今日の稽古は9人で行いました。
●基本稽古
小畑先生指導
以下白帯と色帯別れて稽古
色帯指導 私
白帯指導 小畑先生
色帯
●型稽古
太極Ⅰ
平安Ⅰ
平安Ⅳ
安三
●組手稽古
基本
応用
応用2 中段
今日は小学校の始業式
北国のちょっと長い冬休みが終わりました。
6人とも元気に登校したようで、稽古にも全員参加してくれました。
偉いですね❗️
私を含めて大人は思考も身体も柔軟性が失くなってきます。
幼少期の教育が如何に大事なものか、私自身再確認しなければなりません。
タリバンもパキスタンに教育された通りのことをやっているだけです。
やっていることの善悪はさておき、中庸が欠けているのは事実だと思います。
世の中の負の状況は、のめり込みすぎが原因な事が多い気がします。
戦前の軍国主義教育は、世界が帝国主義の状況下致し方無い面もありますが、無敵皇軍が降伏・都市は焼け野原、この事実を当時の教育者はどのように説明したのでしょうか?
【戦いにのめり込みすぎ】
【経済にのめり込みすぎ】
教育は国と共にあるとするならば、サラリーマンが大多数の世の中において、それに都合の良い教育がなされている筈です。
しかし、この教育にも疑問を持たなければなりません。
子供を狭い部屋に何時間も閉じ込め教育するのは異常ともとれる筈ですが、それが当たり前な事だと思っている方が殆どです。
会社の看板を背負いスーツをバシッと着たサラリーマンが全員信用され立派な人なのか、黒帯を締めている空手家が、皆さんが懐いている有段者のイメージと合致しているか等を考えると、そうでない事が多々あるのは言うまでもありません。
そうしたものを見抜く感覚教育が必要だと思います。
私が使った感覚教育とはおかしな言葉です。
感覚は教育することではなく感じるものです。
感覚を教育するにはまあり括りが無い場所(例えば生物の括りが無い森や川や海)、そして道場のように年代に括りがない場所が最適だと思います。
いわゆる道場そのものから受ける感覚自体が教育となるのではないかと思います。
難しくなりました。
これでは人に伝わりません。
失礼しました。