宇宙元旦に突然始めたコチラameblo笑い泣き




プロフには

幼少期から4人の母になるまでが

ザックリとだけど書いてあるのおすましペガサス




実は




2015年にFacebook始めて

その後

2016年に書いた自己紹介文を

コピペしたものにちょい足し



雑wゲラゲラ






突然始めたからね

うんうん照れ





なので今日は

私の幼少期から十代まで書こうむらさき音符




はじめに言うけど

マジで長いよニヤリ






30代の頃から

私って本を出すなら上下~完~と3冊くらい出せそうって冗談で話てたわwゲラゲラ






生まれてすぐから

母子家庭で育ってる私は

と〜っても大人しく手のかからない子ピンクハート




20歳で私を産んだ母


その母の、当時付き合ってた彼氏が

(私が幼少期〜中学2年生くらいまでお付き合いしてた)

週末になると来るのよぉー



たぶん、怒られた記憶ないし

話しかけられた事もないし話してかけた事もない



何故か分からないけど 

話しかけることが出来ない圧みたいなのが強くて

存在を消す私…真顔




母にも自分から言葉を発するなんてほぼない




晩ご飯食べたらスグ部屋へ行くことが

母が疲れないこと困らないこと




団欒とは無縁の幼少期




今思い出したけど

いつも泣きそうな顔してたって

伯母に言われてたなぁ…






小学生になると平日の朝は


パンかじって

『そろそろ起きないといけないよ。行ってきます』

と言って学校行ってた





何年生だったか忘れたけど

母が私のためだけに

作ってくれる物を食べたくて





考えた結果





『朝ラーメン作って』って言ったのゲラゲラゲラゲラゲラゲラ






当時、ナゼ、

ラーメンって言ったのか




それは




母の飲食店の食事はお客様のために作ったもの

週末の夕食は彼に作っていて

何が食べたい?と聞かれたことなどない




私のために作ったものが食べたかった




そして温かい食べ物で浮かんだのがラーメンニヤリ




私の発想ヤバめ(笑)




当時の私にとっては

考えて発言するって

実はすっごい勇気だったね(笑)






そしたら






毎朝サッポロ一番しょうゆラーメン出てきた






毎朝よ…絶望汗絶望汗絶望汗





頼んだの私で

せっかく起きて作ってくれてるのに

もう要らないって言えなくて…






おかげで、お湯に入れた瞬間の乾麺のにおいトラウマになったーゲラゲラ




母もヤバめ(笑)






大人になってから母が言った一言キラキラ

『あんたは小さい頃は手のかからない楽な子だった』




おいおいwゲラゲラ





母は

私を産んですぐ母子家庭になり



夜の仕事で稼ぐため

夜の保育園、のちは祖母の家に私を預け

夜中に私をおぶり帰宅する毎日を乗り切って



貯金を元に

私が小学1年生の頃から

飲食店(お好み焼き屋)を始める




昼はサラリーマンが毎日通う飯屋

夜はアルコールがあり

おでんや鉄板で作るつまみ豊富な居酒屋

目の前が、総合病院だったから

病院で働く人や入院中の患者さんからの出前なんかも入ったりと




お好み焼きはボチボチでも

昼夜共に常連が毎日通い人で賑わっていて




私が中学3年生の頃

お好み焼き屋で貯めたお金を頭金に

お好み焼き屋をやめ

3階建ての家を建てたのよおーっ!キラキラあっぱれお願い


(1階はたこ焼き屋)

どんだけ粉もん好き?(笑)




おかげで30歳くらいまで

ラーメンもお好み焼きもたこ焼きも

食べれんくなったわぼけーあせる




今は好きよ照れピンクハート






私が小学1年生から始めたお店は

夏休み、冬休み、春休みなどはお店で過ごすわけで



朝起きたら母の中央市場への買出しへ着いて行き

そのままお店へ



お昼になると一気にお客様がやって来るので

午前中に宿題を済ませ



お昼になると冷蔵庫とか調味料などが保管されている小さな納戸でお昼のお客様が居なくなるまでじっと過ごす



遅めのお昼を従業員の人達と一緒に食べたら

そろばんへ通う



それも3年生になると

中学受験させたかった母は塾へ通わせる



進学コースの塾の時間帯は

3年生の頃より6年生の頃まで当然時間帯は伸びていく



塾から帰ると

夜は座敷が2つあるうちの1つの襖を締め切り

私だけで過ごす

そこで店が終わるまで待つ



低学年のうちは寝てしまうから

1度起き雨の日も寒い日も

ランドセル背負って

家の布団まで頑張る



あれ?

気づいちゃった?


私も気づいちゃったけど

あんまりお風呂入ってなかったって事になるみたいねにやり


土日休みだったから週末だけだと思われるチョキブイッ




こうして、

幼少期から小学生になっても

母とほぼ会話らしい会話をしていない

兄弟もいない私はコミニュケーションがかなりないまま育っていく






高学年にもなってくると

徐々に

幼少期から溜め込みまくってた感情がフツフツと…




大人はなんでいつも酔ってるの?


(呂律が回ってないから)

何喋ってるか分かんない? 



