本物とは | sachiのブログ

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「一人ひとりがそれぞれに自分らしくいられる場」をつくる人
でありたいなあと思いながら働く日々を綴ります。


『ONESELF』 2008年2月号 特集「教育×インテリア」
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部屋の掃除をしていたらこの雑誌が出てきました。

環境や場がこどもを育みますよーという内容でした。
コラムには「勉強するところ=個室」の固定概念の撤廃の提案や、
感覚を鈍らせるインテリアシステムへの疑念など
一部納得がいくところはあるものの
結局は有名小学校に行かせたい親の本音が見え隠れしていてちょっと残念。

その中でこのインタビューは光っていました。

『「どこかで拾った小枝や石、立ち枯れた花、ドライになった果物など、
何に使うのかわからないものがそこらじゅうに置いてあるような家でした」
(中略)ご両親は、他の人が見たらガラクタかゴミにしか見えないようなものを
「わたしたちの宝もの」として大切にしていたといいます。
そんな環境のなかで、ただの石も見方によっては意味のあるものに変化することを学びました。』
―p11 川崎景太 さんへのインタビューより

p7のコラムでは「幼少から本物に触れさせることで感性や創造性を身につけ・・」とあり
「本物」の一例として「無垢の木のテーブルや自然素材の玩具」と書いてあります。

でも「本物」って一体なんだろう。
「自然素材の玩具」は本物なんだろうか?
感性や創造性よりももっと高いところにある、びびびっとくる感覚がやってくるのは
意図された玩具ではなく「どこかで拾った小枝や石」に触れたとき なのではないか。
使い方や遊び方はわからない「どこかで拾った小枝や石」。
でもそこに楽しさ・重要さ、いとおしさを見出す。
それは社会の中に自分の居場所を見つけること と同義なのではないか、
それは社会の中で自分がどのように生きていくかを見つけることと同義なのではないか。

私は「自然が本物だ」とは言いませんし、
そんな思想も特にないのですが(笑)
私が言えることは、なんでもないようなものに何かの意味を見出したなら
それは、その子が社会に生きてるっていう証だから
その感性を大事にしてあげたいなあと思います。
その感性こそ、「本物」であり、その人なりの「豊かさ」なのだと思います。

スペインのサグラダ・ファミリアなどの作品で知られる
アントニ・ガウディは自然を観察し、それらをモチーフとして
建築物を作ったといわれています。
自然を「偉大な書物」といい、その自然をいかに表現するかに
人間のオリジナリティがあると唱えました。(『ガウディの言葉』 )
自然から何かを見出し、建築という自身の存在意義を見つけ出したガウディ。

先達からは学ぶことが多いですね。

ガウディ作・グエル公園とわたし。はしゃいでます。

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サグラダ・ファミリア。

ガウディは設計図を作らず、模型で形を現していました。
紙とペンではいかに自然の中で存在するのに「無駄がないか」を追求することができなかった。
サグラダ・ファミリアの模型が消失したため、今も建設が長引いています。
彼が見出したこだわりや感性から、彼の生き方が見えてきます。
これぞ「本物」!!

sachiのブログ-サグラダファミリア


今日は長いエントリーでした。
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます!