苦しい」と言う主人の背中をさすりながら、その時間を待った。どうして時間ってこんなに遅いのだろう・・・




ようやく午前4時になって、薬を飲ませると、しばらくして痛みがおさまった。「ああ、少し楽になった」と主人。



在宅看護というのは、美談のようなものではなくて、家族が苦しい時・つらい時それを共有することなんだと改めて思う。「ひとつの肢体が苦しめば、ほかのすべての肢体が苦しむ」ということの真実。



主人は今、日時とか時間の観念がなくなっているようだ。
「今は朝?」が午後の2時ごろだったり、「今は夜?」が午前9時ごろだったりする。「びっくりでしょう~」とこちらは流しているが・・・・



それから、もう一人の自分が出現することもある。

だれかが死んでいて、よく見るとそれが自分で、もう一人の自分がそれを見ているのだそうだ。




「さびしい?」と言うと、「うん」といったので、「じゃあ、わたしの膝枕で寝ちゃおうか」と、三つ折りにした敷布団をさらに半分に折ってベッドに持ち込んだ。ホームレス君が寄りかかっても大丈夫のように・・・・




膝枕と言っても膝関節症のわたし、そこに頭乗っけられても困るので、足を広げてその間に主人の頭が入るように工夫すると、ちょうど太ももに主人の頭が乗るという感じになって、「ああこれは楽だ、いい気持ちだ」とのこと。



わたしの方はあんまり楽ではないのだが、主人がたちまちぐっすりと寝込んでしまったので、動きがとれない。電話が鳴っても無視・・・
のどが渇いてもがまん・・・でも、本を持ち込んでいたので、よかった。



何と主人はそのまま2時間も寝た。筋肉こりこりのわたしは、やむなく

ストレッチポールで、後遺症とたたかうはめになった。




夕方、クリニックから、K先生が来られ、痛み止めのデユロテップパッチを右胸に貼布してくださった。貼ったらすぐに効き目が現れるのではなく24時間くらいかけて痛みがなくなる由。



その間の痛みは座薬(ボルタレン)やオプソでおぎなってくださいとのこと。

看護士のSさんが、薬の使い方など、くわしく連絡帳に書いてくださった。


主人は、もう命が残り少ないと思ってか「今までほんとうにお世話になりました」と、二人に心からの感謝の言葉。

「なりましたなんて過去形で言わないでください」とSさん。


「もう覚悟は出来ていますから、痛みだけ取っていただければ、もう十分です。それ以上の治療はいりません」と、はっきり意志表示もしていた。






























513


わたしにつかまったりして、必死にトイレ通いしていた主人、「これからはポータブルトイレにする」と自ら宣言。

ベッドのすぐわきに置いてあるので、エネルギーの節約になりそう。


居合わせた介護センターのYさんが、いろいろアドバイスしてくださった。
「水を少し入れておいた方がいいですよ」とか。



ペットボトルのふたに穴をあけて、じょうろのようなしくみで、お尻を洗うなど、介護の現場では、身近なものをうまく活用しているなあと感心する。



さて初めてのポータブルトイレ、長く腰掛けているので、座ったままで、インシュア・リキッドを飲むなど、出入りが一緒になることもあり、ちょっと妙な風景。みゆきは、ポータブルトイレをかくす方策考えているようだけど、その心配いらないと思うよ、家族や介護の人の前ではスッポンポンも平気のようだから。


Yさんが、パンツ式でない方のおむつの当て方を講習してくださる時も、「実地にさせて頂いていいですか?」の問いかけに「いいですよ~どんどんやってください」って感じ。



ところで、きょうは、ちょっと感動的な場面があった。
主人はみゆきとわたしに、しっかりとペンケースの講習をして死にたいと言っていたが、今日それが実現した。


まさにエネルギー振り絞っての指導に、二人とも真剣に取り組んだ。

「基本さえ押さえておけば、あとは本人のセンスだから、考えながらやっていってくれ」と師匠のお言葉。


2時間後きれいな、それぞれのオリジナルが完成!


主人は、エネルギーが尽きたかのようにベッドにひっくり返ったが、みゆきが帰り仕度はじめると、「もうひとつだけ、やり残したことがある」と。


「何?」「みゆきとトイレに行きたい、連れて行ってもらいたい」

きょうから、ポータブルトイレに切り変えたはずじゃなかった?



もちろん、みゆきはすぐに応じて、父娘の最期?のトイレ行き実現・・・・

ゆうべは、足の冷えた主人に、利治は足湯を用意してくれた。

うちの子どもたち、みんなやさしい。



でも主人自身が一番やさしいかもしれない。

夜マッサージしてあげている時こう言った。「おかあさんにはほんとうに世話になったな、ありがとうっていくら言っても言い足りんのだよ」と。
















5月12日



ソフアーでの座り位置が今ひとつ満足いかないと言うので、いろいろやってみた。背もたれをはずして代わりにクッションを置き、頭の位置にドーナッツ型の座布団を置いたらやっと快適スポットが見つかった。



本人は目を閉じて「ああ、いい具合だ」と満足そう。最近は目を閉じると、いろいろのものが、見えてくるそうだ。穴がたくさんあいた板塀とか
山積みされたみかんとか、原っぱとか小川とか。


いろんな形のトイレが、ゆがんだり宙に浮いたりして見えることもあるそうで、これには笑ってしまった。何か幻想みたいなものが見えるのだろうか。



ところで、大抵は、座ったまま1時間くらいそこでおしゃべり・・・
「今みたいに食べられなくなったりしても、それは自然じゃないかなあ、だんだん飲むのもきびしくなってきたし。おれは自然な死に方を選びたい」


「わたしも自然でいいと思う。食べられたら食べればいいし、食べられなくなったら、無理して食べることないと思う」


「アハハ二人の間の合意ってとこだな」「そういうこと」



ところで、主人は自分的には、あしたかあさっての命と踏んでいるらしく、みゆきに電話しているかたわらで、「明日来ないと間に合わないよ」なんて大きな声で招集をかけている。単に会いたいのかもしれないけど・・・



みゆきはあした又来るとのこと。
主人はたしかに寂しがっているように見える。「おかあさん、いるかい?」と言ったり、「見えるところにいて欲しい」と言ったりする。
主人のそばにいてあげるということが、今のわたしにできる最高のサービスかもしれない。



午後友人のSさんご夫婦が、福祉事務所に車椅子取りに行ってくださった。

お気遣いに感謝。










5月11日 その3


2時ごろ「こんにちは」と純ちゃん(妹)が玄関に立っていてびっくり。

ゆうべから「明日は行こう」と決めて朝から人参スープや酢豚を作ったそうだ。



「この人参スープ、お米でとろみつけてあるので、牛乳で、薄めて塩コショウで味付けしてみて」と。酢豚と旭寿司は、わたしと利くんの分だそうだ。


おいしそうなゼリーもたくさん。毎日の差し入れプラス本日分で
わが家の食糧事情、超豪華。

人参スープは、小分けにして冷凍庫に保存した。
当分主婦業お休みして、そのぶん、主人のそばにいてあげよう。



肩で息をしている主人、純ちゃんとも寝たままであいさつ・・・・
純ちゃんは無理に話をしようとはせずに、
リビングの方で体の起こし方の実地指導などしてくれた。
そして今の心境などもしっかり傾聴してくれた。


姉妹っていいなあ・・・

「またハワイアン行こうね」「うん、行こうね」









5月11日

先日和則が来た時、ちょっと感激的場面があった。

和則は幼い時から風邪をひきやすい、お腹をこわし易い子で、たびたび熱を出し、病院通いすることが多かった。



行きつけのお医者さんは、ストレプトマイシンをばんばんつかって、そのたびに症状はすぐ軽減したものの、難聴という後遺症をしょいこんでしまった。
(当時、ストレプトマイシンと難聴の関係は知られていなかった)


1年くらい耳鼻科に通って、幸い難聴は治ったが、幼いころの知識欲旺盛のころ、難聴の影響は大きかったと思う。優秀?な姉と弟にはさまれて、学校の成績は、いつも低空飛行だった。



主人は、「わるかったなあ、あんなクスリ使っちゃって。申し訳なかったなあ」とよく言っていた。知らずに薬害をこうむる人、こうむらせた人、みんな、こんな自責の念抱いているだろう。


というわけで「死ぬ前に一度ちゃんと和則にあやまっておこう」が実現した。

和則の方は、いきなり父親から懺悔?の言葉を聞いてびっくり。

居合わせたみゆきも目を赤くしていた。



はからずもお父さんの懺悔を聞いた和則から、きょう、フアックスが届いた。


お父さんへ

毎日、精一杯に生きているお父さんを栃木から、応援しています。

ストレプトマイシンのおかげで、お父さんが期待していた天才にはなり損じましたが、粘り強さ、打たれ強さ、自制心など、お父さん譲りの性格には恵まれました。本当に感謝しています。

