世間がその人の真価を認めず、よってその位置がその人の真価よりはるかに低くても、それをもって、かえって自己を磨く最適の場所と心得て、不平不満の色を人に示さず、わが仕事に精進するのであります。これを「下座を行ずる」というわけです。【417】
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肯定的捉えることを教えるのは簡単ではないですね。
子供の不平不満を聞いてあげるにも必要ですが捉え方一つで変わるということを自分が実践していないから伝わらないのでしょうか。
まずは、継続したこんなことがあるよということが一つでも目に見えればいいのですが。
下座を行ずるということは、まさに肯定的であることが大前提です。
自分の方が以前は上にいたと感じることがすでに否定的な気もします。
何事にも「よしここで鍛錬する」という気持ちがあることはすでに肯定的なことです。
今日は何を鍛錬するかそれは仕事であり学生は勉強というわけです。
これでは伝わらないな(笑)