ビン持って喧嘩…

またかよ…また始まったよ…


(総合病院の目の前の店だったから急患治療してもらえる)



高笑いする声も

お店がグチャグチャな日も

怒鳴る大人達も

血が出てるの見ても

見慣れてて

シラケてた



みんな顔が赤くて

酔ってて声が大きくてうるさくて



キモイ…

ウザイ…



私にまで絡むな

私に触れるな





ある日

母がいつものように

『ノレンを片付けてきてー』って言う


(時間になると外のノレンを中へ入れるのが私の日課)




外へ向かう途中



カウンターに座る

いつもの大人の後ろ姿に

急に腹がたってきた



(毎日…毎日毎日毎日…

帰る時間知ってるのに…

たまには私の気持ち考えて自分からトットと帰ってよ!!)



って思ってしまった瞬間

同時に

その後ろ姿に唾を吹きかけてたガーンあせる




その大人ツルツルスキンヘッドで

即バレ

母に即ボッコボコよ笑い泣き笑い泣き笑い泣き




そりゃそうだ





幼少期からずっと会話らしいことしてないから

自分の思いや意見を口にすることもしたことなくて…



でも、母ならきっと



会話してなくても

私のこをきっと分かってくれるはず




そんな母に

唯一の母に

ボコボコにされたこと当時の私には理解出来なくて




この瞬間に私の心が割れちゃった…





母を困らせたくない

母は忙しい人だから

いつも疲れてるから

小さい頃からそう思って

学校の事

自分の出来事なにも話せなかった




母にとって楽な子

良い子もうやめよう…





中学受験を望んでた母に

小学6年生で

『私は高校へ行かない』って言った

(母にとっての望みは私の望みじゃない)





学区の中学へ入り

学校からお店には帰りたくないって言って

自宅のカギを貰った




会話はなかったとしても

襖の向こうでいつも賑やかな声聞きながら中学生になった私が

急にシーンとした家にひとり




ご飯もない




冷たい空気




そりゃ益々変な方いっちゃうよね





死にたいっていうより

何で私ここにいるんだろ?

(何で生まれたんだろ?)



私がいなくなっても別に泣く人なんていないんだろうなぁ…

っていつも思ってた





たった2人きりの家族

その母が私に向いてないのに

他人が向いてくれるなんてナイナイバイバイ





私の為に

泣いてくれる人なんている訳ない…




って、いつも思ってた

いっぱい自分を傷つけた




何をしても埋めれない孤独感








理屈や規則で正論っぽいこと言ってくる

そのくせ

夜になると酒を浴び、空気も読まないし暴れるし

どっちが迷惑かけてんだよ



めちゃくちゃ…



私には大人がみんな同じにみえた




母も

先生も

警察も

児童相談所の人も

全力で大人を否定した



始めてぶつけてもがいた




自分達の話ばかりで

私と寄りそう訳でない

理解しようとしていない大人達




そして




中学3年生になり、すぐのこと

お寺で数ヶ月間過ごす日々になった




お寺の話はプロフと

前回の投稿に

少し書いてあるけど

既に長いのでココには貼りませぬ照れ




当時、子供だったから

分かんなかったけど愛に飢えてるね




真剣に向き合ってくれる人が

傍にいて欲しかったんだろうね






大人になってから知ったけど

当時の母は

『積木くずし』という本を読んで

娘(私)が死ぬ日の覚悟をしたと言ってた




母も傷つけてた…




(のちには

自分のそんな経験から

ちゃんと向き合ってくれる人は

いるよって想いもあって

子供達へ向けたボランティア活動のお手伝いを

やるようになったの)





その後



人に言ってないから

事件にもニュースになってないけど




心の底から

生きて帰ってこれて良かった

って思えた事もあるの




あまりの恐怖体験だったからか



この体験を思い出したのは

今から7〜8年くらい前



たぶんこれ

解離性健忘とかPTSDとかって言うんかな?

急激な極度なストレスがかかるとそうなるのかな?




思い出した時は

フラッシュバックって言うか

怖くて

辛くて

毎日泣いてて

毎日胃が痛くて


思い出したキッカケがあったから

その日のキッカケに行った行動すら消したくて


おかしくなりそうだった





でもね



私ね



その時



神様はナゼこれを与えたの?って

毎日毎日考えてたの




『神様はナゼ?』

『そんなん知るか!』


自問自答の日々





そして

その出来事を思い出してから何ヶ月が経って




ある日


突然


本当に突然


『あっ!分かっちゃった!神様からのギフトなんだな!びっくり飛び出すハート

ってなった




そこから

本当に大丈夫になるまでには少しは時間かかったけどね





全てが

神様からのギフト




自分の使命宿命があるなら




そのために



沢山の経験を積むこと


その経験をとおしちゃんと感じること


人の痛みを心から分かる人になること



きっと私は神様と約束したんだろうなぁ

って




ちゃんとそう思えるその時までは

恐怖体験は忘れてていいよって

きっと神様は記憶を消してくれてた






大切なことは


出来事でなく

その出来事で何を感じるか


その時にみえなくても

未来に

その出来事の景色は変わってみえてくる




自分の経験をシェアすることで

誰かのお役にたてばいいなぁ~って

思えるようになったので



公開シェアをしてみたよ



有名になりたいのではなく

必要な人に届くといいなぁ~って

いつか本を出す

と思うようになりました

(30代では冗談で言ってたけどね)




だってさ

使命、宿命、天命があるなら

約束してきてるし




その約束に

神様は必要な人が

見つけやすいように導いてくれるはずキラキラ





これはまだ十代までの話だけど

その後も沢山の経験ギフトをいただき



のちに脳科学も勉強し

今はカウンセリングなどもしてます花




気になるなぁ

話してみたいなぁ


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ありがとうございます




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