                          和則


5月11日 その2

今週金曜日は、T医大に行く日。でも今の主人の状態では行けるかどうかおぼつかない。今まで一度も休んだことのない通院、主人は何としても行きたい様子なので、車椅子の手配した。



介護保険の認定調査(区分変更)で来られた調査員の方に話したら、車椅子の無料貸出し出来るということで、木曜日までに取りに行くことになった。


ケアマネのIさんの話しでは、認定が出るまで、約2ケ月くらいは、貸出可とのこと。車椅子が使えたら、お天気のいい日・気分のいい日、外に連れて行けるかもしれない。たとえ一日でもそんな日があったら、どんなにいいだろう。



「ああ、外に出たいなあ、歩いてみたいなあ」の願い、かなえてあげたい。












死ぬかもしれないみたいな主人の奇妙な体験が気になって利治と相談。
「そろそろお葬式のこと考えておいた方がいいよね」「そうだね、よく知っている人で、信頼できる
葬儀社の社長さんがいるから、相談してみようか」


「お父さんが言ってたように家族だけで簡素にやろうね、
その代わり棺の中には、あふれるほどたくさんお花入れてあげようね。赤とかピンクとか明るい花を
入れてあげたいわね」「お父さん、お花の写真撮るのが趣味だったからね」


利治は、その日のうちに葬儀社の社長さんと連絡をとり、主人と家族の意向に沿ったプランを作って
くれた。直葬とよばれる葬儀だそうで、基本的なことだけやっていただける方式。
家族全員この方式にOkした。さすがに主人には言いだせなかったけど・・・・

5月10日



“父生き返るの巻き”



父の話しによると、今朝(4時半ごろ)とっても奇妙な体験をした由。

死ぬってこうゆう感じかなあみたいな。意識が薄れていくようなそんな感じのあと、無性に水が飲みたくなったそうだ。




それで、テーブルにあったお茶を湯のみに注いでⅠ杯、トイレに行ったあと、洗面所で、コップ2杯の水を飲んだとのこと。



そのあと、リビングのソフアーに座っていたら母が起きだしてきたので、「死ぬかと思った。」の経験を話したとのこと。母もそれを真に受けて真っ青。


わたしが昼前に来た時には、「今日にも死ぬかもしれない。」と暗い顔をしていた。


でもそのうち立ち直り、いつもの整形外科に出かけたので、わたしがお留守番。



その間、マッサージの先生来訪、足、背中、腕と約1時間ほど、やさしくていねいにマッサージしてくださった。


父は明治2年生まれの父親の話をずっとしゃべりっぱなし。
「痛くはないですか?」「いや~ぜんぜん痛くないです。」「すごく気持ちいいです。」「寿命がのびた感じです。」と大満足。本当に気持ちよさそう。



さっきまでぐたーっとして、今にも死にそうなことを言っていたのに

急に活力復活した感じ。よかった、よかった。




3日に1回来て下さるそうだから、その度に活力復活できたら、

確かに寿命も伸びると思うよ。



その後、マッサージの先生と入れ替わりにT先生の往診。
体温、血圧、血流などはかって「少し脱水症状気味ですね。」との診断。



「たくさん、水を飲んでください。」とのこと。「じゃあ、ポカリスエットなんかがいいですね。」と父が言うと、「いいえ、どうせ飲むなら、経口栄養剤にしてください、1日に3本でも4本でも飲んでかまいませんから」と。




確かに栄養もとらなくちゃあね、ゼリーでも果物でも、栄養剤でも、
食べられるもの少しずつでも食べなくちゃあね。
できたら、最後まで、おいしくたべられるといいね。



でも、今朝の奇妙な体験、脱水症状と関係あり?

そうとしたら、「水飲め」という体の声すごいなあ・・・



                            みゆき記

































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朝なんとなくお腹が重苦しいと言うので、蒸しタオルで、お腹をマッサージしてあげた。「そういえば、5日くらいお大便出てないよね、座薬やってみようか、必要な時使ってくださいって言われてるから」また、便秘?



座薬入れて、10分くらいもすると便意もよおして、形をしたいい便が出た。
それほど多くはなかったが、出るべきものが出ただけで安心。


午後姪の昌子ちゃんから、フアックスがあった。



幸代おば様へ


わたしに今出来ることは、お電話コールくらいですがケイタイするのに、おじ様にとって良い時間どきはありますか。

いつでもよろしいのでしょうか。



気分のいい時は、遠くに見える富士山を眺めておられるのかなあと、
おじ様の日ごろを思い浮かべています。


お手伝いできることは、ありませんか、どうぞ言ってくださいね。

おだやかな毎日をお祈りしております。

                          昌子



主人に話すと気持ちはありがたいけど、もう電話は疲れるからとのこと。
よっぽど体調のいい時でないと、今はもう電話に出るエネルギー残っていないかも。昌子ちゃん、ごめんね、フアックスの方がOKです。
読んであげられるので・・・


夕方、あつあつパンのAさんが、ゆでて皮をむいたフキを持って来てくださり、ちょうどソフアーに座っていた主人とご対面。

顔なじみとのご対面に主人の顔がほころぶ。



「もしかして、最後のご対面かも」と思いながら、ひととき笑ってすごしたが、出来ることなら、文学館横の散歩道でまた、会いたいね。
Aさんのお母さんも一緒にね。


ところで、今日は、主人から免許皆伝を受けたものがある。

それは、揚げかきもち・・・・



市販のお餅をさいのめに切って干し、それを揚げたおやつだけど、これが絶品と言えるほどおいしい。子どもや孫、それにひ孫が来ると、いつも主人はこれを作っておみやげに持たせる。


この揚げかきもち、実は先だってやってみたのだが、火力が強すぎて、あっという間に黒こげ・・・弱火でじっくり揚げてしかも2度揚げするのが秘訣だと聞いて今日その通りやってみたら、できた~ 成功!



「おいしい、おいしい、免許皆伝だ」と主人はベタほめしてくれた。
「これ、ごはんの代わりに食べたら?軽く1個は食べられるもんね」「ああ、それは名案だ、食欲ない時でもこれなら、食べられそうだ」


よかった、よかった。




















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7時ごろ目を覚ますと、「ゆうべはよく眠れた」と。実はゆうべ、主人のベッドの足の方で寝転んでいたら、そのままうっかり寝てしまったようで、実際には、窮屈な思いをさせたはずなのに・・・・




わたしは、いつでもどこでも眠れると定評ある人だが、朝まで主人の足元で、寝ていたなんて驚き・・・ きのうは、そうやって寝転んでいるわたしを見て、「なかよしだね」と利治から、言われたが、まさか朝まで滞在するとは思わなかっただろう。



ところで、昨日から今日にかけて、差し入れラッシュ・・・・

ゆうべは、ちょっと疲れて帰って来たところに、Mちゃんから、イチゴや

菓子パン・・・


今日はMちゃんのおかあさんから、あつあつの焼き立てパン。
ちぎってあげたら、「おいしいね、Aさんちの焼き立てパンは」と、ふたきれだけ食べたがそれでおしまい。
以前だったら、ふ~ふ~言いながら、二人で半分くらい食べたのに・・・・



Sさんからは、夕食分にと散らしずしの差し入れ・・これも主人大好き。

おいしいもの、好きなもの少しでもいいから、口から食べようね。

今はそれだけが、命つなぐ道だから。エンシュア・リキッドもあるけどね。




みゆきは、きのう、あさりのむきみと野菜スープを合わせた

クリームスープを作ってくれた。とろみをつけた方が食べやすいからと。



「おかずはね、小皿にほんの少しずつ入れて、種類多くしてみたら?できれば小さく切って」と、アドバイス・・・ 




気合い入れて、でもおいしく食べられる食事もっと工夫してみよう。

時々口に入れてあげると、ここまでと言っていた分の1割以上食べられることが分かった。発見!




ところで、きょうは、昨日よりもだいぶ気分よさそう。(点滴やめたせい?)

それにしても、がんという病気ホント波があると思う。

昨日食べられても今日は食べられないとか、指を動かすのもしんどい日もあれば、数独やれそうな日もある。

トータルで対応しないと、振り回されてしまう。



これからの日々どうなるかわからないけれど、ノーテンキ同志(主人はわたしに感化されてノーテンキ族に入った)なんとかなるだろう。